初級翻訳・楽聖物語 第31話

楽聖物語

この中でも、最近ワルターがパリのオーケストラを指揮して録音したレコードがビクターから発売され、すぐに販売中止になってしまいましたが(VD八一四六―五一)、おそらくこの曲のレコードの中では一番の傑作(白眉)と言えるでしょう。ワルターが持つロマンチックな雰囲気と、卓越したテクニックが、パリの熟練したオーケストラと組み合わさることで、ベルリオーズの幻想的な世界を見事に描き出しています。
もう一つ、ビクターから発売されているモントゥ指揮・パリ交響楽団のレコードも、録音こそ新しくはありませんが、気品にあふれた素晴らしい演奏で、ワルターのレコードと並んで長く愛され続ける一枚です(一一〇九三―八)。
序曲「ローマの謝肉祭」は騒がしい曲ですが、ベルリオーズの作品の中では最も親しみやすい曲といえるでしょう。
ボールト、ビーチャム、メンゲルベルクなど多くの指揮者が録音していますが、メンゲルベルクが指揮したコンセルトヘボウ管弦楽団のレコードが特におすすめです(テレフンケン三三六一〇)。
他にも「宗教裁判官」序曲、「リア王」序曲、「ベンヴェヌート・チェルリーニ」序曲などのレコードも存在します。

ファウストの劫罰及び声楽レコード

 ベルリオーズの一生の傑作であり、ゲーテの詩をもとにした劇的な物語「ファウストの劫罰」は、ビクターから全曲十枚組の名盤が出ています(JH七四―八三)。
主役をパンゼラが歌い、コッポラがコンセール・パドゥルー管弦楽団とサム・ジェルヴェー合唱団を指揮したこのレコードは、本場の雰囲気を感じさせる、申し分のない立派な出来栄えです。特に有名な「ラコッツィ行進曲」は、この全曲盤に勝るものはありません。
「ラコッツィ行進曲」だけを収録したものもたくさんありますが、ストコフスキー指揮のものなどが面白いでしょう。
「聖家族の憩い」は「キリストの幼時(作品二五)」という曲の一部分で、リュールマン指揮、パリ交響楽団、ジャン・プラネルの歌唱によるレコードがコロムビアから出ています(J八四三六)。
宗教音楽としては、どこか人間味があふれていて、切ないけれど美しい曲です。
「カルタゴのトロイ人」より「はかなき憾み言」と「最後の難船」を、テナーのティルが歌ったコロムビア・レコード(J八四八八)は、「聖家族の憩い」ほどではありませんが、聴いてみる価値は十分にあります。

幸福な天才メンデルスゾーン

 メンデルスゾーンという名前は、かつてナチスのユダヤ人排撃運動の被害を受け、ドイツの音楽の教科書からさえ消されてしまったことがありました。しかし、メンデルスゾーンの名前を消したところで、その優れた音楽まで消し去ることは誰にもできませんでした。教科書では単に「ヴァイオリン協奏曲=ホ短調」や「真夏の夜の夢=序曲」とだけ書かれ、名前を伏せられながらも演奏され続けていたのです。ところが最近、どのような方針転換があったのか、再びドイツの教科書にメンデルスゾーンの名前が復活し、その音楽も堂々とドイツの音楽界を盛り上げているそうです。
これは、当然あるべき姿といえるでしょう。どんな事情があったにせよ、ドイツの新教徒であり、ドイツ音楽に画期的な傑作をいくつも提供し、ドイツ・ロマン派の最高峰を築いたフェリックス・メンデルスゾーンの名前と、その素晴らしい作品を失うことは、人類の文化にとってあまりにも大きな損失だからです。

幸福の権化

 メンデルスゾーンは、その短い一生を通じて、音楽家としては珍しいほど幸福でした。
一八〇九年二月三日、ハンブルクの裕福な銀行家アブラハム・メンデルスゾーンの長男として生まれたフェリックスは、この世の幸運をすべて持っているかのように、あふれる愛情と、これ以上ないほど恵まれた環境の中で育ちました。
彼が三歳の時、一家はナポレオンの戦争の被害を避けてベルリンへ引っ越しました。そこでも優しい母親に見守られ、一流中の超一流といえる家庭教師たちに教わり、姉のファンニーや妹のレベッカと共に、まるでおとぎ話に出てくる王子様のように成長したのです。
貧しい小学校教師の子として育ったシューベルトや、酒乱の父を持つ苦労人ベートーヴェンと比べると、なんと凄まじい違いでしょうか。
メンデルスゾーンの音楽に、苦しみの跡が全くなく、明るく快適で、清らかで華やか、美しすぎるほどの美しさと、完璧に磨き上げられた形を持っているのは、まさにこの恵まれた環境のおかげだと言えるでしょう。
世の中にはメンデルスゾーンの音楽を好まないとハッキリ言う人も少なくありませんが、そうした人たちは、おそらくもっと影の濃い音楽や、激しい感情が爆発するような音楽、あるいは思想的な音楽や悲劇的な音楽を求めているからかもしれません。
しかし、音楽を深く知る年配の方の中には、「歳をとって初めてメンデルスゾーンの良さがわかるようになった」と言う人が意外にも多いことを、忘れてはなりません。
メンデルスゾーンの音楽は、少し表面的に見えるかもしれませんが、十分にロマンチックですし、その技術は細部まで洗練されていて、非の打ち所がありません。
これを「貴族的な音楽」と呼んでもよいでしょう。下品なところが全くない音楽、と言い換えることもできます。
もしそこに少しでも悲しみがあるとすれば、それは何もかもが満たされているからこそ感じられる、かすかな「あわれ」であり、完璧なものだけが持つ「物悲しさ」なのです。
メンデルスゾーンの音楽から、その「あわれ」や「物悲しさ」を読み取ることは、実はとても難しいことなのです。それほどまでにメンデルスゾーンの音楽は、輝くばかりの幸福感に恵まれており、最初から最後まで華やかで、光に満ちあふれているのです。

異常なまでの天才

少年メンデルスゾーンは、こうした恵まれた環境の中で、天性の才能をぐんぐんと伸ばしていきました。
七歳の時にはすでにピアノに対する並外れた才能が認められ、九歳で公開演奏を行ってベルリンの人々を驚かせ、十一歳になる頃には数多くの作曲をこなしていました。十五歳を迎えるまでには、いくつかの室内楽曲、二つの歌劇、五つの協奏曲、その他にもかなりの数のピアノ曲やオルガン独奏曲、さらにはヴァイオリンとピアノのためのソナタまで書き上げていたのです。
メンデルスゾーンの家族は非常に音楽的で、フェリックスが音楽に打ち込むことを妨げる者は誰もいませんでした。それどころか、時折親しい友人たちを招いて「メンデルスゾーン家の午前音楽会」を催し、少年メンデルスゾーンは椅子の上に登って小さなオーケストラを指揮し、古典の名曲や自分自身が作曲した作品を披露したといいます。
姉のファンニーはピアノを弾き、妹のレベッカはヴァイオリンを弾いて、その音楽会に加わっていたことは言うまでもありません。
豪華な客間で行われることもあれば、広大な庭園で行われることもあり、少年メンデルスゾーンの作品が初めて人々に聴かれるその光景は、想像するだけでも微笑ましい限りです。
その間、メンデルスゾーンは世間から崇拝を集めていた大詩人ゲーテと出会って称賛の言葉を浴び、当時の大ピアニストであったモシェレスと出会って親交を深めました。

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