まさかあの人が僕たちを海へ突き落としたわけじゃないだろうけれど……」
わかりません。何も見当がつかないのです。モンパパ号がとつぜん大砲を撃ったから、その勢いではね飛ばされたのかな……とも考えましたが、モンパパ号には大砲なんて積んでいなかったはずですから、これは間違いです。
やっぱり分かりません。
わけが分からないのです。
玉太郎の両手がだんだん疲れてきました。
最初はなんともなかった海水が、なぜかひどく冷たく感じられるようになりました。
熱帯の海だというのに、不思議なことです。
もうどうしようもないほど両手が痛くなって、扉にすがっていられなくなりました。
片手ずつにしてみましたが、かえって疲れてうまくいきません。
潮を何度もゴクゴクと飲んでしまいました。
そのたびに体がずぶずぶと沈んでしまい、慌ててしまいます。
そのたびにポチが騒ぎ立てました。
「これはいけない。海に負けてはいけない。夜が明けるまでは、この扉を離してはだめだ」
なにか工夫はないかと考えました。
やっと思いついたことがあります。首にかけていたナイフの紐を利用することでした。
首から紐をはずし、扉のふちに割れているところがあったので、そこへ紐を通してくくりつけました。それから紐の余りを、片方の手首に巻きつけて端を結びました。
これはいい考えでした。紐の力で、浮かぶ扉にぶら下がっているような状態になれたのです。手の筋肉は疲れずに済みました。その代わり、紐が手首を締めすぎて少し痛くなりました。玉太郎は考えて、紐と手首の間にシャツの端を押し込んで、痛みを抑えました。
眠くなりました。眠くてどうにもやりきれません。ポチが静かなのも、ポチも眠くなって寝ているのかもしれません。
頭を水の中に突っ込んでしまい、ハッとして眠りから覚めることもありました。
「寝ちゃいけない。寝ると死ぬぞ」
そんな声が聞こえたような気がしました。
玉太郎は自分の頭を扉にぶつけました。眠気を覚ますためです。玉太郎の額からは、血がたらたらと流れ出しました。しかし、いつの間にか彼は眠り込んでしまいました。
何十回目かは分かりませんが、あるとき玉太郎がハッと眠りから覚めてみると、あたりは明るくなっていました。
朝日が東の海の上からだんだん昇ってきたようです。夜明けです。ついに夜明けが来ました。
玉太郎は元気を取り戻しました。ポチも目が覚めたらしく、くんくん鼻を鳴らしながら玉太郎の方へ寄ってきて、手をなめました。
頼りにしている扉は、思いのほか大きかったのです。これなら、うまく這い上がれば、その上に体を休めることができるはずだと気づきました。
玉太郎は手首から紐をほどいて体を自由にした上で、用心深く扉の上へ這い上がりました。浮かぶ扉は、昨夜のように深くは沈まず、玉太郎の体をしっかりと支えてくれました。ポチは大喜びで、玉太郎の顔をペロペロとなめまわしました。
体が楽になったために、玉太郎はまたしばらく眠りました。
どこかで、人の声がします。遠くから誰かを呼んでいる声です。
ポチがワンワンと吠え立てました。玉太郎は驚いて目を覚まし、むっくりと扉の筏(いかだ)の上へ起き上がりましたが、とたんに体がグラリと傾き、もう少しで彼もポチも海の中に落ちるところでした。
ポチが吠え立てる方角を見ると、玉太郎の扉の筏よりもやや南よりに、同じように筏の上に一人の人間が立って、こちらに向かってしきりに白い布片を振っていました。
距離は二、三百メートルありました。玉太郎は目を凝らして、その漂流者を見つめました。
「あ、ラツールさんらしい」
玉太郎は、それから急いでいろいろな方法で合図を送ってみました。その結果、やっぱりラツール氏だと分かりました。
そのときのうれしさは、何にもたとえようがありません。「地獄で仏」とはこのことでしょう。この二組は同じ海流の上に乗って、同じ方向へ流されていたのです。
玉太郎は、どうにかして早くラツール氏と一緒にいたいと思いました。しかしその間にはかなりの距離があり、お互いに体は疲れきっていました。とてもその距離を泳ぎ切ることは玉太郎にはできませんし、ラツール氏にしても同じことだろうと思い、失望しました。
どこまで海流がこの二組を同じ方向へ流してくれるのか、安心はできません。
三百六十度、どこを見渡しても海と空と積乱雲の群ればかりで、船の影はおろか、島影一つ見えません。
熱帯の太陽は積乱雲の上を抜けると、にわかにジリジリと暑さを加えて肌を焼きつけます。不思議に命を拾って夜は明けましたが、これから先、いつまで命が続くことやら。
玉太郎は水筒一つ、缶詰一つ持ち合わせていません。前途を考えると、暗澹(あんたん)たる気持ちでした。
熱帯の太陽
腹も減りました。喉も渇いてカラカラです。だが、それよりももっとこらえ切れないのは暑さでした。
「日陰がほしいね。何か日陰を作るようなものはないかしら」
玉太郎は、自分のまわりを見回しました。もちろん帆布もありません。板の切れ端もありません。だが、なんとかして日陰を作りたいのです。玉太郎は、どうすればいいだろうかと一生懸命に考えました。
そのうちに、彼は一つの工夫を思いつきました。
今、筏(いかだ)にしている扉の一部には、薄い板がはめ込まれている場所があります。
それを小刀で切り抜けば、板片が手に入る。
それで日陰を作ろうと考えたのです。
彼はすぐさま仕事に取りかかりました。
腰にジャック・ナイフを下げていたことが、本当に幸運でした。
作業を始めると、ポチが飛んできてじゃれついてきます。
扉は格子状になっています。
そのため周囲と、中央を通る縦横には厚い木材が使われていますが、それらにはさまれた四カ所には、薄い板が張ってあるのです。
ナイフでごしごしと切り進めました。
やがて、ようやく四枚の板片を手に入れることができました。
ここまではうまくいきました。
ですが、これから先はどうすればいいのでしょう。
柱になる棒と、この四枚の板を柱に結びつけるための綱や紐が必要です。
紐ならありました。ナイフの柄についていたものです。
問題は柱になる棒です。
それさえ手に入ればいいのですが。
玉太郎は、身のまわりを見回しました。
しかし、そんなものは見当たりません。
海面も見てみましたが、何も浮かんでいません。
彼はがっかりしました。
それからしばらくして、なんとなく筏の端からうす青い海面を眺めていると、彼が飛び上がって喜ぶようなものが目に飛び込んできました。
棒のようなものがあるのです。
それは水面下に隠れていたので今まで気づかなかったのですが、間違いなく棒でした。
この扉の蝶番(ちょうつがい)があるところは、もともとネジで柱に留められていたのです。
その柱が木ネジといっしょに扉の方へ引きちぎられ、ひん曲がったまま水中につかっていたのでした。
もしこれが頑丈な柱だったり、鉄材に木ネジで留められていたりすれば、木ネジの方が折れて外れてしまったはずです。しかし、その船は作りが簡素だったので、鉄材と扉の間に隙間ができており、そこに厚さ三、四センチの薄い板の柱が詰め込まれていたのです。
だからこそ、この板は扉と一緒に外れたのでした。
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