初級翻訳・怪人二十面相 第28話

怪人二十面相

「エッ?」
びっくりして振り返ると、そこに立っているのは、先ほどの汚らしい乞食です。
「なんだい、おこもさんか。おらは施しをするような金持ちじゃあねえよ」
浮浪人は言い捨てて立ち去ろうとします。
「いや、そんなことじゃない。少し君に聞きたいことがあるんだ」
「なんだって?」
乞食の口のきき方が妙だったので、男はいぶかしげにその顔をのぞき込みました。
「おれはこう見えても、本物の乞食じゃないんだ。実は君だから話すがね。おれは二十面相の部下のものなんだ」「けさからずっと、明智の野郎を見張っていたんだよ。……だが、きみも明智にはよっぽど恨みがあるらしい様子だね」

ああ、やっぱりその乞食は、二十面相の部下のひとりだったのです。

「恨みがあるどころか、おらあ、あいつのせいで刑務所へぶちこまれたんだ。どうかして、この恨みを晴らしてやりたいと思っているんだ」

浮浪人は、またしても握り拳をふりまわして、怒りに震えていました。

「名前はなんていうんだ」
「赤井寅三ってもんだ」
「どこの身内だ」
「親分なんていねえ。一本立ちよ」
「フン、そうか」

乞食はしばらく考えていましたが、やがて何を思ったか、こんなふうに切り出しました。

「二十面相という親分の名前を知っているか」
「そりゃあ聞いているさ。すげえ腕前だってね」
「すごいどころか、まるで魔法使いだよ。こんどなんか、博物館の国宝をすっかり盗み出そうという勢いだからね……。ところで、二十面相の親分にとっちゃ、この明智小五郎って野郎は敵も同然なんだ。明智に恨みのあるきみとは、同じ立場なんだよ。きみ、二十面相の親分の手下になる気はないか。そうすりゃあ、うんとうらみが晴らせようというもんだぜ」

赤井寅三はそれを聞くと、乞食の顔をまじまじと眺めていましたが、やがてハタと手を打って、

「よし、おらあそれに決めた。兄貴、その二十面相の親分にひとつ引き合わせてくんねえか」

と、弟子入りを願い出ました。

「ウン、引き合わせるとも。明智にそんな恨みのあるきみなら、親分はきっと喜ぶぜ。だがな、その前に親分への土産に、ひとつ手柄を立てちゃどうだ。それも、明智の野郎をひっさらう仕事なんだぜ」

乞食姿の二十面相の部下は、あたりを見回しながら声をひそめて言うのでした。

名探偵の危急

「ええ、なんだって、あの野郎をひっさらうんだって? そいつあおもしれえ。願ってもないことだ。手伝わせてくんねえ。ぜひ手伝わせてくんねえ。で、それはいったい、いつのことなんだ」

赤井寅三は、もう夢中になって尋ねるのです。

「今夜だよ」
「え、え、今夜だって? そいつあすてきだ。だが、どうやってひっさらおうというんだね」
「それがね、やっぱり二十面相の親分だ。うまい手立てを工夫したんだよ。というのはね、子分のなかにすてきに美しい女がいるんだ。その女をどっかの若い奥さんにしたてて、明智の野郎の喜びそうな込み入った事件をこしらえて、探偵を頼みに行かせるんだ。そして、すぐに家を調べてくれと言って、あいつを自動車に乗せて連れ出すんだ。その女といっしょにだよ。むろん自動車の運転手も仲間のひとりなんだ。難しい事件の大好きなあいつのことだ。それに相手がかよわい女なんだから、油断をしてこの計画には引っかかるに決まっているよ。で、おれたちの仕事はというと、ついこの先の青山墓地へ先回りをして、明智を乗せた自動車がやってくるのを待っているんだよ。あそこを通らなければならないような道順にしてあるんだ。おれたちの待っている前へ来ると、自動車がピッタリ止まる。するとおれときみとが両側からドアを開けて、車の中へ飛び込み、明智のやつを身動きのできないようにして、麻酔剤をかがせるという段取りなんだ。麻酔剤もちゃんとここに用意している。それから、ピストルが二丁あるんだ。もうひとり仲間が来ることになっているもんだから。しかし、かまやしないよ。そいつは明智に恨みがあるわけでもなんでもないんだから、きみに手柄をさせてやるよ。さあ、これがピストルだ」

乞食に化けた男はそう言って、破れた着物のふところから一丁のピストルを取り出し、赤井に渡しました。

「こんなもの、おらあ撃ったことがねえよ。どうすりゃいいんだい」
「なあに、弾丸は入ってやしない。引き金に指をあてて撃つような格好をすればいいんだ。二十面相の親分はね、人殺しが大きらいなんだ。このピストルはただの脅かしだよ」

弾丸が入っていないと聞いて赤井は不満らしい顔をしましたが、ともかくもポケットに収め、

「じゃ、すぐに青山墓地へ出かけようじゃねえか」

と、うながすのでした。

「いや、まだ少し早すぎる。七時半という約束だよ。それより少し遅れるかもしれない。まだ二時間もある。どっかで飯を食って、ゆっくり出かけよう」

乞食は言いながら、小脇にかかえていた汚らしい風呂敷包みをほどくと、中から一枚の釣り鐘マントを出して、それを破れた着物の上から羽織りました。ふたりが、近くの安食堂で食事をすませ、青山墓地へたどりついたときには、すっかり日が暮れて、まばらな街灯のほかは真っ暗闇で、お化けでも出そうな寂しさでした。

約束の場所というのは、墓地の中でももっとも寂しい脇道で、宵のうちでもめったに自動車の通らない、暗闇の中です。ふたりはその暗闇の土手に腰をおろして、じっと時が来るのを待っていました。

「遅いね。第一、こうしていると寒くてたまらない」
「いや、もうじきだよ。さっき墓地の入り口にある店の時計を見たら七時二十分だった。あれからもう十分以上、たしかにたっているから、今にやってくるぜ」

ときどきポツリポツリと話し合いながら、また十分ほど待つうちに、とうとう向こうから自動車のヘッドライトが見えはじめました。

「おい、来たよ。来たよ、あれがそうにちがいない。しっかりやるんだぜ」

案の定、その車はふたりの待っている前まで来ると、ギギーとブレーキの音をたてて止まりました。

「ソレッ!」

そう言うと、ふたりは、やにわに暗闇の中から飛び出しました。

「きみは、あっちへ回れ」
「よしきた」

二つの黒い影は、たちまち客席の両側のドアへ駆け寄りました。そして、いきなりガチャンとドアを開けると、客席の人物へ両方からニューッとピストルの筒口を突きつけました。

と同時に、客席にいた洋装の夫人も、いつのまにかピストルを構えています。それから、運転手までが後ろを向き、その手にはこれもピストルが光っているではありませんか。つまり四丁のピストルが、筒先をそろえて、客席にいるたったひとりの人物に狙いを定めたのです。

その狙われた人物というのは、ああ、やっぱり明智探偵でした。探偵は、二十面相の予想にたがわず、まんまと計略にかかってしまったのでしょうか。

「身動きすると、ぶっ放すぞ!」

だれかが恐ろしい剣幕で怒鳴りつけました。しかし、明智は観念したのか、静かにクッションにもたれたまま、逆らう様子はありません。あまりにおとなしくしているので、賊のほうが不気味に思うほどです。

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