お寺の記録では、今から四百年ほど前に野宮権九郎(ののみやごんくろう)という人が海から拾い上げた仏さまだといいますが、地元の土地の人たちは、もともとこの沖合の小さな島に「子産み殿(こうみどの)」という名前で祀(まつ)ってあった神さまだと信じていました。文字の読み書きのできない昔の土地の人たちが言っていることの方が、どうやら本当のことに違いありません。
なぜなら、このお堂には、子どもを生んだものの母乳があまり出なくて困っている女性たちが、たくさんお参りにやって来たからです。
そして、お参りのお礼には、「つぐら」と呼ばれる、赤ん坊を入れておく藁(わら)で作ったゆりかごのような道具を持ってきて、お堂の脇にある青木の枝にぶら下げました。その数は、いつ見ても何百個もあるのではないかというほどたくさんありました。
この神様も、お地蔵さまと同じように、とても子どもが大好きだということで、何かお祭りがある時には、村々からたくさんの子どもたちが集まってきたということですあんなに怖そうな顔をしたお不動さまでさえ、姥神(うばがみ)と一緒に住んでいれば、つぐらの中の赤ん坊たちをやさしく守ってくれる保護者だったのでした。
お盆の時期になると、子どもたちが閻魔堂(えんまどう)にお参りするのも、やはりあのおっかないお婆さん(お地蔵さまや姥神のような存在)がそこにいるからだったのでした。
(『頸城三郡史料』。新潟県西頸城郡名立町)
日本は昔から、子どもたちが神さまたちに心から愛される国だったのでした。
道祖神も、お地蔵さまも、遠い外国からこの日本にやって来てから、しだいに日本の少年少女たちのよき友となったのは、まったく私たちの国のあたたかい風土や人柄にすっかり染まったからなのでした。子安姫神(こやすひめがみ)の美しく尊いもとのお力がなかったら、代々の子どもたちが元気にすくすくと育って、みんなで力を合わせてこの国を大きくすることもできなかったように、子どもたちが楽しみながらたくさんの伝説を覚えていてくれなかったら、人とこの日本という国の結びつきは、今よりもずっと弱いものになっていたかもしれません。
子どもたちが果たしてくれたその大きな役割や功績に比べたら、私の書いたこの一冊の本なんて、まだまだあまりにも小さなものです。
これから先に出てくる日本の伝説集は、もっと面白くて、そしていつまでも決して忘れることのできないような、もっともっと立派な学問の本でなければならないのです。
【伝説分布表】
この本の中で紹介した伝説について、市町村の名前がわかっているものを表にして並べてみました。
ここに載っていない県や郡、町村であっても、それはただ私が知らなかったというだけで、実際に調べてみたら、もちろん同じような伝説がいくらでもあることと思います。
下に書いてある数字は、本のページ数です。
もしみなさんの村や町の名前が出ていたら、まずはそのページから開いて読んでみてくださいね。
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