初級翻訳・キャラコさん 第4話

キャラコさん

しかし、あまりにも冷たい返事だったため、秋作もさすがに腹を立て、槇子に向かって「君はクソみたいなやつだな」とひどい言葉をぶつけたのだと、あとからキャラコさんは耳にした。
それ以来、秋作は沼間の一族とは一切関わりを絶ってしまった。
怒りに任せてお酒ばかり飲んで歩いているという噂もあったが、そんな秋作がなんと、つい二日前に、三十二、三歳くらいの少し年齢が上の女性と一緒にフラリとこのホテルへやって来て、沼間夫人を大いに驚かせたのである。
その女性は、なんだか肌が黒っぽくて、ひどい斜視(反対の目を向いてしまうこと)で、まるで棒を飲み込んだみたいにピシッとした硬い感じの人で、端正でかっこいい秋作と並ぶと、なんとも不思議な対照をなしていた。
『社交室』の噂話によれば、ものすごいお持参金がついているらしく、名古屋の上流社会では誰もが知っている有名なお嬢さんだということだった。
秋作がその『黒いお嬢さん』と二人で食堂に入ってきたとき、沼間の一族もそこに居合わせていた。
しかし、槇子は二人連れを見てもまったく動じず、秋作のほうもチラリと見返しただけで、顔色一つ変えずにそのまま奥のテーブルへと歩いていってしまった。
どちらもあまりにさっぱりとした態度だったので、見ているキャラコの方がかえって驚いてしまったほどだった。
秋作は、もう四、五年も長六閣下の家には顔を出していないが、毎年クリスマスになると、必ずちょっととぼけたオモチャや小さなお人形をキャラコさんに送ってきてくれた。
どれも高級なものではなかったけれど、キャラコさんはそれがとても嬉しかった。
長六閣下も、「あいつは優しすぎるから、結局のところ軍人には向かん男だ」と言っていた。
そんな秋作の今回の行動は、ちょっとどうなのだろうと首をかしげたくなるものだった。

その秋作が、ようやく体を動かした。
ぐっと伸びをして、面倒くさそうに椅子から立ち上がった。
ずっと静かにしていたものだから、近くにキャラコがいることに気づいていなかったらしい。
びっくりしたように少し離れたところからじっと見つめてから、大股で歩いてきてキャラコさんの目の前にズシリと立った。
(秋作兄さんは、本当にカッコいいなあ)
下から見上げながら、キャラコさんは心の中でそう思った。
秋作は今年で三十三になる。
すらりとした美しい体つき。
思わず見とれてしまうほど引き締まった綺麗な腰のライン。
切れ長の鋭い目。
浅黒く引き締まった顔立ちは、いかにも頭が良くてキビキビとした雰囲気だ。
「おい、どうしてこんなところにいるんだ?」
「あたし、一人のほうが落ち着くから」
「変なやつだな。
みんなはお茶を飲みに行ったぞ」
「お茶なんて、飲みたくないもん。
……誰もいなくなったら、一人でピアノを弾いて遊ぼうって思ってたの」
「ふうん、じゃあ、おれが出ていくのを待ってたのか?」
キャラコさんは、包み隠さず素直に答えた。
「うん、そうなの」
秋作は、見栄を張ったりしない、この素直な従妹のことが大好きだった。
小さい頃から優しくて、謙虚で、誰からも愛される不思議な魅力を持っていた。
他の子が言ったらすごく生意気に聞こえそうなことでも、この子が言うとなぜか愛嬌たっぷりになってしまうのだ。
誰に対しても優しく、愛想よく振る舞うのに、だからといって誰とでもすぐに軽々しく親しくなったりはしないしっかりした一面もあり、物事を理解する力や感じる心がとても豊かで、どんなことに対しても間違った判断をせず、いつも穏やかで正しい意見を持っていた。
女学校時代には『常識さん』というあダ名がつけられ、学校中の人気者だった。
ちょっと他にはいないくらい心が広くて、どんなに意地悪をされてもニコニコ笑っているので、意地悪をした方が思わず負けを認めてしまうほどだった。
めったに感情をあらわにせず、すごく我慢強いので、パッと見はただ内気な女の子のようにも見えるけれど、さすがは長六閣下の血筋を引いているだけあって、芯はものすごくしっかりしている。だから、この子を甘く見ていい加減な態度をとると、最後には痛い目を見るハメになるのだ。
四、五年会わないうちにすっかり立派なお嬢さんになっていたが、その素直さだけは子供の頃とまったく変わっていなくて、秋作はなんだか微笑ましい気持ちになった。
秋作は、長六閣下の一家が質ましい生活をしていることをなんとなく知っていたので、ホテルのロビーでキャラコさんを見かけたときは、きっと人違いだろうと思ったくらいだった。
キャラコさんの話を聞いて、沼間夫人が無理やりここに連れてきたことが分かったが、それでも驚きの気持ちは消えなかった。
なぜなら、沼間夫人が親戚の若い子に優しくするなんて、奇跡でも起きない限り絶対にありえないことだからだ。
秋作が見ると、キャラコさんはとても地味な服を着ている。
地味なこと自体は構わないけれど、これではまるで槇子たちの付き人か小間使いにしか見えないじゃないか。
そんなふうに無理やりこんな場所へ連れ出しておきながら、こんな格好をさせておくなんて、沼間夫人も本当にひどい人間だと、秋作はだんだん腹が立ってきたのだった。なにしろもう年頃なのだから、こんなに素直な娘でも、心の中ではやはり情けなく感じているに違いない――そう思うと、秋作氏は急にキャラコさんが可哀想になってきた。
この様子では、お小遣いなども絶対に持っていないにちがいない。
秋作氏はキャラコさんの本当の気持ちなど知らないものだから、槇子たちのグループからはずれて、ここでしょんぼりしているのは、お小遣いがないせいなのだと勝手に勘違いしたのだ。
「おい、お前、お小遣いがないんだね。
それで、みんなからはずれているんだろう。
本当のことを言いなさい」
この質問に、キャラコさんは目を丸くして驚いた。
「あら、お金なら持っていますわ。
お父さまからいただいてきましたから……」
秋作氏は、なんだか疑わしそうな顔つきで、
「ふうん、いくら?」
と訊いた。
キャラコさんが誇らしそうに答える。
「三円!」
こんどは秋作氏のほうがあっけにとられてしまった。
この超高級なホテルで半月も暮らそうというのに、たった三円しかお小遣いを持っていないなんて。
秋作氏は、思わず大きな声をあげた。
「三円!」
秋作氏がなぜそんなに驚くのか、キャラコさんにはさっぱりわからなかった。
「それに、まだぜんぜん使っていませんわ。
叔母さまのお伴で来ているんだから、お金なんかちっともいらないもの」
「では、あの叔母は、小遣いもくれないのか?」
「いいえ……。
だって、あたし、自分で持っていますもの」
「お菓子を食べに行くとき、いったい誰が払うの?」
「お菓子なんか、食べに行きませんわ」
秋作氏は、すっかりあきれてキャラコさんを見つめた。
「ここへ来てから、まだ一度もか?」
「和爾さんたちに招待されたとき、たった一度だけ」
「それで?」
「それで、って?」
「何かほしいものがあるときは、どうするんだい」
「ほしいものなんか、何もありませんわ」
「ふむ、それで、その三円がいままでちゃんと残っているんだね」
「ええ、そうよ。

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