麻の服を着て、竹の帽子をかぶり、荷物を包んだ風呂敷を腰に巻き、足にはワラで作った「わらじ」を履いた、まるでお坊さんのような格好で山口智海(やまぐち ちかい)が日本を出発した明治30年まで、チベット探検の歴史はそんな失敗の連続でした。しかし、智海さんはそんな大変な事情を、何ひとつ知りませんでした。
もし誰かに「お前はチベットへ行くと言うが、そこはどんな場所なんだ?」と聞かれても、彼はきっと「さあ、知らないよ」と答えたことでしょう。
後になってからチベットの広さや人口が発表されましたが、それだって学者によって意見がバラバラなほどでした。有名な探検家たちでさえチベットの周りをウロウロするしかなかった時代に、日清戦争が終わったばかりの日本で、チベットの本当の姿を知るなんて、絶対に無理なことだったのです。
彼が持っていたものといえば、古い中国の地図を自分で書き写した手作りの地図と、昔のお坊さんが書いた旅行記、あとは「インドのダージリンに、サラット・チャンドラというチベット語の学者がいて、辞書を作っているらしい」という噂だけでした。とりあえずその人に会ってチベットに入る方法を聞き、できれば紹介状でも書いてもらおう、と考えていたのです。
地図の上では、ダージリンからブータンを通って北へ15日か16日ほど歩けば着くはずでした。しかし、その道は150年も前から固く閉ざされていました。そこで彼は、ネパールのほうへ向かい、エヴェレストの次に高い山(ダウラギリ)を、富士山の2倍以上もある高さの場所で乗り越えて、チベットの南西部に入りました。そこから本当は東へ行くべきなのに、わざと反対の西へ西へと800キロも進み、大きな聖なる湖の周りを半分まわったところで、ようやく東へ向きを変えました。氷が溶けて流れる激しい川を何度も泳いで渡り、空気の薄い高い山の上で、言葉にできないほどの苦しみに耐えながら、なんと5000キロ近くも遠回りをして一人で歩き通し、神戸を出発してから6年目、ついにラサにたどり着いたのです。
彼がお寺にいたころの写真が残っています。お世辞にも立派とは言えないボロボロの服を着て、数珠(じゅず)を手に持って立っている姿です。
体はガリガリに痩せていて、目だけがギョロリと大きく、パッと見た感じはあまり頭が良さそうには見えません。少し怖がりで、どこにでもいそうな普通の男の人に見える彼が、まさかそんなすごい冒険をしたなんて信じられないほどですが、実は智海さん本人も「絶対に成功するぞ!」なんて思っていなかったようです。
失敗ばかりしているのに、いつのまにか上手くいってしまう政治家のように、自分の力を信じすぎることもなく、かといって焦ってジタバタすることもありませんでした。
神戸を出発する前の日、彼は友達にこう言いました。
「ぼくは体も弱いし、怖がりだから、普通の人がやるような無理はしないよ。みんなが17年かけてやることを、ぼくは30年でも40年でもかけてやるつもりだ。死ぬまでにたどり着けたらいいなと思っているんだ」
あの有名な三蔵法師(さんぞうほうし)がインドへお経を取りに行ったとき、17年もかかりました。「あんなにすごい人でもそれだけかかったんだから、ぼくみたいな普通の人間は一生かかっても当たり前だ」……智海さんはそんなふうに考えていたのでしょう。しかし、この何気ない一言が、まるで自分の未来を予言する言葉となったのです。
有名な小説の主人公が、旅に出るときに不思議な予感を感じるシーンがありますが、それと同じように、智海さんの心も、これから自分にどんな運命が待ち受けているのかを、心の奥底で感じ取っていたのかもしれません。
6月1日、インドのカルカッタに着いた智海さんは、すぐに汽車に乗ってダージリンへ向かいました。ダージリンはブータンの国境に近い、とても高い場所にある涼しい町です。そこからは、雲を突き抜けるほど高いカンチェンジュンガという山が、まるで巨大な氷の柱のようにそびえ立っているのが見えました。智海さんは、隠しごとなんて何もしませんでした。「チベットのラサに行きたいんです」と正直に自分の気持ちを伝えると、チャンドラさんは何とも言えない不思議な顔をして、しばらくの間、じっと智海さんの顔を見つめていました。
この100年の間、世界中の一流の探検家たちが挑戦しても、誰一人として成功しなかったというのに、この若いお坊さんは、まるで何でもないことのように「チベットのラサに入って……」なんて言っているのですから。
体は小さくて、まるで大きな子供のように見える、みすぼらしい格好の智海さん。そんな彼の顔を見ながら、案外、世の中の事情にも詳しかったチャンドラさんが、何を考えていたかはだいたい想像がつきます。
チベットのラマ教を信じる人たちが「自分たちが一番だ!」と威張っているのはもちろんですが、日清戦争が終わってからというもの、中国の人たちは日本人のことをとても嫌っていました。チベットにいる中国の役人たちの間でも、「中国を盛り立てて、外国人を追い出そう!」という考えが強まっていたのです。
「そんな危ない場所へ入っていったら、どんなひどい目に遭うか分かっているのかな?」とチャンドラさんは思ったことでしょう。
智海さんはラサへ行って「カンジュール」という仏教の教えが書かれた本を手に入れたいと言っていましたが、それはただの本ではありません。チベットの人たちにとっては、本というより「仏様そのもの」として大切にされているものだったのです。
北京で作られたその本は、敦煌(とんこう)という場所にある「千仏洞(せんぶつどう)」という洞窟のお寺に大切にしまわれていました。毎年5月の初めにお祭りがあるときには、遠く離れた場所に住む王様たちでさえ、わざわざその本を拝むために長い旅をしてやってくるほど、ものすごく貴重なものだったのです。
チャンドラさんにしてみれば、「この男の人は、頭がおかしくなってしまったんじゃないか?」と疑いたくなったに違いありません。
あまりにも突拍子もない話だったので、最初はまともに相手をする気にもなれませんでした。
でも、じっくり話を聞いてみると、智海さんはふざけているどころか、本気も本気、大真面目です。「このまま放っておいたら、本当に一人でラサへ行ってしまうかもしれない!」と感じたチャンドラさんは、本気になって智海さんを説得し始めました。
ラサに入るのがどれだけ難しいか、思いつく限りの例をあげて説明しましたが、智海さんはこう言って動じませんでした。「でも、チャンドラさん、あなただって入ったじゃないですか」
「あなたにできたことが、僕にできないはずがない」……そんなふうに言いたげな顔をしています。
実は、チャンドラさんという「外国のスパイ(のような存在)」が、1年近くもラサに隠れていて、目的を果たしてインドへ帰ったという知らせが届いたとき、ラサの政府はパニックになるほど怒り狂いました。
チャンドラさんに通行許可証を出した役人はもちろん、彼が泊まったり通ったりするのを助けた人たちは、事情を知っていたかどうかなんて関係なく、全員が一生出られない牢屋に入れられてしまいました。
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