初級翻訳・海豹島 第6話

久生 十蘭

技手の清水は、島の秩序を守るために酒樽が入っている倉庫に鍵をかけ、銃器をまとめて看視員小屋に立て籠もりました。しかし、あっけなく小屋から引きずり出され、息の根が止まるほど「胴上げ」をされたのです。
技手を毛布の上に乗せ、四人の暴漢が四つ隅を持ち、毬(まり)のように高く放り上げては受け止める。
技手は逆さになったり斜めになったりして、両足をバタバタとさせ、息をつく暇もないほど忙しく、空と毛布の間を行き来しました。
最初はかん高い悲鳴を上げていましたが、最後には呻き声さえ出なくなりました。
激しい動きのために内臓がくたくたになり、息もしなくなった技手を、泥酔した四人の暴漢は笑いながら、いつまでも残酷な遊戯を続けたのでした。技手は血を吐いただけで、殺されるところまでは至りませんでしたが、半月ほどは床に伏したまま動けませんでした。狭山は立ち上がって、まるで目の前でその光景を再現するかのように演じてみせたあと、腹を抱えて止まることなく笑い続けました。
そのうちに、彼は不気味なほど楽しげな様子で自分の寝台のほうへ這っていくと、オットセイを引きずり出し、まるで愛おしくてたまらないといった様子で、引き倒したり転がしたりと、直視するのもはばかられるような狂った様子を見せ始めました。
オットセイは、まるで腸を掻きむしられるような悲しげな声で鳴き立てました。
私はそこに居たたまれなくなり、小屋を飛び出しました。
霧の中で、遠くから雷鳴のような音が響いていました。

第六日

夜の十時ごろから強い北風が吹き出し、朝になると吹雪に変わって、まるで癇癪(かんしゃく)を起こしたかのように荒れ狂いました。
今日あたりは島を離れられるかと思っていた希望も、これでは一瞬で打ち砕かれてしまいました。
私は起き上がる気力も失せ、木箱を並べた寝台にひっくり返って吹雪の音を聞きながら、ここ三日間ずっと頭を離れない問題について考えていました。
もしこの島に人間が潜んでいる可能性がないとすれば、あの髪飾りの持ち主は死んだと考えるほかありません。しかし、それならば死体はどうなったのでしょうか。
五人の焼死体はあるのに、なぜ髪飾りの持ち主の死体だけがないのか。
昨夜、狭山は島に取り残されてからの生活を語りましたが、その中には取るに足らないような些細な話ばかりでした。
この島に若い娘がいて、そこで亡くなったというのは、この島にとっては大事件であり、当然話題にのぼるはずなのに、彼は一言もそれには触れませんでした。
いろいろと考えているうちに、私はその娘が一月四日以前に殺害されたのだと確信するようになりました。
一九〇三年に英国で公表された『スウェルドルップの告解』という記録があります。北極のクングネスト島を探検した際、ジョンス湾に残留したフラム号の乗組員十名が、一人の女性をめぐって争い、全滅の危機に陥った惨劇の記録です。
二人は発狂し、他の八人は猛獣のように殺し合いました。
その中には二組の父子が含まれていました。
争いは果てしなく続き、全員が死滅すると思われた時、ひとりの気丈な船員が、生き残った同僚の命を救うために、ひそかにその女性を絞め殺し、死体を海中へ投げ込んでしまったのです。
この秘密は、その後二十年の間、各自の厳重な沈黙によって守られていましたが、スウェルドルップの臨終の懺悔によって初めて明らかにされました。
荒涼とした絶海の孤島に住む六人の荒くれ男の中に、ただ一人の若い娘……。そのことは、当然起こるべくして起こったのでしょう。
どのような光景だったか、想像するに難くありません。
比喩的な表現を使うならば、六人の男たちは、このオットセイの島の気質にならって、激しい争奪の末、無残にも雌をひき裂いてしまったのです。
狭山がそれを口外しないのは、共通の秘密に対する仁義を守っているからであり、そうしたものこそが、彼らの社会における良心なのでしょう。
では、死体はどのように始末したのか。
すぐに思いつくのはボイラーの火室で燃やす方法ですが、島の乾燥室にあるのは、横置きのコーニッシュボイラーという簡単な装置です。効率よく熱ガスを利用するために、水管が燃焼室の中に垂れ下がっており、粉炭を使用するため焚き口は小さく、二重に火格子を持つ特殊な構造です。そのため、死体をバラバラにしたとしても、火室で人間を焼却することは不可能です。
また、この島の氷の下は第三紀の硬い岩盤になっているので、氷を掘って埋めるという考えも無意味です。砂浜に埋めたとしても、春になって氷が解ける時期の潮の満ち引きによって、春先にはぽっかりと海面に浮かび上がってくる危険があります。
要するに、娘の死体は海中に投げ入れたか、あるいはバラバラにして海鳥に食べさせてしまったのでしょう。

昼食をとるついでに、清水技手の気象日誌で結氷の時期を調べてみようと思い、正午近くに小屋へ出かけました。
狭山は相変わらず陰気な様子で椅子に腰かけており、オットセイはひもじそうな顔をして寝そべっていました。
私はランプの下で気象日誌を広げ、注意深くページをめくっていくうちに、十二月二十日の日付の下に、次のような記述を発見しました。
「十二月二十日、晴天。昨十九日午後五時ごろ、本島の北北西(NNW)に多数の漂氷を見たが、同夜半以来急速に発達して野氷(氷原)を形成した。海岸から氷堤の縁辺まで約五海里(約九キロメートル)に及ぶ」
この記録によって、私は「死体は海中に投棄されたのではない」と断定を下しました。
娘は確かに十二月二十七日まで生存していたはずですが、それより一週間前の十二月二十日には、海はすでに五海里の沖まで凍りついています。
デコボコの激しい氷原を五海里も死体を運搬するのは困難な仕事であるばかりでなく、野氷の境界線は常に不正確なもので、表面から見ただけでは浮遊する群氷と堅固な氷原との区別がつきません。
死体を海中に投棄するには、どうしても氷原の果てまで行かなければなりませんが、自殺するつもりでもなければ、そんなことは実行不可能だからです。私は、塩漬けの加工場にある岩かげに、たくさんの白い骨が散らばっていたことを思い出しました。帰り道に遠回りをしてそこへ行ってみると、胸をドキドキさせながら必死で探してみましたが、そこに転がっていたのはアザラシやオットセイの骨ばかりで、人間の骨は見当たりませんでした。
私は避難小屋のストーブのそばに座り込み、血のように赤いバラの花の髪飾りを手に持って弄びながら、いったいどんな素性の娘だったのだろうと考えました。

第七日

午前九時ごろ、ふとした考えが頭をかすめました。半分眠っているようなぼんやりとした意識の中でその考えを保っていましたが、完全に目が覚めると、それはとてもはっきりとした形で心の中に定着しました。
「彼女は、この島で生きているのではないか?」
もしこの島に若い娘がいたとしても、それは彼らの生活の範囲内のことであり、特別に隠さなければならないようなことではないはずです。
また、仮にその娘を殺したとしても、死体はたぶん適当に放置されたことでしょう。
当時の樺太には、一人の人間の死をあれこれと問題にするような、神経質な習慣はありませんでした。

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