初級翻訳・透明怪人 第15話

江戸川 乱歩

そのそばには、やはり白く塗られた大きなガラス戸の棚があり、何段にもなったガラスの棚の上に、ピカピカ光るナイフやハサミなど、気味の悪い外科手術の道具のようなものが数え切れないほど並んでいます。
また、別の一角には大きな台があり、その上に化学実験に使う奇妙な形をしたガラスビンの数々が、大きいものから小さいものまでゴタゴタと並んでいました。
台の上ではアセチレンガスが青い炎を上げて燃えており、その上に大きな丸いガラスビンがのせられて、中では紫色の液体がプツプツと泡を立てて煮え立っています。
化学実験台の脇には大きな薬品棚がそびえ立ち、色とりどりの薬ビンがズラリと並んでいました。
そのほかにも、何に使うのか分からない機械が部屋いっぱいに置かれていて、見ているだけでぞっとするほどでした。
化学実験台の上には三本立ての西洋燭台(しょくだい)が置かれ、三本の大きなロウソクが明るく燃えさかっています。
「驚いたかい?
ハハハ……、まさか地の底にこんな研究室があるとは思わなかっただろう。
しかし、この地下室はわしが作ったのではない。
これは戦争のときに陸軍が作った防空壕でね、こういう立派な秘密室がちゃんと作られていたのだ。
この部屋は司令部になるはずだった。
そういう秘密を誰も知らないまま放置されていたのを、わしが勝手に借りているというわけさ……。
まあ、そのイスに掛けなさい」
 怪老人はそう言って、自分も反対側のイスに腰を下ろしました。
明るい光の中で見ると、老人の顔はいよいよ不気味です。
真っ白な頭、真っ白な長いヒゲ、タカのような高い鼻、四角なフチなしメガネの奥でギラリと光る鋭い目――まるで妖怪博士とでも呼びたくなるような風貌でした。
「きみは少年探偵団の副団長、大友君だね。
わしはちゃんと知っているよ。
自動車の屋根に乗って尾行するとは、なかなか勇敢な少年だ。
その勇敢さを見込んで、きみをわしの弟子にしてやろうと思うのだよ。
ハハハ……、どうだ、うれしいかね?」
「おじさんは誰ですか?
ぼくは、知らない人の弟子になることはできません」
 大友少年は、もうすっかり度胸を据えてハッキリと言い放ちました。
「ハハハ……、わしかね?
わしは世界一の大科学者だ。
わしは原子爆弾よりももっとすごい発明をしたのだ」しかし、わしの発明は、まだだれも知らない。
もし知ったら、世界じゅうが大騒ぎになるだろう。
いや、あまりにおそろしい発明だから、わしは殺されてしまうかもしれない。
」
 怪老人は、とほうもないことを言いだしました。
大友君は、この老人、頭がどうかなってしまったのではないかと、気味が悪くなってきました。
老人は、いったいどんな大発明をしたというのでしょう。

透明怪人第四号

 老人のおそろしい話がつづきます。
「いま、世間をさわがせているあの透明怪人は、いったい何者だろう。
あんなふしぎな人間が、自然に生まれてきたと思うかね。
むろん、生まれたのではない。
星の世界から飛んできたのでもない。
あれはつくられたものだ。
そして、あれをつくったのはこのわしなのだ。
」
 大友少年は、怪老人のキラキラ光る角メガネと、ものを言うたびにユラユラ揺れる白ヒゲを、あっけにとられて見つめていました。
「つくると言っても、人間そのものをイチからつくるのではない。
きみたちと同じ目に見える人間の体に、ある化学的変化をあたえると、体全体がすきとおって、見えなくなってしまうのだ。
わしは三十年のあいだ、苦心に苦心をかさねて、そういう変化をあたえる薬品を発明したのだよ。
そして、最初の試作品としてつくったのが、今、世間をさわがせている透明怪人第一号だ。
きみがのぞいた、あのパジャマをきたやつだ。
島田君のうちから真珠塔をぬすみだしたやつだ。
わしは第三号までつくった。
つまり、三人の透明人間ができているのだ。
しかし、世間にだしたのは第一号だけで、第二号と第三号はまだわしの手もとにおいてある。
もうすこし訓練をしなければならないのでね。
そのふたりの透明怪人は、今もこの部屋にいる。
どこにいるか、つくったわしにも見えないが、この部屋にいることはまちがいない。
おい、二号はいるか、いたら返事をしなさい。
」
 すると、部屋のむこうのほうから、「ハイ。
」という返事がしました。
「三号はいるか。
」
 それにたいして、またべつの方角から、ちがった声が「ハイ。
」と答えました。
「どうだ、大友君、たしかにふたりいるだろう。
しかし、姿はまったく見えない。
これではまだ信用できないかね。
よし、それじゃあ証拠を見せよう。
二号、実験台の右のはしにあるガラスビンを、薬品だなの上にのせなさい。
」
 老人の言葉が終わるか終わらないうちに、その実験台の上のガラスビンが、スーッと宙に浮きあがりました。
そして、グングン高くあがっていって、そのビンは薬品だなの一番上にチョコンとのって、そのまま動かなくなりました。
たしかに、この部屋には目に見えない人間がいるのです。
いったい、そんなことができるのでしょうか。
薬の力で人間を自由自在にすきとおらせ、見えなくしてしまうなんて、そんなことができるものでしょうか。
しかし、目のまえに証拠を見せられては、信じないわけにはいきません。
大友君は、夢を見ているようなここちでした。
「どうだね、わしの言うことがうそでないとわかったかね。
いままでに作ったのはたった三人だ。
しかし、三人でおしまいではない。
あいてさえその気なら、百人でも千人でも、いや何万、何十万でも透明人間ができるのだよ。
わかるかね、これがどんなにおそろしいことだか、わかるかね。
十万人の透明人間がいれば、世界じゅうを敵にまわしても負けやしない。
こちらは目に見えない人間だから、どんなところへでも入れる。
どんな秘密でもさぐりだせる。
ところが、あいてのほうでは、透明人間を攻めようとしたって攻めることができない。
とらえようとしてもとらえることができない。
それがひとりでなくて十万人となれば、世界の何億人にも対抗できる。
人類にとって、こんなおそろしいことがあるだろうか。
原子爆弾いじょうの大発明というのはこのことだよ。
わしの発明によって、世界が一変するのだ。
戦争ができなくなってしまうのだ。
そればかりではない。
地球の上に目に見える人間はひとりもいなくなるようにさえできるんだ。
世界じゅうのひとを、透明人間というべつの人種にかえてしまうことができるのだ。
」
 怪老人の四角なメガネの奥で、二つの目がランランとかがやいていました。
金色に光っているようにさえ感じられました。
老人はこの大発明にもううちょうてんになっているのです。
大友少年も、聞けば聞くほどこの発明のあまりのおそろしさに、ブルブルと体がふるえるのをどうすることもできませんでした。老人は、しばらく黙って大友少年の顔を見つめていましたが、やがて、ニヤニヤと奇妙な笑みを浮かべながら、こんなふうに言いました。
「どうかね、大友君、わしの弟子になりたくはないかね。

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