初級翻訳・新西遊記 第7話

久生 十蘭

さらに、チャンドラさんにチベット語を教えたという、チベットで一番偉いお坊さんのセンチェン・ドル・ジェチャンさんは、亡くなった後でさえ、とんでもなくひどい罰を受けました。その遺体は1年もの間、毎日100回も川に沈められ、骨に残った肉をスプーンで削り取られ、薬の汁で洗われ、最後には関所の地下深くへ、まるで土下座をさせるような格好で埋められてしまったのです。

チベットの教えでは、こうされてしまうと、そのお坊さんは二度と新しく生まれ変わることができず、この世界がある限り、永遠に罰を受け続けることになると信じられていました。

自分のせいで、関係のない人たちに恐ろしい災いをもたらしてしまった。それなのに自分だけは安全な場所で、のんびりと辞書を作っている……チャンドラさんは、そのことをずっと申し訳なく思って、心を痛めていたのです。

「外国人がラサに忍び込めば、自分だけでなく、関わったすべての人を不幸にする」……本当はそう伝えたかったのでしょう。でも、さすがにそこまで詳しく打ち明ける勇気は出ませんでした。だから、「想像もできないような恐ろしい危険があるんだから、無茶はやめなさい。ここでチベット語の勉強でもして、それで帰ったらどうだい?」と、あれこれ言葉を尽くして忠告しました。

宗教というのは、本来、自分を犠牲にしてでも、他の人たちを幸せにしていくためのものです。

智海さんがチベットへ行こうとしたのも、もちろんそのためでした。でも智海さんは、自分を厳しく鍛え、あえて難しいことに立ち向かっていくことで、新しい道を切り開いていく「修行者」のようなタイプでした。だから、「危ないから」という理由だけで納得するような人ではありませんでした。

チャンドラさんのありきたりな忠告は、智海さんの心には全く響きませんでした。ただ、「チベットに入る前に言葉をしっかり覚えておく」というのは、もともとの計画通りでした。そこで、チャンドラさんの勧め通り、ダージリンから4キロほど登ったところにある「グンパール」というお寺に入ることに決めました。

グンパールは「黄教(こうきょう)」というグループのラマ教のお寺で、丘のあちこちに、白い粉を塗った四角いお坊さんの部屋が立ち並んでいました。

石の門の前の草原では、黄色い服を着たお坊さんが5人くらい、座っているのか、しゃがんでいるのかよく分からない格好で、地面にうずくまっていました。

「何をしているのかな?」と思ったら、なんと、それはトイレをしている真っ最中だったのでした。

チャンドラさんが事前に話をしてくれていたようで、シャブズンという名前のお寺の責任者が、智海さんのために部屋を一つ貸してくれることになりました。そして、1ヶ月に5タンガー(当時の10銭という、とても安い金額)の学費で、チベットの仏典について教えてくれることになったのです。

お坊さんの部屋は、厚い壁と頑丈なかんぬきがついた重い扉で仕切られた、6畳ほどの薄暗い部屋でした。羊の毛でできた敷物があるベッドと、火を焚く場所があるだけの、とてもシンプルな作りです。

お寺には50人くらいのお坊さんの卵たちがいましたが、みんな体がガッシリとしていて、とても強そうな若者ばかりでした。彼らはお経なんてほとんど読まずに、石投げや高跳び、棒術といった武道の練習にばかり夢中になっていました。そして、何かあるとすぐに草原へ飛び出して、決闘を始めるのです。

お互いにいい感じに傷だらけになったところで、誰かが仲裁に入り、最後は仲直りのためにお酒を飲む……そんなことばかりを繰り返していたのでした。お寺での勉強は、すべて「問答(もんどう)」、つまり一対一の言い合いで行われました。一人がピシッと座っているところへ、もう一人が数珠(じゅず)を手に持って歩み寄ってきます。そして、両手をパッと広げると、大きな声で「チー・チ・クワ・チョエ・チャン!」と絶叫して、勢いよく手を打ち合わせるのです。

これは「知恵の神様である文殊(もんじゅ)さまのお心」という意味の、不思議な呪文(じゅもん)でした。

問いかけられた方は、「チー・ターワ・チミエ・チャン」と答えます。

これには「宇宙の本当の真理について話し合おう」という意味があって、そこから激しい問答がスタートします。

質問をするときには、左足を高く上げ、両手を大きく広げます。そして、手を叩くリズムに合わせて、力まかせに地面をドスン!と踏みつけるという、とても激しくて荒っぽいやり方でした。

智海さんは、朝は勉強、午後はダージリンの町まで山を降りて食べ物をもらって歩く「托鉢(たくはつ)」、そして夜はお経を読むという毎日を送りました。

お寺の仲間たちは、智海さんのことを「中国から来たお坊さんだろう」と思い込んでいました。「お経ばかり読んでいて、ちっとも面白くないやつだ」と思われていたのか、みんな智海さんとはあまり関わろうとしませんでした。でも、彼らが時々話している内容を盗み聞きしてみると、驚くべきことが分かりました。チベットの国境近くにあるこういうお寺は、実は「外国人がこっそりチベットに入ってこないか」を見張るための、スパイのような役割をしていたのです。お坊さんたちは托鉢や説法(せっぽう)に出かけた先で、あちこちから情報を集め、毎日交代でラサの政府へ報告を送っていました。

必要があれば怪しい人を尾行したり、村の人たちをそそり立ててターゲットを消してしまったりする、「暗殺者(あんさつしゃ)」のような役目までこなしているというのです。

このお坊さんたちがどうしてあんなに乱暴で殺気立っていたのか、その理由がようやく分かりました。これほど厳重に見張られていては、大きな準備をしてチベットに入ろうとした世界中の探検隊が失敗したのも、当たり前のことだと思えたのです。

そんな中、フランス人の宣教師(せんきょうし)であるユックという人が書いた『韃靼(だったん)旅行記』という本が、智海さんにたくさんのヒントをくれました。

ユックさんは北京で「チベットへ布教に行け」という命令を受けると、まずモンゴルのドロンノールという場所へ向かいました。そこで、ラマ教のお寺に4年、チベットの遊牧民のテントに3年も住み込み、見た目も心も完全にチベットのお坊さんになりきったのです。さらに、200人以上の巡礼者(じゅんれいしゃ)から話を聞いて、道や関所の仕組みを徹底的に調べ上げました。

チャンドラさんの話では、この100年の間に何百人もの人がラサを目指して失敗したとのことでしたが、その中でユックさんだけが成功したのは、何があっても揺るがない強い信仰心と、誠実な人柄があったからこそでした。

「自分は今、チベット語を覚えるための道具としてお経を読んでいるけれど、こんな軽い気持ちでは、本当の目的を達成することなんてできないぞ!」智海さんはそう自分を奮い立たせると、思い立ったその日のうちに、神様や仏様に誓うための「誓願文(せいがんもん)」を書き上げました。

その誓いには、全部で26もの厳しいルールが書かれていました。

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