馬の足跡にたまった少しの水の中にさえ、河童が住んでいるという言い伝えが広い範囲にあるのは、地下水には神聖な力が宿っているという信仰からきています。昔の人たちは、水の精霊はどこへでも自由に通い歩くものだと考えていたのです。
トイレの下から手を出して悪さをするという話は、たいてい狸(たぬき)の仕業にされていますが、猿や猫がやったという例も少なくありません。しかし、トイレの形にも長い歴史があります。その時代ごとの変化に合わせて、適当な動物が入れ替わってきたのです。でも、よく考えると、そこも結局は水たまりだったので、河童の通り道にもなっていたのでしょう。
毛だらけの手が出てきてお尻をなでるなんて、よく考えると何のためにしたのか分かりません。たぶん、自分たちの力を見せつけるためだろうと思いますが、人間を嫌って廃墟に住むような妖怪にしては、少し突拍子もない行動です。
何も大げさに、トイレが言葉通り「川屋(川の上に作られたトイレ)」で、股の間から川が見えた古代までさかのぼらなくても、この現象は説明できるかもしれません。でも、もしそれが許されるなら、丹塗りの矢に姿を変えて、処女がいた川屋の下に流れ着き、その恥ずかしい場所に当たったという、初代の国母(神武天皇の母)が生まれた時の伝説も、考え直さなければなりません。トイレの下から人を驚かせる目的は、単に「しりこだま」を抜くだけではなかったのかもしれません。
トイレの下にいる河童が狙うもの、それが「しりこだま」でした。ある日、水で死ぬと予言された人が、厳重に水を避けていたのに、思いもよらない水に縁のある物のせいで命を落としてしまうという物語があります。その中で、運悪くトイレに入ってしまい、河童にしりこだまを抜かれたという話もあるのです。
トイレの中では不自然だとして、手水鉢(ちょうずばち)の中から出てきたことにしている例を、筑前三井郡出身の本山三男さんから報告してもらいました。殿川屋敷の井戸に沈んでいるお椀も、河童とは深い関わりがあるのです。
異界から来た妻が去り際に残していったという伝説も、少しずつ形を変えて伝わっています。残していく物にもいろいろあるでしょうに、お椀を残して去ったというのは、水の精霊に対する古い信仰の破片が、そこにこびりついている証拠です。これについては、河童が道具を貸してくれるという「椀貸し」の話と合わせて説明したいと思います。
ある家の先祖の代に、河童がやってきて働いたという話は、たいてい単純な結末を迎えます。河童は毎晩忍び込んできては、決まった魚を置いて帰っていくのです。今ではなぜ来なくなったのかという疑問を先回りするように、どのお話も結局は決まった結末に行き着きます。河童が一番嫌がるものを、わざといつもの場所に置いておいたのです。それを見た河童は恐れをなして、魚を運んでこなくなったといいます。
河童が離れていき、その家の繁栄が失われた様子を、魚を運んでこなくなったという一部分の出来事に置き換えて語っているのがこのお話です。家の中に飾られるものの中でも、魚は一つの宝物でした。異郷からやってきた者が、お供え物やお礼を持って帰るという古代の生活の記憶が結びつき、水の世界から授かった富が失われたことを、単に魚の供え物がなくなったという最小限の悲劇として表現したのです。
農村の豊かな暮らしは、水の精霊の助けによるものだと信じられていました。家が栄えた理由は、どうしても河童のおかげだとしなければならなかったのです。だからこそ、昔は河童を盛んに使役していた時代があったのだと、物語は語っているのです。河童を使って働かせた結果は、本来なら悲劇に終わるはずですが、それをうまく回避したという形に物語を整えたのですね。昔から伝わる富豪の物語を、今その村にある名家の古い出来事として、当てはめて考えたのでしょう。
二 河童使い
河童が、なぜ人間にこき使われるようになったのか。これについては、日本中ほとんどの場所で、河童の悪行の結果だとされています。人間や家畜を水の中に引きずり込んだり、引きずり込もうとしたりしたために、捕まってしまったというわけです。
最初に結論から言いましょう。呪術師(じゅじゅつし)に役立てられる精霊というものは、常に逃げ出す隙をうかがっているものです。そして、役者が油断した隙を見て、自由な野原や山、川や海へと帰っていくのです。河童が魚を持ってこなくなったのも、長者の家が没落したのも、すべてはこの「隙を見て逃げ出す」という考えに基づいています。
呪術師たちは、河童のような精霊をこき使って、呪いや病気を治す不思議な力を見せつけていました。ある家に伝わる秘法は、河童から教わったものだとする話が多いのはそのためです。河童の場合は、骨折を治す方法を授けたという形に、いろいろなバリエーションが分かれたようです。切り傷の特効薬に河童の教えがあるとする話が多いですが、古い形では、やはり手足の骨つぎを教えたというものらしいです。
馬術を教える家では、落馬した人のための秘法の手術が行われていました。その由来を説明する言葉(唱言)も一緒に伝わっています。おそらく、もともとは相撲の家で行われていたものを移し替えて、馬との関係を深めたものだと考えられます。
河童にまつわる深い因縁については、また後で詳しくお話しします。人間に捕まった河童は、その村の人には二度と悪さをしないという誓文(約束の紙)を立てます。あるいは、その誓文は、引き抜かれた腕を返してもらうために書かされるようになったとも言われています。腕が簡単に抜けてしまうということが、河童が人間から逃げ出せない重要な条件となっていた時代があったに違いありません。それが後々には、妖怪の腕を切り落とすという形に変わっていったのです。
柳田國男先生は、これを「河童考」を考える上での重要なポイントに挙げておられます。羅城門で渡辺綱が切り落とした鬼の腕の話も、その変形で、河童の伝説から鬼の伝説へと移り変わったのだと説かれました。先生は、この鬼と同じように、高い場所から地上の人間を連れ去ろうとする「火車(かしゃ)」という空飛ぶ妖怪と、古い猫が化けたものとの関係についても説かれています。
その後、南方熊楠翁(みなかたくまぐすおう)は、紀州日高地方で河童を「かしやんぼ」と呼ぶ理由を、この「火車(かしゃ)」という妖怪を連想したからだと結論づけました。思うに、生きている人間や死人を連れ去って食べようとする者を、昔の人たちはすべて「くわしや(火車)」と呼んでいた時期があったようです。火車の姿を猫のように描いた本もあります。人を殺し、墓を掘り起こす狼のような存在も「火車(かしゃ)」の一種とされ、猫が化けた話と同じように伝えられています。
老女の姿に化けて、留守番をしている子どもをおびき出し、食べてしまうという話は日本にもあります。また、『今昔物語』の時代から形を変えて語り継がれている、弥三郎という猟師の母の話もその一つです。母は狼のような心になってしまい、出先から帰る息子を山で待ち伏せして食べようとしましたが、逆に息子に切り殺されてしまったという越後の伝説です。
コメント