初級翻訳・木の子説法 第3話

木の子説法

……同じ少年のせいで、ほんの少しの間に、一度は膝をまたがれ、一度は脇腹を小突かれ、三度目には腰を蹴飛ばされてしまった。
彼はものすごい勢いで、何度もトイレ(お茶飲み所)を行ったり来たりしていたのである。
そんな様子を見て、一樹が、例の指を胸につけ、その指で左目をそっと押さえたかと思うと、
「毬栗(いがぐり)頭の子どもなんて、ある意味じゃ福の神ですよ」
 と私を見て苦笑いしながら、羽織で夏帽子をぐるぐると包み込み、ミシッと音を立てさせて自分の尻の下に敷き、あぐらをかいて手のひらを上に向けて見せた。
「子どもたちに踏まれるより、こうしていたほうがよっぽどさっぱりしますよ」
 いったいどうして、この画家さんはこんなに落ち着いているのだろう――昔は桶屋や鋳掛屋(いかけや)でもやっていたんだろうか?……いやいや、落ち着いているどころか!……関東大震災の前は、十六七歳の頃、彼は賭博の小僧だったのだ。
――その家、いや長屋があったのは、妻恋坂の下――神田明神の崖の裏にある隠れ路地で、二階建ての一間きりの古い家だったが、なぜか物干し台だけが新しく突っ立っていたという。
――
 これを聞いていたからこそ、私は以前から知っていたせいもあるのだろう。
おかしなことに、私たちが今まさに寄りかかろうとしているこの欄干は、まわりにぐるりと板敷きが取られていて、階段が長方形の大きな穴をくり抜くようにして取り付けられており、しかも新しく作り直されたばかりだった。そのため、最初からまるで、毛利一樹という人間の自叙伝に出てくる「妻恋坂下の物見の景色」そのもののようように思えてならなかったのだ。
「――これはこのあたりのものでござる――」
 藍色の長上下(ながかみしも)を着て、黄色い熨斗目(のしめ)をまとい、小刀を差し、持扇を手にして、舞台の上で名乗ったのは――背が低く、肩が四角張った、体に力が入りすぎているのか、あるいは癇癪(かんしゃく)持ちのせいなのか、首がやや傾げた道化役(アド)の俳優だった。
「――我が屋敷に、今年初めて、何者とも知れぬキノコが生えてまいった――ひたすら取って捨てても、夜の間にまた生えてくる。何度取ってももとどおりに生えてくる。こんな不思議なことはござらぬ――」

 『鷺』や『玄庵』、そして主役(シテ)が登場する前に、この物語の都合上、一樹――本名を幹次郎という彼の、あの妻恋坂時代のことについて話しておかなければならない。
はじめの頃、めっぽうお酒に酔った時には、画工さんは何度もその話をしていたので、私たちはまるでその言葉通りに覚えているほどだった。
しかし、名前が世間に知れ渡り、売れっ子画家になってからは、その素振りすら見せなくなり、自分の過去の一端に触れることさえ避けるようになった。
苦労話や立志伝というものは、往々にして、その言葉とは裏腹に、自分を大きく見せようとする自己誇示や、陰気な自画自賛、あるいは謙遜を装った高慢ちきになってしまうことに気づいたからだ。
話の途中で――主な話題はキノコのことだったが、彼が番組の『茸(くさびら)』の話から逃げるようにして、近江の国の比良(ひら)のタコの昔話などを語ったりしたことからも、彼の普段の態度がよくわかるだろう。
ただし、以下のひとコマは、かつて一樹――幹次郎自身が話してくれたのを、ほとんどそのまま再現したものである。
――その年の残暑の激しさといったら、筆舌に尽くしがたいものでした。
家の中にいる人間はみんな裸です。
六畳と三畳の間に、二階が六畳という狭い家ですから、ふすまを開け放しにしているので中の様子はみんな丸見えですが、近所中が似たようなものだから、そんなことは誰も気にも留めませんでした。
――色気だの世俗の情だのと言っていられる連中が、ただの暑さくらいでそんな格好をしているわけではありません。
実は、着る服がまるらなかったのです。
――これが真冬だったら、とっくの昔に凍え死んで、今こうして私たちに口を利いているような連中は、皆さんの目の前から消えていなくなっていたことでしょうね。
男たちはまだしも、女たちまでがそうでした。
奥様(ごしんじょ)――いま時分には妙な呼び方ですがね。
……主人が医者の落第生なものですから、落第生でも一応は奥さんというわけです。
……当面の収入源といえば小さな賭博が目当てでしたから、裏社会の末端にいるような人間でも、女は「姉さん」と呼ばれていました。
――話のついでですが、裸の男たちの中で、お尻が黄色かったのがその主人で、汚れた褌(ふんどし)を締めていたんですが、その褌がまるで「畚(もっこ:土などを運ぶ網カゴ)」みたいだったんです。褌が畚じゃあ、「姉御」とは呼べませんよね。
それにもかかわらず、普通なら「姉さん」とでも呼ぶべきところを、みんながなぜか「ごしんじょ」と呼んでいたのです。
――
 万世橋の向こう側の――町の裏店で、もとは洋服の転売をしていて、いまはいかさまな碁会所を開いている――金六、通称「ちゃら金」という、まるで場末の道化師(ひょうきんもの)のようなハゲ頭の男が、しょっちゅう顔を出しては「ごしんじょ、ごしんじょ」と呼びかけていたのが、いつの間にかみんなの口癖になってしまったんですがね。
――膝や股を隠すようなものといえば、腰から無理やり釣り下げたような、ただ胸を包んでいるだけの布きれ一枚……。
あとはただ、真っ白で……冷たくて……それだけなんです。
冷たいと断定してしまうのは妙な話ですが、毎日飢えてお腹を空かせているんだから、夏場であっても体に熱エネルギーなんて残っていなかったんでしょうね。
死に際に熱でも出ないかぎりは――まあ、みんな若いから、そこまでガリガリに痩せ細っているわけではありませんでしたがね。中肉で、脚のすらりと、小股のしまった、瓜ざね顔で、鼻筋の通った、目の大い、無口で、それで、ものいいのきっぱりした、少し言葉尻の上る、声に歯ぎれの嶮のある、しかし、気の優しい、私より四つ五つ年上で――ただうつくしいというより仇っぽい婦人だったんです。
何しろその体裁ですから、すなおな髪を引詰めて櫛巻でいましたが、生際が薄青いくらい、襟脚が透通って、日南では消えそうに、おくれ毛ばかり艶々として、涙でしょう、濡れている。
悲惨な事には、水ばかり飲むものだから、身籠ったようにかえってふくれて、下腹のゆいめなぞは、乳の下を縊ったようでしたよ。
空腹にこたえがないと、つよく紐をしめますから、男だって。
……
 お雪さん――と言いました。
その大切な乳をかくす古手拭は、膚に合った綺麗好きで、腰のも一所に、ただ洗いただ洗いするんですから、油旱の炎熱で、銀粉のようににじむ汗に、ちらちらと紗のように靡きました。
これなら干ぼしになったら、すぐ羽にかわって欄間を飛ぶだろうと思ったほどです。
いいえ、天人なぞと、そんな贅沢な。
裏長屋ですもの、くさばかげろうの幽霊です。
その手拭が、娘時分に、踊のお温習に配ったのが、古行李の底かなにかに残っていたのだから、あわれですね。
千葉だそうです。
千葉の町の大きな料理屋、万翠楼の姉娘が、今の主人の、その頃医学生だったのと間違って。
……ただ、それだけではないらしい。

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