初級翻訳・平家蟹 第3話

岡本 綺堂

都育ちのお前様たちが、こうした浜辺に流浪しては他に生きる術もありません。お美しい容貌を幸いに、行き交う人々に情けを売る。つらい勤めもご自身のためです。『時の用には鼻もそぐ』と世間では言いますが、まさにこのことでしょう」
玉琴「姉さま、どうかお察しください」
おしお「どうかお叱りにならないでください」
(取りなそうとするが、玉虫は耳にもかけない)
玉虫「おい、妹よ。もっともらしい言い訳をするが、そのような境遇に落ちぶれても、お前はまだ命が惜しいのか?」
玉琴「女の未練な心としては、命が惜しゅうございます」
玉虫「恥をさらしてまで生きたいか」
玉琴「死ぬのであれば、あの三月、平家滅亡の日に死んでおります」
おしお「本当にその通りです。平家滅亡の折、海に沈んだ官女たちも多いとか……。その中で無事に生き残ったのは、よほど運が良かったのでしょう。運が良いと言えば……もしや玉琴さま、あのお方のことを申し上げたら、姉上様のご機嫌も直るかもしれませんよ」
玉琴「いや、いや。それは……」
おしお「おや、隠す必要はありませんよ」
(玉虫に向かって)
おしお「人は『七転び八起き』と申しまして、悪いことの後にはまた良いことが来るものです。まあ、お聞きなさいませ。妹御さまは数ある客人のなかで、立派なお侍さまと深い仲になり……。やがては奥方として出世なさるかもしれません。そうなればお前さまも、今の苦労を打ち忘れて安楽な身分になれるはずですよ」
玉虫「して、その侍というのは……」
おしお「はい、あの……」
玉琴「あ、これ……」(玉虫は、言うなと制します)

おしお「那須与五郎というお方でございます……」
玉虫「那須与五郎……」
(玉虫は考え込みます)
玉虫「平家の残党を探し出すために、那須の一党は今もこの辺りに陣を構えていると聞く。与五郎というのも、おそらくはその一族の者だろう」
おしお「何でも、大将の弟君だと伺っております。ねえ、玉琴さま……」
(玉琴は答えず、恐れるようにうつむきます。玉虫はいよいよ顔色を変えます)
玉虫「何と、大将の弟……与市の弟だと!」
(玉虫はさっと立ち上がり、妹の襟元をつかみます)
玉虫「人もあろうに、よりによって源氏の、しかも那須の一族と仲睦まじくするとは、憎い奴め。一刻たりともここには置いておけぬ。さあ、出てお行き。今すぐ出て行くのだ!」
玉琴「ええ……」
おしお「まあ、そんなに激しく怒らなくても……。お待ちなさいませ」
玉虫「お前には関係のないことだ。玉琴、二度とお前に会うことはないと思え!」
(玉虫は妹を突き放して去ろうとします。玉琴は姉の袖にすがります)
玉琴「では、姉妹の縁を切るというのですか……」
玉虫「姉妹はおろか、人間同士の縁も切った。お前は畜生……見るのも汚らわしい!」
(玉虫は袖を振り払って奥へ消えます。玉琴はその場に泣き崩れ、おしおは呆然とします)
おしお「やれやれ、とんでもないことになりましたね。お詫びの足しにでもなればと、那須の殿様のお名前をうっかり口にしたのが、かえって火に油を注ぐことになるとは。口は災いのもととは、まさにこのこと。悔やんでも後の祭りです。玉琴さま、どうかお許しください」
玉琴「いいえ、いいえ。お詫びには及びません。遅かれ早かれ知れること……。その時はこう言おう、ああ言おうと色々考えていたのに、いざとなると言葉も出ず。たった一人の姉に勘当されるなんて、私はどうしたらいいのでしょう」
(玉琴が泣き伏すのを、おしおが慰めます)
おしお「一度はあのように怒っておられても、血を分けた姉妹です。自然と心も解けるはずですよ。とはいえ、あの厳しい顔色では、今すぐにお詫びをするのも難しいでしょう。とにかく今夜だけは、私の宿へお越しなさいませ。さあ、泣いてばかりではいけません。立ちなさい」
(なだめながら手を取ると、玉琴はしおしおと立ち上がります)
玉琴「それでも、もう一度だけお詫びを……」
おしお「いいえ、今あれこれ言うのは、かえって逆効果です。私に任せておきなさい」
(おしおが玉琴の手を引いて門を出ると、二、三歩歩いたところで、向こうから那須の家来・弥藤二が松明を振って現れます。二人は顔を合わせます)
弥藤二「おお、玉琴殿ではないか」
おしお「あなたは那須の家来衆……」
弥藤二「玉琴殿をお迎えに参った」
(それまでしおれていた玉琴は、迎えと聞いて急にうきうきし始めます)
玉琴「おお、弥藤二殿……。よくぞ迎えに来てくださいました」
弥藤二「与五郎殿もお待ちかねだ。早う参ろう」
玉琴「すぐにお供いたします」
おしお「ちょうど良い迎えが来ましたね。では、陣屋へ行かれますか」
玉琴「おしお殿、先へ参ります」
弥藤二「さあ、お越しなされ」
(弥藤二が先導し、玉琴は付き添って急ぎ足で去ります。取り残されたおしおは見送ります)
おしお「玉琴殿も現金なものだ……。那須のお迎えと聞けば、泣き顔が急に笑顔になって出て行かれるなんて。あれでは姉上の勘当を食らうのも無理はない。おや、鐘が聞こえる。逢魔が時(夕暮れ)ですね。さあ、早く戻りましょう」
(おしおは独り言を言いながら去ります。雨の音が寂しく響く中、奥から玉虫が以前とは違う白の着物に緋の袴、小袿をまとい、檜扇を持って現れます。遠くの寺の鐘の音が聞こえます。玉虫は鐘の音を指折り数えながら独り言を言います)
玉虫「今鳴る鐘は酉の刻……平家の方々が見える頃だ」
(縁側に出て辺りを見回すと、垣根の陰から大きな平家蟹が這い出してきます)
玉虫「おお、新中納言殿……。今宵も時刻を違えず、よくぞ参られた。こちらへ、こちらへ……」
(檜扇で招くと、蟹は縁の下へ這い寄ります)
玉虫「他の方々はどうされましたか。いつもより遅いことですよ」
(上のほうの木陰からも、同じく平家蟹が現れます)
玉虫「おお、能登殿か。今宵は知盛の卿に先を越されましたぞ」
(玉虫は微笑みます。左右から続いて二、三匹、四、五匹と蟹が現れます)
玉虫「おお、教盛の卿、行盛の卿……有盛、経盛、業盛の方々……みな揃って見えられましたね」
(縁側に腰を下ろすと、蟹がその足元に群がります)
玉虫「この頃は短い夜とは言え、明日の朝まではまだまだ長い。今宵は何を語って明かしましょうか」
(蟹に向かって問いかけ、また頷きます)
玉虫「毎夜毎夜の物語も、つまるところは平家の恨みごと……」この恨みは、一年や二年、あるいは五年十年と語り続けたところで、容易に尽きることなどあるまい。
(蟹を見つめ、ひとりうなずく)
そうじゃ、その通りじゃ。源氏が栄えている限り、平家の恨みが消え失せることはあるまい。
おお、それで思い出した。先ほど浜辺で宗清と出会い、その話を聞いたところによれば、景清は姿を変えて鎌倉へ下り、家伝の名刀「痣丸」に源氏の血を染めようとしているとのことじゃ。
ほほう、それは勇ましい覚悟ではないか。
万が一、景清が失敗したとしても、平家一門の強烈な呪いによって、源氏の行く末も大方の予想はついておるわ。
(言いかけて、またうなずく)
おお、言うまでもないこと。まずは仇である義経を滅ぼして、次は範頼……その次は頼朝……。
おお、まだおるわ。

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