登場人物
官女 玉虫
その妹 玉琴
那須与五郎宗春
旅僧 雨月
官女 呉羽の局
同 綾の局
浜の女房 おしお
那須の家来 弥藤二
ほかに那須の家来。
浜のわらべなど
(一)
寿永四年五月、長門国(ながとのくに)壇の浦の夕暮れです。
あたりは一面の砂浜で、所々に枝を広げた大きな松の木が立っています。
正面には海をはさんで、文字ヶ関(もじがせき)が遠くに見えます。
波の音と、水鳥の鳴き声が響いています。
(平家が滅びたあと、宮中で仕えていた女たちは没落し、この海岸でさまよいながら、卑しい仕事をして暮らしていましたが、その姿はとても哀れなものでした。
呉羽(くれは)の局と綾(あや)の局は、どちらも三十歳前後で、美しい盛りを過ぎた身の上ですが、磯に打ち上げられた海藻を籠に拾い集めています。)
呉羽:ねえ、綾の局。これだけ拾い集めれば、明日の食料には困らないでしょう。もうそろそろ戻りましょうか。
綾の局:この長い一日を立ちっぱなしで過ごして、お互いにすっかりくたくたですね。
呉羽:今さら言っても愚痴にしかなりませんが、宮中にいた昔には、夢にも思いもしなかったような、卑しい手仕事で命をつなぐ今の身の上。情けないやら悲しいやら、言葉にもなりませんわ。
綾の局:まだ若い娘たちは、泣き顔を隠すお化粧をして、通りかかる人に愛想を振りまき、なんとか一日を送っていますけれど、盛りを過ぎた私たちが振り返られることなんてあるはずもありません。ただぼんやりと暮らしていては、飢え死にするしかありませんから。
呉羽:せめて一日でも長く生きたいと、こうして働いてはいるけれど、これがいつまで続くことやら……。
(ため息をつきながら空を見上げる)ああ、こんなことを言っている間に、もう日が暮れてしまいます。
綾の局:本当に空も暗くなってきましたね。最近の天気ときたら、冷たい潮風が吹いてくると、決まって雨が降ってくるのが決まり事のようです。濡れないうちに帰りましょうか。
呉羽:小屋の中に雨が漏らないよう、破れた軒先も直しておかなくてはなりませんね。
綾の局:召使いもいないわびしい住まいというのは、何をするにもせわしなくて大変なことです。
(二人は籠を抱えて、とぼとぼと歩き去ります。浜辺では子供たちが三人、甲乙丙と遊んでいます。乙は赤い蟹を糸で縛って持っています。)
童乙:どうだ。平家蟹はまだいるかな。
童甲:あいにく夕方の潮が満ちてきたからな。これでは蟹も上がってこないぞ。
童丙:じゃあ、明日の朝、潮が引いた時に捕まえに来ようぜ。
(弥平兵衛宗清(やへいひょうえむねきよ)は、四十歳過ぎで、今は仏門に入り「雨月」と名乗っています。旅の姿で、笠をかぶり杖を持っています。)
雨月:おや、子供たち。平家蟹とは……それは一体どんな蟹かな。
童乙:これですよ。見てください。(蟹を見せる。雨月はじっと見つめる)
雨月:この蟹をなぜ「平家」と呼ぶのかね。
童甲:この壇の浦で平家が滅びてから、それまでは見たこともなかったような、こんな蟹がたくさん集まってくるようになったんです。
童乙:蟹の甲羅には、人の顔が浮かんでいるんですよ。
童丙:ほら、こうやって、怒った顔をしているでしょう。(指さすと、雨月はまじまじと見て、思わずぞっとします)
雨月:おお、なるほど。甲羅にははっきりと人の顔が……。しかも、ものすごい怒りの表情だ。平家がここで滅びた後に、このような不思議な蟹が……。
三人:そうだよ、そうなんだ。
雨月:白い甲羅は源氏……赤い甲羅は平家の旗の色……。赤い甲羅に怒った顔をしているのは……平家の方々の魂が、蟹に乗り移って迷い出ているのだろうか。
童甲:だから、平家蟹って呼ぶんです。
(雨月は黙ったまま蟹を見つめています)
雨月:おい、子供たち。浜で育ったとはいえ、無益な殺生はしてはいけないよ。その蟹を海へ放してやりなさい。その代わりに、わしが良いものをあげよう。
童乙:良いものをくれるなら、すぐに放してやるよ。
雨月:おお、聞き分けの良い子だ。代わりに何が良いかな。そうだ、これがいいだろう。(腰を探って、干し飯を入れた麻の袋を取り出す)さあ、これをやるから、蟹は早く放してあげなさい。
(子供たちは袋から干し飯を取り出して見ます)
童乙:これは何ですか。
雨月:それは「干し飯(ほしいい)」といって、水やお湯に浸して食べるものだよ。
童乙:ありがとう!
(子供は蟹の糸をほどいて、後ろの海へと放してやります)
雨月:この先も、あの蟹を捕まえてはいけないよ。平家の魂が乗り移っているのだから、どんな恐ろしい祟りがあるかわからないからな。
三人:あい、わかりました!
(子供たちは去っていきます。雨月はその背中を見送ります)
雨月:日が暮れてあたりに人もいない。隠れ住む身にはちょうど良い。海に沈んだ平家一門の尊い魂のために、人知れず供養をさせていただこうか。
(雨月は浜辺にひざまずき、数珠を繰りながら海に向かってお経を唱えます。官女の玉虫(二十歳、尼姿で被衣をかぶっている)が現れ、松の木の影から様子をうかがっています。雨月がお経を終えて立ち上がろうとした時でした。)
玉虫:あ、もし……。
(雨月は立ち止まって振り返ります)
雨月:どちら様でございますか。
玉虫:おお、宗清殿……。私です。玉虫です。
(近づいて被衣を取ります。その顔を見た途端、雨月は再び地面にひざまずくのでした。)雨月「その通り、私は弥平兵衛宗清。こんなところであなたに会えるとは、本当に不思議な縁ですね」
玉虫「何が不思議なことでしょう。ここは平家一門が沈んだ海。平家にゆかりのある者が、ここを離れてどこへ行けというのですか。……見ればあなたも姿を変え、仏の弟子になったのですね」
雨月「平家が没落した後、甥の景清に誘われて肥後の山の中に隠れて暮らしていましたが、亡くなった方々の供養をするために、ご覧の通り姿を変えました。今は世を捨て、武士の道も捨て、ただ阿弥陀仏を唱えながら諸国を巡っております」
玉虫「それはまた、殊勝な心がけですね」
(あざ笑うかのように、ふっと笑う)
「……で、景清はどうしたのですか」
雨月「彼は『どうしてもやり遂げたいことがある』と言って、私が何度も止めるのも聞かずに、鎌倉へ忍び込んでいきました」
玉虫「むむ、鎌倉へ……。代々伝わる名刀『痣丸(あざまる)』を携えて行ったのでしょうね」
雨月「おそらく、その通りかと存じます」
玉虫「さすがは景清、あっぱれな男だ。その痣丸で源氏の血を……。きっとそうするつもりなのでしょう」
雨月「本人も、そのように申しておりました」
玉虫「(心地よさそうにうなずく)聞くも勇ましい話です。たとえ景清でなくとも、武士たるもの、それくらいの覚悟がなくてどうするのでしょう。ねえ、宗清。過ぎ去った旧暦三月二十四日、平家一門はことごとくこの海に沈みました。つい昨日のことのように思えますが、数えればもう二ヶ月を過ぎ、今日はちょうどその命日にあたります。見てごらんなさい、あの向こうに……松林が薄暗く見えますね。あそこは文字ヶ関から大里(だいり)の浜。
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