初級翻訳・怪星ガン 第22話

怪星ガン

帆村は、そのとき小さい手帖に、いそいでなにかを書きこんでいた。
りんごの買物

「どうだい。
わかったかい」
「いや、わからないです」
「三根クン。「きみは、あの店にならんでいるりんごが食べたくないかな?」

「あれのことですか。りんごなんて珍しいですね。それに、すごくおいしそうだ。あれを買うことはできないでしょうか」

「さあ、どうだろうな。三根くん。きみはその店の中に入っていって、『りんごをいくつかください』と言ってみたまえ。するとどうなるか。ただし三根くん、驚いちゃいけないよ」

「驚きはしませんが……誰もいない店に入って、誰もいないのに『りんごを売ってください』なんて言うんですか?」

「そうだ。試しに、そう言ってみるといい」

三根夫は帆村から変なことをすすめられて、最初は帆村がいたずら半分で言っているのだと思っていたが、そのうちにどうやら帆村は真剣に、この街の秘密を知りたがっているのだと悟った。
そこで三根夫は勇気を出して、すぐ目の前の果物店の戸を押し、中へ入った。

「もしもし、このりんごをください!」
三根夫は入ると同時に声を張り上げた。

「はいはい、いらっしゃいませ。りんごはどれを、何個差し上げましょうか?」

やわらかい女の声が響いた。若々しく美しい声だった。それは三根夫のすぐ目の前で聞こえた。だが、不思議なことに、声の主の姿は見えなかった。
三根夫はきょろきょろとあたりを見回し、気味が悪くなって、思わずつばを飲み込んだ。

「りんごは何個差し上げましょうか?」
再び美しい声が尋ねた。

「ええと、十個ください」
三根夫はあわててそう答えた。

「はい、かしこまりました」
その声に続いて、奇妙な現象が始まった。
紙袋が一つ、物陰から飛び出してきて、りんごが並んでいるところから五十センチほど上の空間に、ピタリと停止した。
すると、バリバリと音を立てて、紙袋の口が開いた。

「あッ!」
三根夫は目を見開いた。
すると、下に並んでいた紅いりんごが一つ、すうっと宙に浮き上がった。
かと思うと、ガサガサと音を立てて、紙袋の開いた口の中へとびこんだ。まるでりんごに魂があって、自分から身を起こして袋の中へ飛び込んだかのようだ。
間もなく、もう一つのりんごが仲間から離れて、またもや紙袋の口へとびこんだ。
こうしたことが、三根夫があっけにとられている間に繰り返され、紙袋は十個のりんごで大きくふくらんだ。

「さあ、どうぞ」
例の女の声とともに、りんごの入った紙袋は三根夫の胸の前にきて、ピタリと止まった。
三根夫はびっくりして、思わず一歩うしろへ下がった。

「ほほほ。どうなさいましたか。さあ、どうぞりんごをおとりください」

「は、はい」
三根夫は、りんごの入った紙袋を両手でつかんだ。
とたんに、ずっしりと十個のりんごの重さが、彼の掌(てのひら)を押し下げた。

「お代はいくらですか。このりんごの代金はいくらになりますか?」

三根夫はそう言ってしまってから、ハッと気づいて耳の付け根まで真っ赤になった。なぜなら、三根夫はこの奇怪な世界で通用するお金を、一文たりとも持っていないことに、今になって気づいたからだ。
(しまった。つい買い物をしてしまったが、とんでもない失敗だ)
店構えといい、姿は見えないが売り子の愛想のいい応対といい、地球のサービスの良い店と変わりなかったために、つい気軽に買い物をしてしまったわけだ。

「代金ですって? そんなものは、いりませんよ」

「えッ。りんご十個が、ただでもらえるんですか?」

「はい。この店では、みんな無料でお渡しすることになっています」

「それでは損をするばかりではありませんか」

「いいえ。市民の健康を保つために、市民が食べたいと思う果物を渡すことは公共事業ですから、損ではありません」

「ついでにお尋ねしますが、この町で売っているもので、りんごのほかにもタダのものがあるのですか?」

「ございます。衣食住に関するすべてのものは、みんな無料で市民に提供されます」

「衣食住に関するすべてですって? それはうらやましいことだなあ。しかし、ぼくは市民ではありませんよ」

「いいえ、市民です。この町にいる者は、みんな市民です」

「もう一つお尋ねしますが、あなたはどうして姿を見せないのですか?」

三根夫が調子に乗って重大な質問をしたとき、入り口の戸が開いて、帆村が顔を出した。

「三根くん。すぐこっちへ出てきたまえ。サミユル博士がお待ちかねだ」

三根夫は、おしいところでその店を出た。

町は美しく、並んでいる店はにぎやかに飾られているのに、人通りはまったく見えない。歩いているのは一行五名だけだ。
そう見えるけれど、帆村の推定によると、この町や通りには、大勢の怪星ガン人が往来して、さぞかし雑踏をきわめているに違いないという。
帆村と三根夫は、あいかわらず一番うしろに並んで歩いていた。「ねえ、帆村のおじさん。この町は地球上のどの国よりも進歩していますね。だって生活費がタダだから、暮らしに何の心配もいらないんですもの」

「生活費がタダで、楽に暮らせる場所なら、地球の上にだってあるよ」

帆村は意外なことを言った。

「そんな場所がありますか。日本はもちろんのこと、アメリカだってソ連だって、生活費はタダではないですよ」

「それはそうだ。しかし実際、生活費がタダであるところは地球上に少なくない。例を挙げよう。熱帯の島々に住んでいる原住民たちのほとんど全部が、衣食住に金をかけていない。彼らの食物はタピオカやタロ芋やバナナやパパイヤ、それに魚などだ。それらは島に自然とたくさん実っている。酋長の許しさえあれば、勝手にそれを食べることができる。着るものは木の葉や木の皮で身体の一部分を隠せばいい。もちろんこれもタダで手に入る。住む家は、いくらでも生えているビンロウ樹などを切ってきて、その木を柱にし、葉を編んで柱の間に張り巡らせれば完成する。すべて無料で手に入るんだ。どうだね、三根くん」

帆村の話に、三根夫は思わずうなった。なるほど、未開地の原住民は確かに衣食住に金を払っていないようだ。原住民のほうが文明人よりも幸福と言えるのだろうか。いやいや、どうも少し違うような気もする。このことは、あとでゆっくり考えてみよう。

「衣食住のものは無料でも、ほかの品物はお金を払わないと買えないんでしょうか」

「そういうものもあるらしいね。たとえば、ほら、あの店に並んでいる額に入っている油絵。あれには値段を書いた札がつけられているよ」

「あ、なるほど。三十五ドルと値段がついていますね。地球の値段より高いですね」

「ほら、その隣には人形を売っている。あれにも値段の札がついている」

「ええ、ついていますね。これは驚いた」

「三根くん。僕たちの目には見えない品物が店に並んでいるとは思わないか」

「えっ、なんですって?」

不思議なことを帆村が言ったので、三根夫は目をぱちくりさせた。

「たとえば、この店に本が並んでいるが、それは棚の一部分だけだ。ほかの棚はがら空きだ。しかし、果たして本当にがら空きなんだろうか。

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