ひとりでに、頭のてっぺんへと流れていく涙のなかで、網の上の初茸が、おなじように、むくむくと傘の軸を動かすと、ぼくはその下に、激しく燃えさかる炎を思い描いていた。
みんな、ほんの一瞬の間だったけれど、その、くるくる回っている胸元が、ふわふわと浮き上がり、なめらかに白く、一列に並んでいるように思えた……。
(心配しないでね。
)
と、ほほえみながら言ったお雪さんの言葉が、逆さになって聞こえたのか、(お逃げなさい、危ないよ。
)という風に聞こえて、その白い菩薩たちの列の一番端っこ、お部屋の入り口に一番近いところへ――まるで何かに導かれるように、自分の頭と足をこすり合わせながらはい出すと、我知らず声をあげて、わっと泣きながら外へとび出したんだ。
路地の入り口の石段をとび上がり、入道雲がむくむく立った空のもと、まるで桟橋みたいな、妻恋坂の土にしっかり足をつき立ったこの時ばかりは、なぜか不思議と落ち着いていて――博徒の仲間たちの小僧なんかじゃない。
――ひとりで気持ちがグッと高ぶったのと同時に、足がもつれるように、腰からガクンと倒れ込んでしまった。
」
天地が大きく揺れ動き、瓦がパラパラと落ち、石が崩れ、壁がドサッと落ちてくる血煙のなかで、一樹(いちじゅ)がハッと我に返った時には、もう家の上に別の家がグニャリとめり込んでいて、目の前では、あの物干し台がまるで折れた三徳ナイフのようになって――あの辺り一帯は火のまわりも早かった――ものすごい勢いで燃え上がっていたそうだよ。
これこそが――あの有名な、大正十二年九月一日の大地震だったんだ。
「それがし、九識の窓の前、妙乗の床のほとりに、瑜伽の法水を湛え――」
そのころ、舞台の上では、主役のシテが、
――山の草や、朽ちた木などにこそ生えるはずのキノコが、人間が住んでいるお屋敷のなかに、場所も選ばずニョキニョキと生えてくるのを気味悪がり、悩んだ末に、ここにいる法力のすごい山伏に、祈祷をお願いしようと、橋がかりに向かって呼びかけた。
これに応じて、山伏が、まずは幕の裏側から謡(うた)い始めたんだ。
しかし、鷺玄庵(さぎげんあん)と聞いただけで、思いがけないほど若く、色気があって、しかも落ち着きのある声だった。
幕が――スルスルと上がる。
――
「――三密の月を澄ます所に、道案内を申し出るとは、いったい誰なのだ。
」
すらすらと美しい足取りで歩き、露を払うように進む篠懸(すずかけ)や兜巾(ときん)の山伏姿は、源義経の家来である弁慶というよりも、むしろ源義経(判官)その人か、あるいは新中納言のような、山伏の姿に身を包んだ凄みがあって、そのうえ色白ですごく美しい。
まわりの松の木々も深い影をまとい、袴はまるで霧にのるかのように軽やかで、三密の唱え声は明るく、それでいてどこかゾクッとするほど陰気で、月は冴えわたり、風は白く吹き抜ける。
まるで伝説の化鳥(けちょう)の鳴き声のような、すんだ冴えがあるんだ。
「ああ、女の人だ……。
もしかして鷺流(さぎりゅう)の狂言かい?」
ぼくがひそかに隣の人に尋ねると、
「さあねえ。」
それだけ一言言うと、一樹はじっと真剣な目で凝視めて、見る見るうちに顔の色が変わっていくとともに、二度ばかり続け様に、自分の胸をトントンと撫でて、両手で目をピタッとおさえた。
話を先に急ごう。
……狂言の細かいところは省いて、だいたいの筋だけを話すね。
舞台の上には、なんとキノコ役が十三人も出てくるんだ。
だけど実は、この気味の悪い怪異を祈り伏せようとして、三山の法力を用い、秘密の印を結んで、ゴツゴツとした数珠を揉めば揉むほど、かえって数え切れないほど一面にキノコが生えてきて、どんどん数がふえていってしまうんだ。
キノコ役のまわりの者たちは、みんなして、見徳(みとく)、嘯吹(うそぶき)、上髭(うえひげ)など、思い思いのヘンテコなお面をかぶり、括袴(く括りばかま)、脚絆(きゃはん)、腰帯、水衣(みずごろも)に身を包み、そろって笠をかぶっている。
塗笠(ぬりがさ)、檜笠(ひのきがさ)、竹の子笠、菅(すげ)の笠。
松茸、椎茸、とび茸、おぼろ編笠、名前も知らないような、いろんな菌(きのこ)ども。
その笠の形を、見ている人たちは、自分の心のままに想像してほしい。
「――あれれ、」
女の山伏が、やさしい声を出して、
「気のせいかしら、キノコの軸に、目や、鼻や、手や足みたいなものが見えるよ。」
と言う。
そのセリフに合わせて、本物のキノコどもが、目をひん剥いて、舌をペロッと出してあざ笑うのが、憎たらしくも毒々しいほどで、山伏の姿は気高くキリッとしている中にも、どこかか弱く見えた。
いくち、しめじ、合羽、坊主、熊茸、猪茸、虚無僧茸(こむそうたけ)、のんべろ茸が、どんどん生え、殖えていく。
蒸し上がり、にゅーっと抜け出てくる。
……お地蔵様が化けて、月のむら雨の中で托鉢(たくはつ)をめぐっていらっしゃるかのように、ぼんやりと朧気(おぼろげ)にずらりと並んだ時は、その陰気な雰囲気が、赤い毛氈(もうせん)の敷かれた舞台を圧倒して、金や銀にきらめく扇子の、秋の草花や、散りばめられた露や砂子さえも暗く感じさせた。
女性の山伏は、それを見るとなお一層美しく見える。
ああ、窓の外に稲妻がピカッと走る。
胸がドキンとどろめく。
たちまち、この時、おそろしい鬼の頭巾に武悪(ぶあく)の面をかぶり、極めて毒々しく、邪悪な相をした大キノコが、傘を半分だけ開いてかざし、みしっと面を隠しながら姿を現した。
しばらくして、この傘をパッと大開きに開き、鼻でふーっと息を吹き放ち、毒を吐きながら、「とって食ってやろう、とって食ってやろう。」と躍りかかっていく。
おそいかかり、引きずり回し、十三のキノコたちは、相方の山伏をなやまし、さんざん嬲(なぶ)りものにして、山伏もいっしょに追い詰められていくのが本来の筋のはずなのに。
――
「あれまあ、あんなに毒々しい半開きのエノキタケが出現したぞ。あれが開いたらいったいどれほどたくさんのキノコが出てくるんだろう。」
山伏のセリフにつれて、例の毒キノコが、二の松の柱を押そうとするその時だった。
幕のすそから、ひょろりと出てきたものがある。
おかっぱ頭で、白い袖の着物を着た、色白の、丸顔の――あれはいったい、いくつくらいの子だろう? 這っているから二歳か三歳くらいだと思う、か弱くて小さな女の子で、カサカサと衣の膝がこすれる音がする。
ここはキノコたちが我が物顔ですべてを支配している山奥なのだ。舞台は、山伏の強い気力がこもっていて、しんと静まりかえっている。
トントン、と、これまで誰もほとんど足音を立てなかったその場所へ、屋根は熱を持ち、天井はむんむんと蒸し返り、吹き込む風すらないというのに、カサカサと音が聞こえてくる。まるで、九十九折(つづらおり)の険しい山道へと、たった一人で篠竹(しのたけ)や熊笹をかき分けながら、赤ん坊がハイハイして這い出してきたかのような、思いもよらない不気味さだった。
ああっ、山伏の姿を見て、口をニヤリと笑う。
ゾッとするような恐ろしさだった。
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