ヴァイオリン・ソナタ
「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」は、ヴァイオリンとピアノのためのソナタの中でも、古今の大傑作の一つです。華麗さはベートーヴェンに迫り、味わいの深さはブラームスにも匹敵する名品です。
レコードはたくさん出ていますが、録音が少し古くても、コルトー(ピアノ)とティボー(ヴァイオリン)による、あの気品と優雅さに勝るものは一つもありません(八一七五―八)。
これほどのレコードがある中で、どれにしようかと迷う必要など全くないのです。
四重奏曲、五重奏曲
「弦楽四重奏曲 ニ長調」は、フランク唯一の四重奏曲であると同時に、晩年の静寂な境地を表現した作品で、大衆的な興味からは少し離れたところにあります。
レコードは、プロ・アルテ四重奏団による枯淡(こたん)の境地を感じさせる演奏がビクターから出ています(JD五二一―六)。
「ピアノ五重奏曲」は、この種の曲としてはそこまで華やかではありませんが、重厚で幽玄な雰囲気が漂います。最近の再プレス盤で、カペエ四重奏団とシャンピ(ピアノ)の演奏が出ています(コロムビア S一一一〇―四)。
録音は十数年前のものなので鮮明さには欠けますが、やはりカペエの演奏の良さは認めざるを得ません。
他にビクターからコルトー(ピアノ)とインターナショナル四重奏団の盤も出ていますが、こちらはコルトーのピアノは素晴らしいものの、弦楽器があまり上等ではなく、録音も新しくありません。
ピアノ曲、オルガン曲
「前奏曲、コラール、遁走曲(フーガ)」(ビクター 七三三一―二)と、「前奏曲、詠唱調、終曲」(ビクター JD七七―九)の二曲は、フランクのピアノ曲の代表作です。近代のバッハと称された彼の深遠な思想と、それを近代的に表現する技巧が合わさり、宗教的な敬虔ささえ感じさせる名曲です。
コルトーの演奏は、私たちが期待しうる最上のものですが、コルトーの若さゆえの勢いか、あるいは曲そのものの良さか、前者の曲の方がよりいっそうの高貴さを感じさせてくれます。
「前奏曲、遁走曲、変奏曲」はオルガン曲で、名手デュプレが演奏したものがビクターから出ています(JD一六二九)。名オルガン奏者フランクの面影をしのぶべきであろう。
管弦楽
「呪われたる猟師」は、ブルゲルの詩をもとにした作品です。高慢な伯爵が、狩りの途中に地獄へと突き落とされていくという、物語の情景が目に浮かぶような音楽が面白い作品です。
レコードはポリドールから、ヴォルフ指揮、パリ・コンセール・ラムルー管弦楽団の演奏が出ています(四〇四八二―三)。
少し古い録音ですが、これ以外に良いものはありません。
交響詩には「贖罪」と「プシシェ」があり、どちらもヴォルフの指揮でポリドールから出ていますが、録音が少し古いのと、全曲ではないのが残念なところです。
孤独の哲人ブラームス
「オペラを作曲するのは、結婚するよりも難しいことだ」とブラームスは言いました。
ブラームスが一生を独身で過ごしたことについては、世間でいろいろな噂がありますが、それはさておき、あらゆるジャンルの音楽を作った彼が、たった一つのオペラも書かなかったのは、その性格があまりに真っ直ぐで、妥協や誇張、そして芝居がかった表現さえも自分の作品には取り入れられないという、正直さゆえのことだったようです。
ブラームスという人は、恐ろしいほどに正直な人でした。
うわべだけの華やかなもの、派手なもの、軽薄なものは、ブラームスの作品にも、彼の生活にも、入り込む余地などありませんでした。
「どうだ、すごいだろう」と言わんばかりの器用なテクニックや、流行を追うだけの新しがり屋な姿勢、内容と釣り合わない演技や、意味もなくあふれ出す感情――そういったものは、ブラームスにとって全く我慢のできないものだったのです。
私はこれまで、バッハやシューベルトと同じくらい、ブラームスの音楽が好きだと何度も語り、書いてきました。
特に彼の室内楽には、神経質なくらいに光沢を抑えた中に、整然とした形の美しさと、あふれんばかりの味わいが詰まっていて、何とも言えない素晴らしい魅力があるからです。
ブラームスの音楽は「内容そのものが表現」なのです。
それは、ブラームスの全人格を素材にして作られた、混じりっけのない白大理石の彫像のようなものでした。
飾りも誇張も何一つなく、古典的な形式の中に身を置きながら、潔癖に、正直に、地下百メートルまで掘り下げた生命の清水、それこそがブラームスの音楽だと言ってもよいでしょう。
私は「ブラームスの生活もまた、芸術を曲げることのない真実そのものだ」とも言いました。
彼の音楽は、偽善と軽薄に対する宣戦布告であり、見栄や虚飾に対する偶像破壊でもあったのです。
当時、近代音楽が芽生え、本物も偽物も競い合って新しいものを追い求めていた時代に、ブラームスは雄大で厳格、素朴で敬虔な古典の精神へと立ち返り、ひたむきに「絶対音楽の聖地を取り戻す」という理想に向かって突進したのです。
私はブラームスを称える文章や講演を、今年に入ってから十回以上も繰り返しています。
ブラームスの音楽は地味で堅実で、大衆受けしにくいため、世の中には少数のブラームス好きと、その数倍もいる大勢のブラームス嫌いがいます。だからこそ、私たちブラームス好きは、こうして書き、語る機会が多くなるのでしょう。
なぜブラームスは、これほどまでに一般大衆に受け入れられなかったのでしょうか。
――それにもかかわらず、なぜブラームスの音楽はこれほど美しく尊いのか。例によって、彼の短い伝記を調べながら、一つの結論にたどり着いてみようと思います。
好青年
ヨハンネス・ブラームスは、一八三三年五月七日、ドイツのハンブルクで生まれました。
父のヨハンも音楽家だったので、ブラームスの生まれ持った音楽の才能を、何一つ歪めることなく伸ばしていくには、これ以上ないほど恵まれた環境だったことは間違いありません。
十歳の時には天才少年としてアメリカへの演奏旅行を勧められましたが、恩師のコッセルは、それがブラームスの大成を妨げるものだと判断し、賢明にもこれを断らせました。恩師は彼を大ピアニストに育てようと大きな期待をかけていましたが、ブラームスの心は、ピアノという楽器を通して和声を探求することに向いており、その激しい情熱は、演奏することよりも作曲の方へ、ひたむきに向かうようになっていったのです。
しかし、音楽家としてのブラームスのスタートは、決して華やかなものではありませんでした。
少年ブラームスは、貧しい家計を支えるために、十四歳になる頃にはもう、酒場でピアノを弾いてお客さんを楽しませなければなりませんでした。
もしブラームスに猛烈な向上心がなく、聖書に親しみ、教養を深めることに一生懸命でなかったら、おそらく一生を酒場のピアノ弾きとして終えていたかもしれません。
幸い、少年ブラームスの学びたいという心は、わずかな暇を見つけては教養を高め、のちの気高い精神や、哲学に対する深い洞察の土台を、苦労の中で築き上げたのです。
作品番号3のソナタと歌謡集を発表したのは十七歳の時。
コメント