初級翻訳・火星兵団 第73話

海野 十三

その部屋で、先生が一番驚いたのは、奥の正面の壁から、魚雷(ぎょらい)のお尻に似た非常に大きなものが、にゅっと突き出していることでした。
その格好は、まるで大きな魚雷を壁にドンと打ち込んだかのようでした――とでも言いましょうか。
博士はスタスタとその魚雷のお尻のようなもののそばへ歩いていくと、その下にしゃがみ込んで、ガチャンガチャンと金属音を鳴らしていました。やがて、先生の方を振り返って、
「さあ、こっちへ来い。頭をぶつけないように気をつけて、ここからはいって来い」
と言いました。
先生は腰を低くしてそこをのぞき込みましたが、あまりの光景にあっと驚きました。
形は魚雷のお尻のようですが、大きさは魚雷どころの騒ぎではありません。
大きな舵(かじ)のようにも見えましたが、その隣にぽっかりと開いた穴には、上からはしごがスーッと垂れ下がっていました。
蟻田博士はヒョイとそのはしごを登って、中へ入ってしまいました。
新田先生はびっくりしましたが、博士に遅れまいと、あわててはしごを登っていきました。
「うわあ、これは……!」
新田先生は、またもやびっくりして声をあげました。
それもそのはず、博士の後を追って中に入り込んだ魚雷のお尻のようなものの中は、驚くほど広かったのです。
中の部屋は、どこの壁もまるで安楽椅子の背もたれのようにしっかりと作られていて、指でグッと押してみると、中に強力な「バネ」が入っているのがわかりました。
つまり壁全体が――いや、壁だけではなく、天井も扉も――まるで安楽椅子の背もたれのようにフカフカに作られていたのです。
それから、室内にはやたらに電車のつり革のようなものがぶら下がっていました。
それも壁だけではなく、天井にもぶら下がっていれば、なんと床にもついているのです。
「床につり革だって!?」
新田先生は、「こんなところにつり革がついているなんて、いったいどういうことだ?」とその時は不思議に思いました。
でも、それにはちゃとわけがあったのです。
それはあとになれば分かることですが、この魚雷のお尻のようなものがいったい何であるかが分かれば、すべての謎が氷解するのです。
「おい、新田! 何をしているんだ。早く来ないと置いていってしまうぞ」
蟻田博士が呼ぶので、先生ハッと気づいて振り返ると、いつの間にか博士は奥の壁にある丸窓のような形の扉を開け、もう一つ向こうの部屋に入って、先生を手招きしているのでした。果たしてその奥の部屋には、いったい何があったのだろうか?
「早くしないと、もう見えなくなってしまうぞ」
と、蟻田博士は奥の部屋から新田先生を呼んだ。
一体何が見えるというのだろうかと、先生は丸窓のような形をした入り口をくぐって、博士のそばへ近づいた。
室内は暗かった。
暗室なのだ。
ただ、表示灯の明かりが、ぼんやりと機械の一部を照らしていた。
それはのぞき眼鏡のようなものであった。
博士の手がその明かりの中に現れて、のぞき眼鏡のようなものを指し示す。
「おい、新田。
この中をのぞいてみろ」
蟻田博士の声だ。
姿は見えないが、声だけが聞こえる。
なんだか不気味だ。
先生は博士の手が指し示すのぞき眼鏡のようなものに、目を近づけた。
「右の横につまみがある。
それを回して、焦点を合わせるのだ」
先生はそののぞき眼鏡の奥に、なんだか斜めになった光るものを認めた。
しかしそれが何であるかわからないので、右手の指でつまみを手探りで回してみた。
すると、その光るものはだんだんとはっきりしてきた。
「ほう、これは彗星だ!」
と、先生は思わず驚きの声をあげて叫んだ。
「そうだとも、もちろん彗星だ」
「すると、この彗星はもしや……」
「もしやも何もない。
それがモロー彗星なのだ。
おどろくべき猛スピードで、刻々と地球に近づきつつあるモロー彗星なのだ」
博士の声が、暗闇の壁にあたって響いた。
ああ、モロー彗星!
これが、モロー彗星であったか。
地球人類、いや地球上の全生物の命を奪っていこうとする魔の彗星はこれであるか! 新田先生は、真っ暗な空に異様な姿を見せているこの彗星を、食い入るように見つめている。
「どうして、こんな地底からモロー彗星が見えるのでしょう。
博士、これはどういうわけですか」
新田先生は博士に尋ねた。
「余計なことは聞かないがいい。
それよりも、モロー彗星をよく見ておくがいい。
まもなく、雲に遮られて見えなくなってしまうから……」
博士は言った。
新田先生は博士に叱られながらも、地底から見えるこの望遠鏡の不思議について考えた。
空が見えるからには、この望遠鏡の頭は空へ向けて出ていなければならない。
そこのところがどうなっているのか、先生は知りたいと思ったのである。
だが、博士はそれについて返事をしなかった。
モロー彗星は、博士の言ったように、まもなく雲に隠れて見えなくなってしまった。
先生がそのことを言って望遠鏡から目を離すと、博士は、
「これから、一日増しに大きく見えてくるじゃろう。
そうして、やがて地球に衝突する一週間ぐらい前になると、モロー彗星の一番太いところは満月ぐらいの大きさになるじゃろう。
そのころには、人間の中で気の弱い奴らは、そろそろ妙なことを口走るようになるじゃろう」
博士は気味の悪いことを言った。
「何とかして地球人類を助けてやる方法はないものですかねえ」
先生は無駄なこととは知りながらも、またしても博士にそれを相談せずにはいられなかった。
「だめじゃ。
よほどの奇跡でもない限りは……」
博士の返事は、先生が考えていた通りであった。
二人が話をしている時、暗闇の中で五つの赤い電球が、しきりについたり消えたりしはじめた。
すると博士は慌てて立ち上がった。
ぴかぴかぴかと、しきりについたり消えたりする赤い電球は、何を知らせているのだろうか。
蟻田博士は暗がりでもよく目が見えるらしく、立ち上がると何かしきりに機械を回している様子だ。
がらがら、がらがら。
スピーカーの中から雑音が出てきた。
電波障害(空電)が入っているらしい。
博士はなぜスピーカーを働かせているのか。
「博士、どうしたのですか」
と、新田先生は尋ねた。
だが、博士はそれに答えなかった。
その代わりに、スピーカーの中からの激しい雑音に混じって、何かしきりにわめき散らしているような人の声が聞こえる。
その声ははじめはとても小さかったが、しばらくすると雑音以上に大きくなってきた。
しかもその声が、日本語でしゃべっていることがわかった。
(誰だろう?)
先生は暗闇の中で耳を澄ませていた。
その声は大きくなったけれど、何を言っているのか言葉の意味がはっきりしない。
しかし、その中で、
「おい、聞いているか、日本人!」
という言葉が繰り返されたことがわかった。
先生はそれを聞いているうちに、声の調子から一人の人物をふと心の中に思い浮かべたのであった。
それはほでもない、刑事の佐々のことであった。
(佐々刑事の声によく似ているがなあ)
と、先生が首をかしげている時、スピーカーからの声はまた一段と声を張り上げて、
「……火星のやつに、気を許すな。火星のやつは、どんなひどいことでも、平気でやるぞ。
ゆだんするな。

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