小娘は、しばらくふたりのようすをながめたうえ、また音もなく戸をしめて、立ちさってしまいましたが、それから五分ほどたって、支配人の門野老人が、やっと穴を掘りおわったころ、とつぜん、家の裏手のほうから、おそろしいさけび声が聞こえてきました。
「火事だあ。だれか来てくれえ。火事だあ。」
店員の声です。
時も時、もう三十分もすれば、すっかりほんものの黄金塔をうずめることができようという、きわどいときに、このさわぎです。
「おい、たいへんだ、ともかく塔やくわを床下にかくして、畳を入れてしまおう。早く、早く。」
主人と支配人とは、力をあわせて塔の五つの部分を床下に投げこみ、床板をもとどおりにして、畳をしき、部屋には外からかぎをかけておいて、あわてふためいて、火事の現場へかけつけました。
裏庭へ出てみますと、庭のすみの物置き小屋から、さかんに火を吹いています。
さいわい母屋からはなれた小さな板子屋ですから、付近に燃えうつるというほどではありませんけれど、ほうっておいてはどんな大事にならぬともかぎりません。
大鳥氏は支配人とともに、店員を呼びあつめ、声をかぎりにさしずをして、やっと出火を消しとめることができました。
かろうじて消防自動車の出動をみなくてすんだのです。
その火事さわぎが、やや二十分ほどもつづきましたが、そのあいだに黄金の塔の部屋には、みょうなことがおこっていました。
主人をはじめ店員たちが、みんな火事場のほうへ行っているすきをめがけて、小さな人の姿が、かぎのかかった板戸をくもなくあけて、すべるように部屋の中へはいっていったのです。
女学生のようなおさげのかわいらしい少女。
いわずとしれた新参のお手伝いさんです。
謎の少女です。
少女は黄金塔の部屋へはいったまま、何をしているのか。
しばらくのあいだ姿をあらわしませんでしたが、やがて、十分あまりもすると、板戸が音もなくひらいて、少女の姿が部屋をすべりだし、注意ぶかく戸をしめると、そのまま台所のほうへ立ちさってしまいました。
この謎の少女は、いったい何者でしょうか。
手ぶらで部屋を出ていったところをみますと、塔をぬすみにはいったものとも思われません。
では、何をしにはいったのでしょう。
読者諸君、こころみに想像してごらんなさい。
それはともかく、やがて、火事さわぎがしずまりますと、大鳥氏と支配人は、大急ぎでもとの奥座敷に引きかえしました。
そして門野さんは、片はだぬぎになって、また畳をあげ、床板をはずし、くわを手にして床下におりたちました。
大鳥氏は、もしや、いまのさわぎのあいだに、だれかが、この部屋へはいって、畳の下の黄金塔をぬすんで行きはしなかったかと、支配人が、床板をはずすのも、もどかしく、縁の下をのぞきこみましたが、黄金塔には、なんのべつじょうもなく、黒い土の上に、ピカピカ光っているのを見て、やっと安心しました。
やがて門野支配人は、黄金塔を床下の深い穴の中に、すっかりうめこんでしまいました。
そして、床板も畳ももとのとおりにして、
「さあ、これでもう大じょうぶ。」
といわぬばかりに、主人の顔を見て、ニヤニヤと笑うのでした。
こうして、ほんものの宝物は、まったく人目につかぬ場所へ、じつに手ぎわよくかくされてしまいました。
天井の声
もうこれで安心です。
たとえ二十面相が予告どおりにやってきたとしても、黄金塔はまったく安全なのです。どろぼうたちは、きっと得意満面で偽物を盗み出していくことでしょう。
あのずる賢い大泥棒に一泡吹かせてやるなんて、本当に痛快ではありませんか。
泥棒が床下などに気づくはずもありませんが、それでも用心に越したことはありません。
大鳥氏はその晩から、本物の黄金塔が埋められているあたりの畳の上に布団を敷いて眠ることにしました。
昼間も、その部屋から一歩も外に出ない覚悟です。
すると、不思議なことに「3」の字が手のひらに現れて以来、数字の予告がピタリと途絶えてしまいました。
本当は、それには深い理由があったのですが、大鳥氏はそこまで気がつきません。
ただ不思議に思うばかりです。
しかし、数字が現れなくとも、盗難は二十五日の夜だとはっきり言い渡されているのですから、決して安心はできません。
大鳥氏はそのあとの三日間を、塔が埋められた部屋に籠もり続けました。
そして、ついに二十五日の夜がやってきたのです。
もう宵のうちから、大鳥氏と門野支配人は、偽の黄金塔を飾った座敷に陣取り、出入り口の板戸には内側から鍵をかけて、油断なく見張りを続けていました。
店の方でも、店員一同、今夜こそあの二十面相がやってくるのだと、いつもより早く店を閉めてしまい、あらゆる入り口にしっかりと鍵をかけ、それぞれの持ち場を決めて、見張り番をするやら、こん棒を片手に家中を巡回するやら、大変な大騒ぎでした。
いかに変装の天才である魔法使い・二十面相でも、このような二重三重の厳重な警戒の中へ、どうして入り込むことができましょうか。
彼は今度こそ失敗するに違いありません。
もし、この中へ忍び込み、偽の黄金塔にも迷わされず、本物の宝物を盗み出すことができるとすれば、二十面相はもはや魔法使いどころではありません。
神様です。
盗賊の神様です。
厳重な警戒の中で、だんだんと夜が更けていきました。
十時、十一時、十二時。
表通りのざわめきも聞こえなくなり、家の中もシーンと静まりかえってきました。
ただ時々、見回りをしている店員の足音が、廊下にひたひたとしのびやかに聞こえるばかりです。
奥の間では、大鳥氏と門野支配人が向き合って座り、置き時計とにらめっこをしていました。
「門野君、ちょうど十二時だよ。
ハハハ……、とうとうやつはやってこなかったね。
十二時が過ぎれば、もう二十六日だからね。
約束の期限が切れるじゃないか。
ハハハ……」
大鳥氏はやっと胸をなで下ろし、楽しげに笑い声を立てるのでした。
「さようでございますね。
さすがの二十面相も、この厳重な見張りにはかなわなかったとみえますね。
ハハハ……、いい気味でございますよ」
門野支配人も、怪盗をあざ笑うかのように声を立てました。
ところが、ふたりの笑い声が消えるか消えないかのうちに、突如として、どこからともなく、異様なしゃがれ声が響いてきたではありませんか。
「おい、おい、まだ安心するのは早いぜ。
二十面相の辞書には『不可能』という言葉がないのを忘れたかい?」
それは本当に何とも言えない陰気な、まるで墓場の中からでも響いてくるような、不気味で嫌な感じの声でした。
「おい、門野君、きみ、いま何か言わなかったかい?」
大鳥氏はハッと驚いたように辺りを見回しながら、白髪の支配人にたずねました。
「いいえ、私じゃございません。
しかし、なんだか変な声が聞こえたようでございますね」
門野老人はけげんな顔つきで、同じように左右を見回しました。
「おい、変だぞ。
油断しちゃいけない。
きみ、廊下を見てごらん。
戸の外に誰かいるんじゃないのかい?」
大鳥氏はすっかり青ざめ、恐怖で歯の根が合わない様子です。
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