いつも唇をギュッと固く結び、まるで周りを圧倒するような鋭い目で先生の講義をじっと聞き、おちついた心地よい声でそれはもう見事なお手本のようにハキハキと本を読み上げるのだった。
「結構です、たいへん結構!」
どの先生も、みんな小太郎のほうを褒めちぎった。
どの教官を見ても、どうやら小太郎びいきのようだった。
「これは新泉の書いたものだがね、字というものはこう書かなくてはいけないんだ。みんな順番に回してよく見ておくように」
そんなことが毎日のように繰り返された。
父親の新泉宗十郎(にいずみそうじゅうろう)というのは、藩の次席家老だという偉い立場らしい。だから先生たちも特別にかわいがっているんだろう。
悠二郎ははじめそう思ってみたものの、あのとき花田先生が言った言葉が頭から離れず、どうにも気になってしかたがなかった。
――近いうちに若君の御学友におまえをあげるつもりだ。そのなかでも君と小太郎の二人に、いちばん望みをかけているんだ。
誰にも言えない極秘の約束だというし、こっちはあんな窮屈で堅苦しい役なんてまっぴらごめんだから、まだ誰にも一言もしゃべっていない。それに、なるべくそんな話にならないように――つまり「お前は素直で優秀な良い子だ」と周りに勘違いされないように――わざとふまじめに振る舞っているというのに、心のどこかではどうしても小太郎に対して対抗心がメラメラと燃え上がってしまうのだ。
おれだって花田先生には大きな期待をかけられていたんだぞ――そう言って自慢してやりたい気持ちで、胸の中がむずむずしてたまらなかった。
だが、一番腹が立って癪(しゃく)に障るのは、その相手の態度だった。なんと新泉小太郎のやつは、こっちをまるで空気のように無視しやがるのだ。
すまし顔でどっしりと構え、こっちの顔などこれっぽっちも見ようともしない。
もともと無口な性格のようだったけれど、こっちから二度、三度と話しかけてやったのに、「そうだな」「いや」とそっけない返事をするだけで、全く相手にしてくれないのだった。喧嘩をしかけてやろうとしてもそんなチャンスはないし――とにかくくやしくて、毎日学校に通うのもいやになるくらいだった。
双子の兄である松太郎とは、ふしぎなくらいに関係がなかった。
同じ家に住み、いっしょに学校へも通っていたのに、まともに言葉をかわした記憶もない。
双子は性格も似ると言うけれど、必ずしもそうとは限らないらしい。
兄はなんだかぼーっとしているみたいに穏やかで、学校へ行けと言われれば「はい」、剣術をやれと言われれば「はい」、勉強しろと言われれば「はい」、ご飯だ、寝ろ、起きろと言われれば――一日中「はい、はい」と大人しく言いなりになっていた。
こっちはどうしてもそんな風にはできなくて、自分でもたまには落ち着いていようと思うのだけれど、少し長く座っていると眠くなるか、耳の中でセミが鳴いているような気持ちになってくる。
手足がムズムズし始めて、体のあちこちがかゆくなってきて、つい勝手に外へ飛び出してしまうのだ。
「悠二郎が来てから、家の中がめちゃめちゃになってしまった」
父はよくこう言って眉をしかめた。
確かにそうかもしれないけれど、責任がどちらにあるのかは別の問題だと思う。
なにしろここは浅草の家と違って、大きな川もなければ舟もないし、見世物も原っぱも砂利山も、何にもないんだから。
庭はあるにはあるけれど、へんてこな石だの芝生だの植え込みだの池だの、コケの生えた石灯籠だの、それぞれがまるで物差しで測ったみたいにきっちりと、いやによそよそしく並べられていて、木の枝を一本折っただけでも「こらっ!」と怒鳴られる。
「その枝は、そこの木の陰を生かすために伸ばしてあったのだ。それを折ってしまったら、まったく見栄えがしなくなってしまうではないか、おろか者め!」
池のふちにあるへんてこな岩には、肩のところに出っ張りがあった。
形が悪いから、それを金槌(かなづち)で叩き割ってやったのだけれど、そのときも同じように小言を言われた。
それから、踏み石――玄関脇の木戸口から広い縁側まで、平べったい石が飛び石のようにおいてある。
それを踏んで歩くようになっているんだけれど、それがすごくいい加減で、一つは左へ、次は右へと、なんだか変に曲がって置かれていた。
おそらく意地悪な人間か、目の悪いやつのしわざに違いない――よし、たまには良いことでもしてやるか、悠二郎はそう思って、その石をきれいに一列まっすぐに置き直した。
たいして大きくも厚くもないのに、重さはべらぼうに重かった。
彼は汗だくになり、やり終わったときには足がふらふらになっていた。
人知れず良いことをするというのは気持ちがいいものだ。悠二郎は、父がそれを発見したときの驚きと褒めてくれる声を想像して、疲れも忘れてワクワクした。
――だが、その結果はまったく予想とは違うものだった。
どう予想に反したかは言わないほうがいいだろう……要するに彼は、父が見ている前でもう一度汗だくになり、その踏み石を元のようにめちゃくちゃな配置へ戻さなければならなかったのだ。
あるとき、庭の土を掘っていたらチョロギ(中国原産の植物の根)が出てきた。
山の手というところは、なんだかおかしなものがあるもんだと思って、掘ればいくらでも出てくるので、三十五、六個も掘り出したら、それは水仙の球根だったらしくて怒られた。
また、春の初めに庭の隅から正体のわからない芽が出てきた。
気味の悪い色をしたやつがニョキニョキと生えてきたので、毒草か何かだと思って、きれいに引っこ抜いてやったところ、それは芍薬(しゃくやく)の芽だったそうで、これにもすっかり一杯食わされた。
金魚のときは、もっとひどい目にあわされた。
父の居間がある縁側の先に、スイレンを浮かべた大きな鉢がある。それは高さが二、三尺(約60〜90センチ)で、周りが十二、三尺(約3.6〜3.9メートル)くらいあって、父はその中で金魚を飼っていた。
薄い緑色に濁った汚らしい水の中に、赤と白のまだらなやつが十匹ほどいるらしかった。
スイレンの葉の陰から、あるいは濁った水を透して、いつもそいつらは妙にのたのたと、疲れたような泳ぎ方をしていた。
「お父さまが大事になさっているんだから、イタズラをしてはいけませんよ」
母は心配そうに、何度もこう言った。
――見ているだけならいいだろうと、そばへ行って眺めてみた。
そいつらは大きくて太っていた。中には五寸(約15センチ)よりもっと大きいらしいやつもいて、頭のところがコブコブで、胴体がまりのように丸く太って、ひどくブサイクなやつもいた。
そいつらは「らんちゅう」とか「獅子頭(ししがしら)」とか呼ばれる種類で、育てるのが非常に難しく、父の苦労は誰にもまねできないものだったそうだ。
……父はそいつらを御殿へ献上するために、いっそう大事にしているということだったけれど、それはそうかもしれないが、悠二郎は父がとんでもないうっかりミスをしているのを発見した。
それは何かというと、父は大事にするあまり、金魚たちのヒレや尾が伸びすぎているのに気づいていないのだ。だからそいつらは、ヒレや尾が邪魔になって、満足に泳ぐことができないでいた。
初級翻訳・桑の木物語 第5話
山本 周五郎
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