――まるで赤ん坊が振袖(ふりそで)でも着たみたいに、体をクネクネさせ、のたのたとした疲れたような格好で、重そうにやっとの思いで泳いでいるのだ。
悠二郎は、そいつらがなんだか不憫(ふびん)でたまらなくなった。そこで鋏を持って来て、一尾ずつ捉まえて、その伸びすぎた鰭や尾をちょうどいいくらいに切ってやった。
――そうして七尾めを切ってやっていたとき、団栗まなこの黒板権兵衛にみつかったのである。
彼は殺されるような声で叫び、まず母がとんで来た、それから家扶の渡辺老、兄の松太郎、誰も彼もみんな、家じゅうの人間が集まって来たには驚いた。
「私たちだって髪毛や爪が伸びれば、切るんですから、金魚だって可哀そうじゃないでしょうか」
こう説明したけれども父はむやみに怒って、とうとう三日のあいだ暗い納戸で謹慎させられた。
四
悠二郎が若君の正篤と初めて会ったのは、明くる年の三月のことであった。
――そんなことにならないように、自分ではかなり努力したつもりだったが、その斐もなく「御学友」にあげられてしまったのである。
浄松院という先の殿さまは、六年まえに二十三歳で亡くなられ、若君はまだ任官こそしないが、そのときすでに六万三千石の藩主であった。
生母は清香院といって、幕府の連枝の松平の出であり、その実兄に当る松平外記が後見になった。
――政治は合議制で、江戸と国許の全老職が参画し、そのなかで土井勘右衛門は若君の御養育を兼ねていた。
若君はそのころ信太郎といったが、悠二郎たちは「若さま」と呼ぶように注意された。
――若さまは大きい表御殿とはべつに、奥庭の高みにある日月亭に起居していた。
そこはまわりに松や杉の林があり、花畑や広い芝生などもあった。
いちばん高い丘へ登ると、西は溜池から赤坂台から山王の森などがひと眼だし、東は表御殿の屋根の間から、京橋方面の下町が眺められる。
……またそこを西へ下り、かこいの笠木塀を越えると、一段ずつ果樹畑とか菜園などがあって、いちばん下は小さな流れのある谷底のようになっている。
そこが屋敷境で、高い築地塀の向うは黒いような森の茂みだった。
――若君はおない年の八歳だった。
蒼白いような痩せた躯で、眉毛と眼の間のはなれた、ぼうっとした顔つきだった。
動作ものろくさしているし、舌っ足らずな口をきくし、見ているとじれったくなるばかりだった。
――こんなのがばか殿になるんだな。
悠二郎はこう思ったので、お相手などまじめにする気持がなく、たいてい独りでとびまわっていた。
花田先生の云ったとおり、選まれたのは七人で、むろん新泉もその一人だった。
――かれらは朝八時にあがり、午後三時にさがる。
朝のうち講話と素読と習字をし、午後は剣術の型の稽古があって、そのほかは庭で遊ぶという日課だった。
そして七日にいちどずつ休みがあった。
悠二郎は素読も習字もいやだったが、講話と剣術は好きだった。
講話というのは古今の名将勇士とか合戦物語などで、浅草寺の境内でやっていた辻講釈に似ていた。
それで、ことによると知り合かもしれないと思って、「先生は頓珍軒鈍斎ってひと知ってますか」ためしにそうきいてみた。
すると、それはどこのなに者だと聞くから、浅草の辻講釈だと云ったら、先生は怒って講話を途中でよしてしまった。
御殿へあがりだして三度目の休みの日であったが、お祖父さんが「聖堂へゆこう」といって、朝早くいっしょに屋敷を出た。
家へ帰ってから初めての外出である、それだけでも嬉しかったのに、聖堂へはゆかないで、浅草の舟仙へつれてゆかれたにはびっくりした。
「黙っているんだぞ、内証だぞ」
お祖父さんはこう念を押した。
舟仙では悠二郎を見ておつねが涙をこぼした。
五つになったおみつは忘れたものか、くりくりした眼でこっちを眺め、側へ来ようとはしなかった。
悠二郎は手早く袴をぬぎ着物をぬいで、「母ちゃん、おいらの着物出して呉れよ」こう云いながら髪の毛もほどいた。
「そいから頭も前のようにして呉れねえ」
「まあ坊ちゃんそんなこと仰しゃったって、まさかあなた」
「いいから好きなようにしてやれ」虚木老はこう云って笑った、「――半年も辛抱した息抜きだ、好きなように暴れて来い」
筒袖の脛っきりの袷に三尺、頭もちょいとひっ括っただけの、実にさばさばした恰好になった。
「わあすげえ、こいつはすげえや」
彼はとびあがって叫んだ。
「腰んとこが軽くって躯が浮いちゃいそうだ、屋根まで跳びあがれそうだ、わあすげえ、――母ちゃん、吉べえいるかい」
「舟は危のうございますよ」
おつねがそう云ったときには、彼はもう土間から外へとびだしていた。
――吉べえという若い船頭を呼びだし、舟を出させて向う河岸へいったまま、昼飯まで帰らなかった。
そしてようやく帰ったときには、片方の眼のまわりを紫色に腫らし、頬ぺたに三条もひっ掻き傷ができていた。
「勝んべの野郎に貸しがあったんだよ」
彼は茶漬をかきこみながら云った。「小梅にはもう一人生意気なやつがいるんだけど、逃げちゃって出てきやしないんだ。今度は瓦屋の熊のところに行くんだぜ。喧嘩じゃなくて、観音さまで遊んでくるのさ!」
薬をつけてやる暇もなく、ご飯を食べ終えると、悠二郎は箸をぽいと投げだして外へ飛び出していった。
――祖父の虚木老(きょぼくろう)のほうは、深川あたりに出かけていたらしい。午後三時を過ぎてから、いい気分に酔っ払って帰ってきたが、悠二郎はそれよりずっと遅くになって、泥だらけになり、ちぎれた片袖をぶらぶらさせながら帰ってきた。
「その顔はどうしたんだ、冗談じゃないぞ」
さすがの虚木老もうめき声をあげた。
「――わたしたちは聖堂へ行ったことになっているんだぞ。聖堂でそんな……冗談じゃない。だがまあ、早く着替えをしろ。帰りがすっかり遅くなってしまったじゃないか」
舟仙(ふなせん)を出るとき、おみつのやつが門口から顔を半分だけのぞかせて、にっと笑いながらこう言った。
「悠ちゃんのお兄ちゃん、また来てね!」
悠二郎はだまって、スタスタと歩きだした。
そのときは虚木老がうまくごまかしてくれた。
聖堂を出るときに石段で転んで、目のまわりをそんなふうにぶつけ、またカラタチの垣根で頬をひっかいたのだと言い張ったのである。
それを信じたのかどうか、父親はだまっていたし、母親も何も言わずに薬をつけてくれた。
それからというもの、月に一度は舟仙へ出かけるようになった。
また、三社祭りや両国の花火、四万六千日や草市といった、なつかしい行事のあるときには、決まった休日以外の日でも連れていってもらえたのだ。
若君と話をするようになったのは、その年の初秋の頃だった。
それまで若君は新泉(しんせん)ばかりにくっついていて、悠二郎などには見向きもしなかった。
こっちはそのほうがかえってありがたくて、暇さえあれば勝手に飛び回り、そのころにはもう広い上敷きの隅から隅まで知り尽くしていた。
――しかし七月のはじめから、小太郎が出てこなくなった。
病気だということで、若君のひどく寂しそうな様子がやけに目にについた。
悠二郎はそのとき、初めて若君に声をかけたのだ。
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