初級翻訳・火星兵団 第5話

海野 十三

そのうちに、ふっと体が軽くなりました。
(あっ、落ちるんだ!)
ふたつの体は、まるで投げ出された石ころのように落下していきます。
ドブーーン!
はげしい水音が響き渡りました。
暗い夜空に向かって、水柱が高く上がりました。
それっきり、千二くんは意識を失ってしまったのです。

3 第二の謎

さて、話はすこし変わりますが、「火星兵団」のことをラジオで放送して、世の中の人々に気をつけるよう呼びかけた、年老いた蟻田(ありた)博士のことです。
蟻田博士が、警視庁(警察の本部)の大江山(おおえやま)捜査課長からひどく怒られたことは、前にお話ししましたね。
それは「火星兵団」について、博士があまりにもでたらめすぎる話を言い出したので、警視庁としては、世の中の人々を不安にさせ惑わすものだとして、叱りつけたのです。
けれど、当の博士自身は、そのことが納得いかず、とても不満でした。
その翌日、博士は大江山課長をたずねて、警視庁へと平然とやって来ました。
「やあ、大江山さん。わしはどうも、あなたから言われた命令を、はいはいとおとなしく聞いているわけにはいかないと思いましてな」
博士は、課長の顔を見るなり、いきなり大きな声でこう言いました。
「困りますねえ、蟻田博士」
と、大江山課長は椅子から立ち上がると、博士の肩を押さえて言いました。
「私がお伝えした命令を聞いていただけないとなると、仕方がありません、博士の自由を奪って拘束することになるかもしれませんぞ」
「ははあ、わしを留置場へぶち込むと言うのじゃな。ふん、やりたければ、どうぞおやりなさい。しかし、そのせいで『火星兵団』への警戒がおろそかになるわけじゃから、大損をするのはそっちですぞ。天下は広いが、今『火星兵団』の秘密を解き明かせる力のある者は、恐れながら、わしのほかに誰もいないのじゃからな!」
蟻田博士は、白髪の頭を振り乱しながら、ものすごい勢いで言い返しました。
「では博士は、火星が兵団(軍隊)をつくって、今夜にでも我々の住む地球へ攻めて来るとでもおっしゃるのですか」
「今夜にでも火星の生き物が地球へ攻めて来るかどうか、それはまだはっきりとは言えんが、『火星兵団』と言うからには、火星の生き物はどこかと戦いを始めるつもりに違いあるまい。となれば、地球を攻めてくる可能性だって十分にあるわけじゃ」
「ねえ、博士」
と、大江山課長は、なんとか博士をなだめすかそうと思い、いっそうへりくだった態度で言いました。
「博士のお考えは、ごもっともです。ですが、火星に生き物が住んでいるかどうかも分かっていないのに、いきなり街の人々に向かって『火星の生き物が今夜にも攻めて来るぞ』とおどすのは、いかがなものでしょうか。つまり、無駄な心配をかけるだけで、あまり感心できたことではないと思うのですがね」
「なに、おどすだと? わしが、ありもしない嘘で市民をおどしているとでも言いたいのかね!」
と、蟻田博士は納得がいかない様子で、白髪頭をぶるぶると震わせ、
「とんでもない勘違いじゃ! これほどわしが本気で心配しているというのに、あなたにはまだ分からんのか。ああ、そんなことでは、日本の未来が思いやられるわい。だが、わしの言うことが信じられないというのなら、もう何を言っても無駄じゃな。わしは今日、もう一つ重大なことを教えるつもりで来たのだが、もう何も言うまい。だが後で、あなたは絶対に思い知る時が来るじゃろう。では、さようなら!」
博士はそう言い捨てると、悔しそうな顔つきで課長の部屋から出ていこうとしました。
「もう一つ、重大なことを教えるつもりで来た!」と蟻田博士は言いました。
その言葉は、課長の耳に、とても不気味に響きました。
「あっ、ちょっと待ってください、蟻田博士!」「もう一つ重大なことって、一体なんのことですか!」
大江山課長は、立ち去ろうとする博士の後ろから必死に追いすがりました。
蟻田博士は、課長の手をパッとはねのけると、バカにしたような目つきでじろりと振り返りましたが、そのまま部屋を出ていこうとします。
「博士、お願いです。聞かせてください!」
「ふん、どうしても聞きたいというのか。まあ、話したところで、どうせ信じないんだろうがね……」
博士はあきらめたような顔をして、こう続けました。
「あんたに、この謎が解けるかな? 近いうちにこの地球では、『カレンダーがいらなくなる日がやってくる』……どうだ、意味がわかるかね?」
(近いうちに地球では、カレンダーがいらなくなる日が来る……)
蟻田博士は、自分からこれを「謎の言葉」だと言って、大江山課長に突きつけたのです。
課長は、もちろん、あっけにとられてしまいました。
(ふーむ。『近いうちに地球では、カレンダーがいらなくなる日が来る』だって? ううむ、どういうことだ……?)
蟻田博士は、課長が困り果てているのを見ると、「それ見たことか」と言わんばかりに、ニヤリと笑って部屋を出ていきました。
課長は、もう博士の後を追いかけようとはしませんでした。
「おかしいな、一体どういう意味なんだろう」
課長は独り言をつぶやくと、うでを組んで深く考え込んでしまいました。
「ねえ、課長。あの博士はちょっと頭がおかしいんですよ。あんな変な人の言うことを本気で考えていたら、こっちまでおかしくなっちゃいますよ」
佐々という名前の、若くて顔の赤い元気な刑事が、課長のそばにやってきて、なだめるように言いました。
「うむ、確かに博士は変わっているかもしれない。だが、それにしても、今の言葉は妙に引っかかるんだよなあ」
「なーに、気にするからいけないんです。あんなこと、考える必要なんてありませんって。僕だって、おかしなことならいくらでも言えますよ」
「ほう、言えるのかい?」
「言えますとも! 例えば、『猫がピストルを持って人を撃ったぞ』とか、『今日、僕の前をラジオが歩いてきたから、右手でつかまえてやったよ』とか。どうです? こんなでたらめなら、いくらでも思いつきますよ」
佐々刑事は、口から出まかせを並べました。
けれども、課長は笑いもせずに言きました。
「いや、博士の言った謎は、そんなふざけた話とは違う気がする。もっと、本当のことが隠されているような気がするんだ。明日までに、じっくり考えてみることにしよう」

蟻田博士が帰り際に投げつけていった不思議な謎の言葉を、大江山課長はその日の夜も一生懸命考えました。
けれども、どうしても答えは見つかりませんでした。
次の日の朝、課長は警察署へ行く途中のバスの中でもずっと考え続けましたが、やっぱり謎は解けませんでした。
(近いうちに地球では、カレンダーがいらなくなる……とは、一体どういうことなんだ?)
ところが、仕事に行ってみると、大江山課長は別の事件の対応で、目が回るほど忙しくなってしまいました。
そのせいで、あんなに気にしていた博士の謎のことも、忙しさにまぎれて、いつのまにか忘れてしまったのです。
それから一週間ほどたった、ある日のことでした。
ふとした拍子に、大江山課長は蟻田博士が残していったあの謎の言葉を思い出しました。

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