健一と綾子と燿子は、引きずるようにして二人の男を隧道の外へ出しました。夜の新鮮な空気に当てて少し介抱すると、幸い正気だけは戻ったので、見張りの人夫に担がせて、とにかく小屋まで運び込んだのは、もう夜の十時近かったでしょう。
「いや、翠川君、言葉もない。君の勇気と、お嬢さん方の知恵が働かなければ、僕も杉村君も、あのまま死ぬところだった」
唐崎荘之介は、ベッドの上からペコリとお辞儀をしました。こうなると、いつもの古風な頬髭もまことに情けない姿です。
「毒ガス発生器は誰が持ち込んだんです?」と健一。
「それは判らぬ。――いや、俺には判っているような気がするが、証拠がないから言うわけにはいかん」
「誰です、それは」
「いずれ話す機会もあろう。――ところで、命の恩はどうやって報いたらいいものだろうか、翠川君」
「この発掘事業から手を引いてください。万一利益があれば、それは出資額に応じて分けて差し上げますから」
「それは何でもないことだ。私の出資額というのは――今だから話すが、ほんの少しばかりなんだ」
「それは判っております」
「銅板も返そうか」
唐崎荘之介は、すっかり折れた様子です。
「いえ、そんなものは要りません。それより、書生の花井を刺したのと、堤防を壊して私達を殺そうとしたのが誰だか、それを秘書の杉村さんに聞いてください」
健一は最後に、核心を突く疑問を投げ出しました。「僕を疑っているようですが、それは僕じゃありません。書生を刺したのはともかく、堤防を壊したのは、時々あのあたりで釣りをしていたロイド眼鏡の男です」
「えッ」
秘書の杉村が口にした言葉は、全く予想外のものでした。
ちょうどその時です。
「一関から写真が届きました」
お高が持ってきた引き伸ばし写真の包みを、引き裂くようにして開いてみると、中から出てきたのは四つ切の写真でした。平泉館の地下にある宝庫の絵図面が、銅板の原図よりもはっきりと写っているだけでなく、その端っこのほうに、小刀のようなもので引っ掻いて書かれた文字がありました。
――滝山が私をねらっている、管が切られた、もう死ぬ――
字はひどく乱れてはいましたが、とてもはっきりと読み取ることができました。
「あッ」
お高さんは床の上に崩れ落ちました。引き伸ばし写真を覗き込んでいたのですが、夫が死に際の苦しみの中で、自分を殺した相手の名前を書き残していたのを見て、気を失ってしまったのです。
「そう言えば、正平爺やを殺したのも滝山に違いありませんわ。あの映画館のプログラムが三冊あったのは、やっぱり途中で一人だけ抜け出して、爺やを殺してからまた映画館へ戻ったんだわ」
燿子は、自分が突き止めたプログラムの謎を思い出しました。
「金庫の中の書類を自分だけのものにしたかったのでしょう。それに、滝山が潜水夫を殺したのを、正平爺やが知っていたのかもしれません」
唐崎荘之介も言葉を添えます。この人は金儲けに夢中になりすぎるのと、少し高慢な癖がある以外は、それほどひどい悪人ではないことが後になって分かりました。秘書の杉村三五郎は、ハイカラで浅薄で、愚にもつかない人間ですが、善いことも悪いことも極端にはできない性質のようです。
「東京へ電報を打って、助手の滝山を捕まえさせよう」
健一が立ち上がると、
「それには及びませんわ。あの釣りばかりしているロイド眼鏡は滝山に違いないと思うの。変装して来ているんだわ」
綾子が口を挟みました。立花博士の令嬢が見破ったのですから、助手の滝山がどんなに変装しても逃げ切れるはずがありません。
平泉の警察からその晩のうちに警官隊がやってきました。翌日には前沢や一関の警官隊も応援に駆けつけ、平泉一帯を山狩りすると、中尊寺の裏山に天幕を張っていた滝山が、あっけなく捕まりました。
潜水夫を殺したのも、立花博士を窮地に陥れたのも、正平爺やを殺したのも、堤防を切ったのも、花井を刺したのも、すべて助手の滝山の仕業でした。滝山は、平泉の地下に眠る富を独り占めにするために、こんなひどいことを繰り返していたのです。実に模範的な悪党でした。
彼はどうしても白状しようとしませんでしたが、係の検事が燿子から聞いたプログラムの謎を思い出し、その晩見たという映画の筋を尋ねると、滝山は何も答えられませんでした。そうして、ついに正平爺や殺しが明るみに出たのをきっかけに、あれもこれもとすべて自白してしまったのです。
それは、ずっと後の話です。
滝山が捕まった翌日、健一と燿子の父親である翠川健太郎が平泉へやってきました。この日、いよいよ藤原四代の栄華を秘めた、高館と平泉館の地下の大宝庫が開かれることになったのです。
隧道を通って広場の向こう側にある地下の客室を開くと、そこはもう山の向こう側へ続いていました。八百年間、誰にも知られずにいた財宝が、初めて真夏の太陽の下にさらされたのです。
「あッ」
健一も、燿子も、綾子も、健一の父である健太郎も、お高さんも、唐崎荘之介も、その秘書も、思わず驚きの声を上げました。
石で畳み上げられた、世にも壮麗で厳重な秘室の中には、砂金が一粒も、銭が一枚もなかったのです。
そこにあったのは、藤原四代の栄華を誇る器具や調度品、衣類ばかり。それらも長い年月を経て腐食しており、考古学や歴史学の参考にはなっても、金銭的な価値はありませんでした。さらに、夥しい数の位牌や仏具、古い写経や、素晴らしい古文書の山があるだけでした。
「これは大したものだ。学者に見せたらどれほど喜ぶか分からない。立花博士が夢中になって発掘したわけだ」
翠川健太郎は感慨深そうに言いました。
「金は、金はどこにあるんだ?」
まだうろうろと探し回る唐崎荘之介。
「金というのは、働いて生み出すものですよ。額に汗して得たお金こそが本当のお金だ。海の底や土の中に金があると思うことこそが、間違いの種なのです」
「…………」
翠川健太郎は、健一や燿子、そして綾子のほうを向いて続けました。
「これは金よりもずっと貴いものだ。博物館か帝大へ寄付することにしよう。今までの費用は私がすべて負担する。綾子さんは今日から燿子と姉妹になるんだ。それでいいだろう? 海の底や土の中に金があると信じて、争ったり殺し合ったりするのが間違いなのだよ。立花博士は、金があることなど考えてもいなかったに違いない。世間が勝手に金を掘り出せると騒ぎ立てただけだ。学者は金よりも、この古文書や古写経、ボロボロの道具のほうがどれほど貴いか分かっているものなのだ」
翠川健太郎がそう話している間、唐崎荘之介はいたたまれなくなったのか、こそこそとその場から逃げ出しました。燿子と綾子は、抱き合って嬉し泣きに泣いておりました。
八百年の時を経て世に出た大宮殿を照らす、真夏の白日。それは、なんという明るさでしょう。
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