初級翻訳・火星の魔術師 第2話

火星の魔術師

いや、ついさっきまで二人でぶらぶら話しながら歩いてきて、溝一つ飛び越えた覚えもありません。――だからここは、現実とかけ離れた別世界というわけでもありません。
そのはずなのに、ふと気がついて見回したあたりの様子は、どうしても正体がわからず、とてもこの世のものとは思えない――つまり、想像もつかないような別世界の光景だったのです。

【化物果実】

「昌作さん……」
「なんだい、英ちゃん……」
二人は、ただお互いの名前を呼び合っただけで、あとの言葉が続きませんでした。
火星の話が、なんだか不気味な生き物の話になっていたからだけではありません。このあたりの様子は、どう考えても普通の景色ではなかったのです。
ちょうど、大村が火星の進化した植物の話をして、「火星にもクリやカキがあったら……」と指差したすぐそばのクリの木が、異変に気づいた最初でした。
なんと、そのすくすくと伸びたクリの木の枝には、五寸釘(ごすんくぎ)のような鋭いトゲがついた、お祭りのちょうちんみたいな巨大なイガが、枝が折れそうなほどたくさん実っていたのです。
中には、すでに口を開けて、真っ黒な炭の塊みたいに大きなクリの実が、今にもこぼれ落ちそうに顔をのぞかせているものまでありました。
いや、それだけならまだよかったのです。
その少し先にあるカキの木などは、見慣れていないせいか、見事という言葉を通り越して、気味が悪いとしか言いようがありません。大きなフットボールのようなカキの実が、太陽の光を浴びてツヤツヤと輝きながら、やはり枝が折れんばかりに実っているのです。
――とても信じられない光景でした。
大村にしても英二にしても、もし一人でここに来ていたなら、絶対に信じなかったでしょう。見間違いだと思って、自分の目の方を疑ったに違いありません。
また、もしそうだったら、後で誰かにこんな話をしようとも思わなかったでしょう。
――こんな、ありえないほど大きなクリやカキの話なんて、バカバカしくて誰も信じてくれそうにないからです。
でも、今は二人でした。二人の四つの目で、たしかにそれを見ているのです。
大村と英二は、ちょっと顔を見合わせてから、急にスタスタと歩き出しました。
巨大な実をつけたバケモノのようなカキやクリのそばから、とにかく離れるつもりでした。――ところが、それから五十メートルほど進んだでしょうか。道の両側が畑のように広がっているところまで来て、二人はまたまた、腰を抜かすほど驚いてしまいました。
ここは確かに畑でしょう。しかし、ヘチマのように巨大なキュウリ、雪だるまのようなバケモノサイズのスイカやカボチャ、さらには今にも破裂しそうな風船玉を思わせるナス――そんな、とにかく常識をはるかに超えた巨大な作物ばかりが、ゴロゴロと転がって二人を圧倒したのです。
それは、この世のものとは思えない、恐ろしい眺めでした。
これがナスならナス、カキならカキと、たった一つだけなら、どんなに桁外れの大きさであっても、これほど驚きはしなかったはずなのです。もしこれが九州地方のナスのようであれば、あの白瓜くらいの大きさでも「面白いな」と思えたに違いありません。
しかし、こうしてあらゆるものが化物のように巨大に育っている姿をまざまざと見せつけられると、地球全体が自分たち二人を残して、いつの間にか膨れ上がってしまったような、やり場のない不安に襲われてくるのです。
今にも象のような犬が飛び出してくるのではないか、背後から大蛇のようなミミズが我々の隙を狙っているのではないか――そんな、正気を失いそうな気持ちにさえなってきます。

「昌作さん、引き返そう。――帰ろうじゃないか」
英二の声は、少し震えていました。
「うん――」
二人は慌てて引き返し始めました。
ところが、一分もたたないうちに、さっきの柿の木のところで、真正面から進んでくる男とばったり出会ってしまいました。
(見たことがある男だ――)
この男だけは、普通の大きさでした。
なんとなくホッとすると同時に、「そうだ、さっき後ろから歩いてきた男だ」と思い出しました。
狭い草の道で真正面に向き合ったその男は、無精髭のせいか年齢もはっきりしない顔つきでしたが、思いがけず人がよさそうに、にっこりと笑いました。
「何か、ずいぶんと驚かれた様子ですな。はっはっは」
「…………」
「はっははは、『火星の果実』はいかがですか? お気に召したら一つ食べてみてください」
そう言って、まるで当たり前のように、自分の頭ほどもある柿の実を指差しました。
「か、火星の果実――?」
「左様、進化した果実です」
「…………」
まるで大村たちの心の底を見抜くように、平然として「火星の果実」などという奇妙なことを言うこの男は、一体何者なのでしょうか。
しかし大村は、呆然としながらも、「火星」と聞いて思わず耳をそばだてました。
「とにかく私の家までいらっしゃいませんか。ゆっくりと火星の果実の話をしましょうや。いかがです?」
その男は、落ち着いた、よく通る声でした。
「どこでしょうか。あまり時間もないんですが――」
「いや、ついこの先ですよ。ほんの粗末な家ですが」
「そうですね」
大村は、一瞬英二の顔を見返して言いました。
「そうですか。じゃあ少しお邪魔しましょうか……」
その男は、もう大村たち二人がついて来るものと決めてかかっているように、先に立ってスタスタと歩き出しました。

そして、また例の化物畑の脇を通り抜け、その向こうのこんもりと茂った常緑樹の森の中の道を行くと、すぐ目の前が開けました。そこには、森を自然の生垣にした一軒の藁葺きの農家が、ぽつんと建っていました。
案内されるままについていくと、その藁葺きの農家は、中はすっかり洋風に作り替えられていて、椅子やテーブルが備え付けられていました。
ちょっと地方の新しがり屋が住む家――といった感じの部屋でした。
もっとも、それはほんの最初だけの印象で、すぐにそんな上滑りな気持ちは捨てなければならなくなりましたが……。

志賀健吉と名乗ったその男は、こうして見ていると、最初、中年だと思っていたのは間違いで、だんだんと若くなっていくように思えてきました。
もしかすると、大村と同じくらいの年齢ではないか、とすら感じられてきました。
「早速ですが、先ほどのお話の……」
大村は、それだけ言って口を閉ざしてしまいました。
この異様な火星の果実に取り囲まれた一軒家に、思いがけず美しい少女が、しとやかにお茶を運んできてくれたからです。
――それは、さっきから妙なものばかり見ていたせいか、際立った美しさに突然ぶつかったような感覚でした。
「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」
「あぁ、どうも……。突然お邪魔しまして」
「いいえ、兄はいつも退屈しておりますから、きっと無理にお誘いしたのでしょう。今日は、ちょうど菊も咲きましたし……」
「はあ――?」
大村と英二が思わず顔を見合わせたのは、つい先ほど庭先の、遅咲きのヒマワリだとばかり思っていた大輪の花が、そう言われてみれば確かに菊に違いないことに気づいたからです。
こんな巨大な花など、見たこともありませんでした。
これもまた、長い進化を重ねた『火星の花』なのでしょうか。

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