それから、窓はみんな閉めて、外から開かないようにするんです」
「わかりました」
山口青年も透明人間にはひどい目に遭っているので、あいつを入れさせては大変だと、老紳士の言うとおりに、裏口と窓を閉めて回りました。
恩田さんも、山口君からそれを聞いて、戸締まりを手伝ってくれました。
しばらくすると、恩田さんと松波博士は、応接間でテーブルを挟んで腰かけていました。
「窓は、すっかり戸締まりをしました。しかし、あなたには、どうして透明人間がやってくることがわかったのですか」
恩田さんが、不思議そうに尋ねました。
「わたしは、あいつの後をつけて、お宅の門の中で、あいつを追い抜いて、玄関へ飛び込んだのです。あいつが門の中へ入ったのは、確かです」
松波博士は、まだ青ざめていました。
「しかし、どうして、それがわかったのですか。相手は目に見えないやつではありませんか」
「足跡ですよ。まあ、聞いてください。こういうわけです。わたしは、さっき電話をかけてから、バスでやってきました。バスを降りて、お宅の近くまで来ますと、わたしの前に人間が歩いているような気がするのです。目にはなにも見えません。しかし、どうもそんな気がして仕方がないのです。わたしは、ふっと、あの恐ろしい透明人間のことを思い出しました。ひょっとしたら、あの目に見えないやつが、自分の前を歩いているんじゃないだろうかと思うと、ぞっとしました。わたしは、地面を見つめました。いくら透明人間でも、足跡はつくだろうと思ったからです。しかし、だめでした。あの道はずっとアスファルトが敷いてあるので、足跡は残りません。そのうちに、お宅の門まで五十メートルほどのところへ来ました。そのとき、変なことが起こったのです。アスファルトの地面にくぼみができて水がたまっていました。その水が、石でも投げ込んだように、ポちゃんと跳ねたのです。しかし、あたりには誰もいません。水の中には、石ころなんて見えないのです。すると、その水たまりの向こうに、ペタッと、水に濡れた足形がつきました。人間のはだしの足跡です。そして、その足跡が、二つ、三つ、四つと、だんだん増えて向こうへ遠ざかっていくのです。誰もいません。ただ足跡だけが残っていくのです。透明人間です。あいつが、うっかり水たまりへ足を踏み込んだので、乾いたアスファルトの上に、濡れた足形だけが残ったのです。すぐ向こうに、お宅の門が見えています。きっと、お宅へ忍び込むに違いありません。わたしは、急いで足跡を追いかけました。足跡はお宅の門をはいりました。敷石の上に、まだかすかに足跡がついていくのです。そこで、わたしは、あいつを出し抜いてやろうと思いました。いきなり駆け出して、足跡よりも前へ出たのです。そして、玄関に飛び込んでドアを閉め、鍵をかけてもらったのです」
松波博士の薄気味悪い話が終わりました。
そのときです……。
そのとき、ふたりの話している応接間のドアが、すうっと開いて、また静かに閉まりました。
誰か入ってきたとしか思えません。
しかし、人の姿は見えないのです。
ふたりはハッとして、思わず椅子から腰を浮かせてしまいました。
すると、廊下にパタパタとスリッパの音がして、ドアが乱暴に引き開けられ、家庭教師の山口青年が飛び込んできました。
「先生、どうもおかしいです。いま、廊下を通りかかったら、このドアがひとりでに開いて、閉まるのが見えました」「あいつは、もう、ちゃんと、うちの中へはいっているのかもしれません」
山口君も顔を青くしています。
「しかし、どこにも、入るところはないはずじゃありませんか。裏口も窓も、みんな閉めてしまったのだから」
松波博士が、部屋の中をきょろきょろ見回しながら言いました。
「あいつは、すばしっこいやつです。ぼくたちが窓を閉めて回っているあいだに、まだ開いている窓から、入り込んだのかもしれません」
三人は、だまって顔を見あわせるばかりでした。
あいつは、この部屋にいるのです。どこにいるのかわからないけれど、確かにいるのです。かすかに、あいつの息づかいが聞こえるような気がします。
「ハハハハ……」
どこからか、低い笑い声が聞こえてきました。そして、あいつの気味のわるい言葉が響きます。
「お察しのとおりだ。おれはここにいるよ。山口君の言ったとおり、おれはすばやく、窓から飛び込んだのさ……。十時までには、だいぶ間がある。そのあいだに、ゆっくりうちの中を拝見することにしようか。ウフフフ……」
「ちくしょうっ、もう逃がさんぞっ!」
山口青年が大手を広げて、部屋じゅうを駆け回りました。まるで、気でも狂ったかのようです。山口君は透明人間のために、ひどい目に遭っていますから、その仕返しをするつもりなのでしょうか。部屋を駆けめぐっているうちに、ドアのところで、何かにぶつかったように、よろけました。
「さあ、つかまえたぞっ!」
目に見えないやつと、立ったまま、取っ組み合っています。恩田さんも、松波博士も、山口君を助けるために、そのほうへ駆け寄ろうとしました。そのとき、ドアが開いて、山口君と目に見えないやつは、廊下へよろめき出しました。
ばたばたと廊下を走る音。
「うぬっ、逃がすもんかっ!」
人間と人間がもつれあう物音、そして、「うーん……」という、うめき声が聞こえました。恩田さんと松波博士は、声のしたほうへ急ぎました。
「あっ、やられたのかっ!」
廊下を曲がったところに、山口青年があおむけに、ぶっ倒れてのびていました。
「おい、山口君、しっかりするんだ!」
恩田さんが、抱き起こしますと、山口青年は、あごをさすりながら言いました。
「やられました……。また、アッパーカットです。とても、かないません」
そして、それっきり、透明人間はどこにいるのか、まったくわからなくなってしまいました。むろん、うちの中のどこかにいるのです。しかし、目に見えないやつですから、どうすることもできないのです。こんな気味の悪いことはありません。
「地下室が心配です。おい、山口君、うちの外を回っている刑事さんを、呼んでくるのだ。そしてみんなが力を合わせて、地下室を守るほかはない。早く呼んできたまえ」
「こうなったら、わたしも帰るわけにはいきません。十時までお宅にいて、お手伝いをしますよ」
松波博士は、恨み重なる二十面相のことですから、そういう気持ちになるのももっともなことです。そこで、恩田さんと博士とは、地下室の入口へと急ぎました。
地下室の入口には、重い板戸がふせてあって、それがレールで、向こうへ開くようになっています。板戸には厳重な錠がついていて、その鍵は恩田さんしか、持っていないのです。調べてみると、板戸の錠は、ちゃんと閉まっていました。
「入口はここひとつです。ここさえ守ればいいのです」
恩田さんが説明していると、山口青年が、ふたりの刑事を連れてやってきました。
「いま、本署へ電話して、三人ばかり、応援に来るようにしました。なにしろ、相手は二十面相です。もし、取り逃がしたら、たいへんですからね」
と刑事のひとりが言いました。
「そうですか。それなら、地下室へ入るのは、その方たちが来られるまで待ちましょう。
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