初級翻訳・尾なし犬 第2話

佐野 良二

なんだか胸がざわついて家の端まで走っていき、おそるおそる覗いてみると、忠夫は何食わぬ顔でスコップを使い、焚き火の跡を掘り返して何かを探していた。
そして、掘り出した小さな何かを手で上手に加工しているようだった。
やがて、それを手のひらに乗せたままこちらへやってきた。
「おまえにやるよ」
忠夫の手のひらから克夫の手のひらへと、ずしりとした重みが移された。
クレヨンのような形をしたものが、金色にピカッと光っている。
それが三本あった。
まだほんのりと温かさが残っていた。
「もう爆発しないから、心配いらないぞ」
それは、機関銃の弾丸だった。
軍の武装がとかれたとき、忠夫はこっそり背嚢(はいのう)に隠して持ち帰ってきたのだ。
思ってもみなかった兄からの戦地のお土産に、克夫は胸がワクワクして興奮した。
彼はさっそく、それを近所の子供たちに見せびらかした。
みんな一瞬で目をキラキラと輝かせた。
「うわあ、これを撃つのかよ!」――誰もが感心したような顔をした。
弾丸をぎゅっと握りしめて、「ダダダダーッ!」と大きな声をあげながら射撃の真似をする子もいた。
克夫はとても誇らしかった。
鉄郎が「三本もあるんだから、一本くれよ」と言ってきたけれど、「いやだ! そんなこと言ったら、兄ちゃんに言いつけてやるんだからな」と言って断った。
火薬が使われていないこの弾丸は、もう人を傷つけるような危険なものじゃない。
それでも、なんだかすごい名残(なごり)がまだ残っていた。
その冷たい金属の肌に触れていると、戦地で敵と向き合っていた兄のピリピリとした緊張感が、生々しく伝わってくるようだった。
克夫の心臓はドキドキと高鳴った。
……

それから数日が過ぎた。
克夫が学校へ行くとき、忠夫はいつもぐっすり眠っていて、学校から帰ってくると今度は縁側に座ってぼんやりと裏庭を眺めていたりした。
狭い庭には、眺めるような面白いものなんて何もない。お母さんが植えたジャガイモやニンジンがポツポツと生えているだけなのに。
ごはんの時間になると、一日に三回ちゃんと食べるけれど――といっても中身は芋がゆやデンプンで作ったダンゴがほとんどだったけれど――あとはずっと上の空だった。
生死の境をさまよった恐ろしい体験から、まだ頭と心が抜け出せずにいるのかもしれなかった。
夜中に獣のようなうめき声をあげていたよ、と姉たちがひそひそ話しているのを克夫は耳にした。
お母さんは、「いったいどれほど苦しい思いをしてきたんだろうねえ。あの子はもともと、すごく優しい性格だったから……」と言って悲しそうにした。
「なに、時間が解決してくれるさ。すぐに元の元気な兄ちゃんに戻るよ」とお父さんは明るく元気な声で言った。
「仕事を見つけて……それから、いいお嫁さんももらってやらなくちゃな」
お父さんは、この頃では朝早くから仕事場に入り、売れるかどうかもわからない下駄や足駄(あしだ)を何十足もコツコツと作り続けていた。
ときどき浪花節(なにわぶし)をうたいながら、手はまるで狂いなくのみやカンナを操り、木の板を削っていく。
仕事が楽しくてしょうがないといった様子だった。
忠夫が無事に帰ってきて、お父さんも生きるための大きな張り合いを取り戻したみたいだった。

ある日の夕食のとき、芳枝が忠夫のベルトについている小さなお守り袋を見つけた。
「ああっ、これか」
忠夫は、その赤地に金色の糸で文字が縫い取られた、でもかなり汚れてボロボロになったお守り袋を開けた。
中から、小さく折りたたまれた写真が出てきた。
写真を開いた瞬間、芳枝が「あっ!」と小さな声をあげた。
折り目が今にも千切れそうなくらい擦り切れ、写真の色もすっかり変わってしまっているその中に、忠夫を除く家族五人の姿が写っていた。
国民服を着たお父さんと、もんぺ姿のお母さんの真ん中で、小さな克夫がりりしく敬礼をしていて、そのう後ろにはお下げ髪の房枝とおかっぱ頭の芳枝が並んでニコニコと微笑んでいる。
ずっと昔の戦争中に、街の写真屋でみんなで撮って、慰問袋(いもんぶくろ)に入れて戦地の兄ちゃんに送ったものだった。
「もう二度と生きられないかもしれないと思ったとき、これを取り出してずっと眺めていたんだ」と忠夫はポツリと言った。
茶の間はしんと静まり返った。
「……もう一枚の写真はあるの?」
沈黙を破るように、芳枝が聞いた。
忠夫は家族の写真を開いたとき、その下に重なっていたもう一枚の小さな写真を、素早く手のひらの中に隠したのだった。
まわりのみんなは気づかなかったけれど、すぐ横にいた芳枝は見逃さなかったのだ。
「これは、おまえたちには関係ないものだ」
忠夫はその手をズボンの後ろポケットに突っ込み、少しぶっきらぼうな声でそう言った。

Hello, Whom do you want to call?
I’m sorry, I beg your pardon.
All right. Please call up.……
奥の間から、たどたどしい英語の発音が聞こえてくる。
房枝が夕食を食べ終わると、決まって始める日課だった。
電話局での仕事が、もうすぐ〈連合台(れんごうだい)〉と呼ばれる進駐軍(しんちゅうぐん)専用の交換台へと配置替えになることになっていた。
そのため、毎日英語の講習を受け、家に帰ってからも教科書を開いて発音の練習をしていたのだ。
お父さんは最初、「アメリカ兵なんかを相手にする仕事なんていかん!」と言っていたけれど、電話のやり取りだけで直接会うわけじゃないし、お給料のボーナス(手当)もつくという房枝の説明を聞いて、どうにか納得したようだった。
するとお母さんは、「房枝はみんなの中から特別に選ばれたんだからね。二人とも、お姉ちゃんを見習いなさいよ」と、芳枝と克夫に向かって言った。
たしかに〈連合台〉に配属されるのは成績が優秀な人たちばかりだったので、房枝はこの新しい仕事に向けてやる気を燃やしていた。
用事があって家に顔を出した隣の柾屋(まさや)の親父さんが、房枝のにわか勉強の英語を聞いて、「いやいや、大したもんだなあ!」と、意味もよく分かっていないのにすっかり感心していた。忠夫は「大丈夫かな、最初のアメリカ人たちが話している英語が聞き取れるだろうか。めちゃくちゃ早いし、隠語(いんご)も使うし」と心配した。
克夫はそんな会話を聞きながら、茶の間の隅で絵を描いていた。
きょう、筋向かいの精米所の前に並んだ配給取りの列──ねんねこで子供をおぶった主婦、和服を仕立て直したもんぺ姿の女、軍服を着た中年男などが、それぞれ手提げや風呂敷を持ったり、リュックサックを背負ったりして並んでいる。
みな一様に疲れきった表情だった──そんな人の群れでも画面の端からずらり並べて描いていると、次第に絵を描くのが楽しくなってきた。
「何だ、また絵か」と忠夫は言った。
「克夫は天才なの、将来は画家になるんだよね」と芳枝がからかった。
克夫にはそれがからかいには聞こえなかった。
得意になって描き続けた。
すると兄は思わぬことを言った。
「絵なんかやってどうなる、そんなもんで食っていけんぞ。もっと儲かることをやれ」
克夫のクレヨンを持つ手が止まった。

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