初級翻訳・海底都市 第19話

海底都市

元の世界へ戻れるのか、それとも当たり前の死のように、たちまち意識が消えて、それっきりになってしまうのか。どうなんだろう?)

殺されることだけでも嫌なのに、死んだ後のことまで心配しなければならないとは、僕はなんて不幸なのだろうか。禁断の園に忍び込んだ罪は、今まさに裁かれようとしているのだ。
僕はもう観念した。
たとえ針の山であろうと無間地獄であろうと、追いやられる場所へ素直に行くしかないのだ。
僕は、ひそかに仏さまの慈悲に満ちたお顔を心の中に思い浮かべた。
そして、南無阿弥陀仏を唱え始めた。
もちろん声には出ない。心の中で叫び立てていただけだけれど……。

その時だった。
大きながらがら声で、突然、誰かが怒鳴り散らし始めた。
その声はトビ男学生の声でもなく、もちろんダリア嬢の声でもなかった。
その叱咤する声はだんだん大きくなっていき、雷鳴かと疑うばかりだった。
「……ばかだねえ、君たちは。二度と手に入らない貴重な人間を、そんな無茶な目にあわせるとは困るじゃないか。死んでしまったら、わしは免職だよ。それに第一、これは君たち二人の所有物じゃないだろう。二人だけで勝手に処分されちゃ困るよ」

その声には聞き覚えがあった。それこそ正にカビ博士だった。
カビ博士が救援に駆けつけてくれなかったら、僕はついにダリア嬢たちの手であえない最後を遂げてしまったことだろう。
後でタクマ少年から聞いたところによると、博士は僕の盗難を大学の人からの急報によって知り、ベッドを滑り降りると寝巻のまま大学へ駆けつけ、それから捜査に移ったそうである。

「もう大丈夫だ。明日になれば元気を回復するだろう。そしてもう、学生たちには襲撃されないように万全の手配をしてあるから、安心したまえ」
と、博士は僕を見舞ってこう言った。
「先生。もう深海に投げ込まれるようなことはないでしょうね」
「そんな危険は今後絶対に起こらない。あの凶悪なるダリア嬢と共犯者トビ学生は、共に本校から追放されたんだから、もう心配することはない」

ついに放校処分になったのか。それならもう大丈夫だろう。
しかし僕は、どこかに不安の影が宿っているような気がしてならなかった。
その翌日になると、カビ博士はまた僕の病室を訪れて、枕元に立った。
「さあ、退院だ。わしと一緒に出よう」
「えっ、もう退院ですか。しかし僕は起き上がろうとしても、ベッドから起き上がる腰の力さえないんですよ」
「ああ、そうか。それはまだ磁界を外してないからだ。待ちたまえ、今それを外すよ。……さあ、これでいい。起き上がりたまえ」

博士がベッドの下へ手を入れて何かしたと思うと、僕の身体は急に楽になり、軽くなった。
それは病人のための安静器がベッドの下に入っているんだと、博士の説明であった。
その博士は、「今日はこれから君の慰安かたがた、君を深海見物に連れて行こうと思う」と言って、髭の中からニヤリと笑った。
深海見物と聞いて、いつもの僕なら大喜びをするところだったが、ダリア嬢たちから深海へ放り込むと脅されたことを思い合わせ、僕はぞっと寒くなった。

「それは願い下げにしたいですね。僕は深海と聞くと、ぞっとしてしまうんです」
「心配はないよ。わしの愛艇メバル号に乗っていくんだから、どんなに海底深く下ろうと絶対安全だ」
「でも当分僕は……」
「それにわしは、折入って君に相談したいことがあるんじゃ。それも早くそれを決めたいんだ。だからぜひ行ってくれ」

いつになくカビ博士が下手(したて)に出て、僕に懇願せんばかりであった。
そういうとき、僕が博士の言うことを聞いておかないと、僕が困ったときにどんな目にあうかもしれないと思ったので、僕はついに同意した。
すると博士は非常に喜んで、顔中の髭を動かし、満面に笑みを浮かべた。
その笑顔を見ていた僕は、ふと別の顔を思い出した。
(不思議だなあ。カビ博士の顔と辻ヶ谷君の顔とは、非常によく似ているところがあるが……)

   水圧嵐

カビ博士は、僕を愛艇メバル号へ案内してくれた。
メバル号は、メバルのような形をした潜水艇で、深海の水圧にもよく耐える構造をもっているのだと博士は説明し、艇の横腹についている扉を開けて、僕に先に艇内へ入れと言った。
扉は三重になっていた。つまり三つの区画を通らないと艇内に入れないのだ。驚くべき用心である。
しかしこのあたりの深海圧は、少し潜水艇を、卵を外から叩いたように、くしゃりとおしつぶしそうである。

「でも、水圧というものは、深度によって一定なんだから、艇の構造をそれに対して十分に耐える設計にしておけば心配ないわけでしょう」
と、僕はちょっと理科の知識をふりまわした。
すると博士は首を左右に振った。
「いや、そんな簡単なことじゃない。ここらの海中では、水圧嵐が起こるんだ。水圧嵐が起こると、水圧が急にふだんの三倍にも四倍にも、時には何十倍にもあがるんだ」そういうときには、どんなに丈夫な潜水扉だって、卵を外から叩き割るように、くしゃりとおしつぶされてしまうのさ」

「一体、その『水圧嵐』の原因は何なんでしょうか……」

「それこそが、わしが日頃からひそかに注意を払って調べていることなんじゃ。先ほど君に相談したいことがあると言ったのも、まさにそのことに関係している。要するに、われわれが今住んでいるこの海底都市は、何者かによって狙われているような気がしてならんのだ。われわれは、ゆだんをしてはいけない。詳しいことは、中へ入ってから話そう。さあ、早く入りたまえ」

「大丈夫でしょうかね。このメバル号も水圧嵐に巻き込まれて、ひとたまりもなく潰れてしまわないでしょうか」

「いや、その心配はない。わしは特別に用心してこの艇を設計したのだ。ふだんの水圧の百倍までかかっても耐えられるようにね」

「百倍くらいじゃ、まだ心配だなあ」

「なあに、大丈夫だ、心配に及ばん」

博士がそう言うので、僕はまだ不安が完全に消えたわけではなかったけれど、艇内へと進んだ。

最後の防水耐圧扉が開かれた。その戸口から中をのぞくと、立派な部屋が見えた。僕は驚きながら足を中へ踏み入れたけれど、その室内の豪華さにすっかり目を奪われてしまった。

はっきりとそれとわかる二つの操縦席。その前に並んだ計器板。左右の壁には精密機器の類が、黄ばんだ光を放つパネルを並べて整然と収まっている。その他の空間にも、各種の食料の缶詰や、飲み物が出てくるフックなど、何から何までがまるで蜂の巣みたいに小さな区画に分かれて、ぎっしりと詰め込まれていた。

扉がバタンと閉まり、博士が「やれやれ」といった顔で中へ入ってきて、操縦席の右側に腰を下ろした。そして、左側の席に僕が座るように促した。

「すぐに出発する。これがテレビジョンのモニター画面だから、これを見ていたまえ」

博士はそう言って、僕の前方の壁にある、計器板の下についている六つの窓のようなものを指さした。そこには、さっき僕たちが入っていった博士の艇庫の内部が映し出されていた。

やがて映像が動き出した。艇が航行を始めたのだ。いつの間にか、艇は海の中へ潜って進んでいた。まるで運河の中をもぐって進んでいるようだ。

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