「課長! いまから追いかけて、あの老人の襟首をつかまえて連れ戻しましょうか?」
「いや、そこまではしなくていい」
「じゃあ、このまま追跡しますか?」
「いや、それも必要ないよ」
そう言うと、課長は衝立の陰からゆったりと姿をあらわし、何食わぬ顔で自分の席に戻っていった。
「なんだか、さっぱりわけがわかりませんなあ……。課長がいいとおっしゃるなら文句は言いませんが、目の前で、庁内の現行犯の泥棒をみすみす逃がしてしまうなんて、一体どういうわけなんですか?」
課長は、それに対して特別返事もしず、
「おい、どうした。まだ佐々は帰ってこないのかね?」
と、佐々刑事の行方をたずねた。
「佐々なら、もうすぐこちらへ戻ってくるはずですが……」
そう言いながら、掛長が自分の席から立ち上がってきた。
そして課長に向かって、
「あの博士、とうとうあれを持って逃げちゃいましたね」
と言えば、課長は軽くうなずくだけだった。
そのとき、部屋の戸口が大きな音とともに勢いよく開き、佐々刑事が飛び込んできた。
「課長、ただいま戻りました! ところで、いま廊下で蟻田博士とすれ違ったんですが、あの博士の様子、なんだかめちゃくちゃ変なんですけど……!」
「佐々! すぐに博士を追跡しろ。そして、当分の間しっかり博士を監視するんだ!」
火星のボートが残していったと思われる、青い色の鞭のようなもの――それを蟻田博士が持って逃げ出してしまった。
大江山課長は、元気いっぱいの佐々刑事に、すぐ後を追って監視するように命じた。
佐々は、いま駆け上がってきたばかりの階段をまたドカドカと駆け下り、警視庁の玄関から飛び出していった。
一方、課長のそばにいた当番の警官は、佐々が飛び出していった戸口をあきれたような顔で見送りながら言った。
「課長。佐々刑事は何も言わずに飛び出していきましたが、あんなんで大丈夫なんでしょうか?」
「何がだ?」
「つまり、博士がどこへ行ったのか、佐々刑事に分かっているんでしょうか? 博士はもう、とっくに姿が見えなくなっているはずです。どうもあの佐々刑事といえば、気が短くて早合点の名人ですからねえ……」
「ああ、そのことか。まあ彼のことだから、何とかうまくやるだろうよ」
佐々は玄関の外へとび出したが、すでに博士の姿はどこにも見当たらなかった。
「しまった! どっちへ行っちまったんだ……?」
玄関を警戒していた同僚に、博士がどちらへ行ったか尋ねてみたが、誰も知らなかった。
外をじっと見渡してみても、街灯がぼんやりと明るく照らす路面には、夜更けのこととて通行人の姿すらない。
「しまった……!」
刑事は案の定、博士の行方を見失ってしまい、頭を抱えてしまった。
だが、彼は突然、自分の頭をぽんと叩いた。
「そうだ! なあんだ、わかったぞ、わかった!」
刑事は急に元気を取り戻すと、パッと自動車を呼び寄せた。
「おい、どこへ行くんだ?」
運転席の同僚が聞き返した。
「麻布だ! 蟻田博士の家までまっすぐ飛ばしてくれ!」
25 去らぬ足音
場面は変わって、ここは蟻田博士の邸宅の地下室の中。
新田先生と千二少年は、階段の下に閉じ込められてしまい、どうしていいか途方に暮れていた。
いったい誰が、どうやって階段の上の蓋を閉めてしまったのだろうか?
そんな疑問が頭をよぎったまさにその時、二人の頭上で、コツ、コツと重たい足音が近づいてきた。誰もいないはずの部屋に、人の足音がする! では、博士が帰ってきたのだろうか。それとも、別の人であろうか。
新田先生と千二少年とは、息をのんで、じっと足音のする頭上を見上げた。
こつ、こつ、こつ、こつ。
怪しい足音は、なおも頭の上を歩き続けるのだった。
もし二人が、地下階段から床にのぼれば、待っていましたとばかり、二人の首根っこをおさえるつもりのように思われる。
「先生、誰でしょう? この上を歩いているのは?」
千二は、新田先生のそばにすり寄って、低い声でたずねた。
「さあ、誰だろうか。
先生もさっきから考えているんだけれど、よくわからない。
博士が帰ってきたのかもしれないが、それにしても、あの足音が、あまりに響きすぎる」
「足音が響きすぎるというと、どういうことですか。
足音が怪しいのですか」
新田先生は、うなずいた。
「千二君。
よく耳をすまして聞いていたまえ。
博士は、おじいさんだよ。
それに体もたいして大きくないんだ。
そんなおじいさんにしては、あの足音は、あまりにドシンドシンと響きすぎるのだ。
まるで、鉄でこしらえたロボットが、足を引きずって歩いているようではないかねえ」
千二は、それを聞いて、にわかに薄気味が悪くなった。
まさか、ロボットが!
新田先生と千二少年は、だんだん不安になってきた。
せめてその足音が遠くなるようにと、心の中で祈っていたが、意地悪なことに、その重苦しい足音は、いつまでたっても二人の頭上から去らなかった。
「私たちをいつまでも、この地下室に閉じ込めておくつもりなのだよ」
先生はそう言った。
足音は、同じところをコツコツと、ぐるぐる回りしているのだった。
「先生、僕たちはどうなるのでしょうか」
千二は心細くなって、思わず先生にぎゅっとしがみついた。
「こうなれば仕方がない。
あっさりとあやまるよりほかないだろうね」
「つまり、ここから上に聞こえるように、大きな声であやまるのさ。
博士の留守に地下室へもぐりこんだことを、素直にあやまるんだよ」
「残念ですねえ」
先生は決心した。
そうするほかに方法はないと思った。
自分ひとりだけならいいが、千二少年をいつまでもこんな気味の悪いところにおいておくのは、かわいそうだと思ったのだ。
そこで、先生は階段を上まで登った。
そして右手を上に伸ばして、蓋の下から、ドンドンと叩いた。
「開けて下さい。
ここを開けて下さい」
新田先生がそう叫んだ時、頭上をコツコツと歩いていた足音は、急にピタリと止まった。
だが、別に答えはなかった。
「早くここを開けて下さい」
先生はふたたび、激しく蓋を下から叩いた。
すると今度は、上から何かうなるような声が聞こえた、と思っていると、階段の上の蓋は、左右にグーッと開きだした。
蓋は開いたのだ。
今こそ、外へ出られるようになった。
「さあ、おいで。
千二君、早く……」
と新田先生は、千二の手を取り、階段を上に駆け上がった。
きっとそこには博士が白い髭をブルブル震わせ、大怒りに怒って突っ立っていることだろうと思った。
――ところが、それは思い違いであったのだ。
「あっ、君は……」
床の上におどり上がった新田先生は、ものすごい驚きにぶつかった。
先生はサッと体をひねると、自分のあとから出てきた千二を後ろにかばった。
「き、君は一体何者だ! 生きているのか、死んでいるのか」
いったい先生が目の前に見た相手というのは、何者であったのだろう。
黒い長いマントを着た、肩幅のいやに四角ばった怪物が、新田先生に向かい合っている。
だが、その怪物には首がなかった。
首のない長マントの怪人だ!
さてこそ、新田先生は、「君は生きているのか、死んでいるのか」とたずねたのだ。
その怪人は、獣のように低くうなるばかりで、口をきかなかった。
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