たとえ両目をふさがれていても、この異様な様子を娘が知らないはずがありませんでした。
彼女は途中で何度も立ち止まり、自分の家へ帰してほしいと訴えましたが、付き添っている人たちがいろいろとなだめすかし、何とか城の前までたどり着くと、娘はまたもや足を止め、「ここから先へは絶対にいきません!」と言い張りました。
「ここまで来て、どうするんだい。お城はもうすぐそこだよ」と、人々は左右から説得しましたが、娘はもう二度と頷きませんでした。
「わたしは帰ります!」
「いや、帰すわけにはいかないんだ!」
こうした問答を続けているうちに、娘の様子がだんだんと変わってきました。
彼女は自分を遮る人々を突き飛ばし、出し抜けに走り出そうとしたため、こうなっては腕ずくで引っ張っていくしかないと考えた人々は、左右から彼女の晴れ着の袖や袂をつかんで引きずっていこうとしました。すると娘は、いよいよ凄まじい形相になり、支えようとする人々を払い除け、押し退けながら、自分の周りを隙間なく取り囲んでいる見物人たちの頭や肩の上を、ヒラヒラと軽やかに飛び越え、跳ね越えて走り出したのです。
あまりの不意の出来事に、人々はただ「あれれ……!」と言っているだけで、そのうちの一人が娘の帯をひっつかもうとしましたが、手が届かずに取り逃してしまいました。
両目を黒い紙でふさがれている娘は、一体どこに向かっているのか見当もつかずに走ったのか、それとも初めからそこをめがけて走ったのか、城門の外にあるお堀のふちへまっ直線に駆け出したかと思うと、およそ五、六間(約十メートル)もあるように見える距離をひと跳びにして、お堀の中へと飛び込んでしまい、その大騒ぎはいよいよ大きくなりました。
大勢の人々が続いてお堀のふちへと駆け寄りましたが、水に飲み込まれた娘の姿はもうどこにも見えませんでした。
お城のお堀に勝手に立ち入ることは、国の法律で厳しく禁じられています。
とりわけ守りが非常に固いこのお城のお堀はとても深く作られていたため、誰も迂闊に中へ入ることはできませんでした。
町役人から重ねてその事情が報告されると、お殿様も非常に奇怪なことだと思われ、すぐに「お堀の中をくまなく探しなさい」とのご命令を下しました。
藩の中でも指折りの泳ぎの達者な者たちが交代でお堀に飛び込んで探し回りましたが、水の底からは女の子の髪の毛の一筋すらも発見されませんでした。
「中途半端なお慈悲で、うちの子をお城になど呼ばれなければ、こんなことにはならなかっただろうに……」と、娘の親たちは今さらながらお上を恨むような気持ちにもなりました。
町役人たちも、余計なことを役所に届け出てしまったことを深く後悔しました。
梟娘の死――その奇怪な噂がまだ消えないその年の八月一日、巳の刻頃(午前十時頃)から、近年稀に見る大暴風雨がこの城下町を襲い、城の内外にものすごい被害をもたらせました。
その大暴れの最中、お城の外堀から黒い雲を巻き起こし、金色のウロコをギラギラと輝かせながら天へと昇っていく怪物のあることが、多くの人々に目撃されました。
人々はそれを「龍の昇天」だと噂しました。
そして、それこそはあの梟娘が蛇の体に変化した姿なのだろうと語り継がれました。
しかし、彼女は最初から蛇の体だったのか、それともお堀に入水したあとに龍や蛇へと姿を変えたのか、その議論は人によってさまざまで、ついに決着はつきませんでした。
上田秋成の『雨月物語』の中に「蛇性の婬」という怪談があることは誰もが知っていますが、これは曲亭馬琴が水戸にいた人から聞いた話だということで、そのお話の趣きが少し似ています。
「蛇性の婬」は中国の『西湖佳話』という本の翻案ですが、これは馬琴自身が書き留めて、讃岐国高松藩の家老に送り届けたものであるからには、まさか出所の怪しい作り話や捏造などではないはずだと思われます。
龍の昇天の真偽はともかくとして、こうした奇怪な娘が奇怪な最期を遂げたという事実だけは、確実に水戸の城下で起きたことに違いありません。
初級翻訳・梟娘の話 第2話
岡本 綺堂
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