初級翻訳・小さな年ちゃん 第1話

小さな年ちゃん

ある日、小さな年ちゃんは、お母さんにお願いされて、おつかいに出かけました。
「転ばないように気をつけて行くんだよ」
とお母さんが言いました。
年ちゃんは、片手にお財布をしっかりと握り、もう片方の手には風呂敷を持って、お兄ちゃんの大きな下駄を履き、ずるずると引きずるようにして歩いていきました。

お豆腐屋さんの前に、大きな赤茶色の犬がいました。
年ちゃんは、その犬の前を通るのが、なんだかちょっぴり怖かったのです。
けれど、その赤犬は、反対のほうを向いていました。
年ちゃんは、そのすきに犬の前を通り過ぎて、お菓子屋さんに到着しました。
「まあ、坊ちゃん、お一人で来られるなんて、えらいですねえ」
とお菓子屋のおばさんがほめてくれて、お菓子を風呂敷に包んでくれました。

帰り道、年ちゃんはまた、おあの豆腐屋さんの前を通らなくてはなりません。
赤犬があっちを向いたままでいてくれたらいいな、と年ちゃんは思いました。
けれど今度は、赤犬がじっと年ちゃんの顔を見つめていました。
年ちゃんは胸がドキドキしました。
急いでその前を通り抜けようと走り出したその時、石につまずいて、しりもちをついて転んでしまいました。
年ちゃんは怖くなって、我慢できずにわーっと泣き出してしまいました。

すると、大きな赤犬がトコトコとやってきて、年ちゃんの顔をペロリとなめました。
あまりにびっくりしたので、年ちゃんは泣き止んで目を開け、赤犬を見つめました。すると犬は、とても優しそうな目をして、しっぽをパタパタと振っていました。
年ちゃんはすっかり、その赤犬が大好きになってしまいました。
それからというもの、お友達がその赤犬を怖がったりすると、年ちゃんは、
「赤犬ちゃんは、優しくていい犬なんだよ!」
と言って、いつも赤犬の味方をしてかばってあげました。
だから、おつかいの途中で、お豆腐屋さんの前に赤犬の姿が見当たらないときは、年ちゃんは寂しくてしかたがありませんでした。

ある日、兵隊さんのような服を着た、二人組のおじさんたちが、お薬を売りにやって来ました。
そのうちの一人のおじさんは、松葉づえをついて、道路の真ん中で何か大きな声を出して叫んでいました。
きっと、戦争に行って大怪我をして帰ってきた人なんだよ、とまわりの人たちは言っていました。
もう一人のおじさんは、お家を軒並み一件ずつ訪ねて回っていました。
みんな、おじさんのことをかわいそうに思って、きっとお薬を買ってあげるだろうな、と年ちゃんは思いながら、そのあとをついて歩いて見ていました。

すると、あるお家の女中さんが出てきて、
「いま、お留守にしていますので」
と言って、おじさんを断りました。
年ちゃんは、さっきこのお家のおばさんが中にいるのを見たのに、なんで嘘をつくんだろう?と不思議に思いました。
おじさんはその家を出て、お隣に行きました。
お隣でも、
「いま、お薬は足りてますので」
と言って、やっぱり断られてしまいました。
おじさんは何かぶつぶつ言いながら、その家を出ていきました。

今度は、しず子さんのお家です。
いつのまに誰が門の戸にかぎをかけたのか、おじさんが開けようとしても、戸はまったく開きませんでした。
これを見ていた年ちゃんは、薬箱をぶら下げたおじさんが、なんだかとてもかわいそうになってきました。
そのとき、年ちゃんは、自分の家のお母さんなら、このおじさんからきっとお薬を買ってあげるに違いないと思いました。だから、
「おじさん、ぼくのおうちはあそこだよ!」
と、年ちゃんは小さな指で自分の家をさして、おじさんに教えてあげました。
おじさんは年ちゃんの顔を見つめました。
「お坊ちゃんのおうちは、あそこですか?」
「ぼくのおうちはあそこだよ!」
「坊ちゃんは、いい子ですねえ」
おじさんは、青白い顔に寂しそうな笑顔を浮かべせながら、年ちゃんの頭をなでてくれました。

しかし、おじさんは、せっかく年ちゃんが教えてあげたのに、年ちゃんのお家には寄らないで、そのまま行ってしまいました。
「どうして、おじさんはぼくの家だけ寄っていってくれないんだろう?」
と、年ちゃんは首をかしげて不思議に思いました。
「あんなにいいおじさんなのに、どうして皆んなは冷たくするんだろう?」
ということも、年ちゃんの小さな頭ではよく分かりませんでした。だから、いつまでもぼんやりと道の真ん中に立ち尽くして、遠ざかるおじさんの背中を眺めていました。

年ちゃんにだけは、赤犬の優しさがよく分かりました。
年ちゃんにだけは、薬売りのおじさんの優しさも分かったのです。
なぜなら――年ちゃんが、とても優しい心の持ち主だったから。

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