初級翻訳・神州天馬侠 第33話

吉川 英治

まさしくここへさしてくる者は三騎の勇士だ。
そのはやきこと疾風、その軽きことかける天馬かとあやしまれる。

三

 わーッ、わーッと湖畔にあがったどよみごえ。
さては伊那丸がとらえられたか、咲耶子が斬られたか、あるいは、小幡民部がたおれたのであろうか。
いやいや、そうではなかった。
――一声たかくいなないた駒のすがたが、忽然とそこへあらわれたがため。
まッ先におどりこんできたのは、高尾の神馬、月毛の鞍にまたがった加賀見忍剣、例の禅杖をふりかぶって真一文字に、
「やあやあ、お心づよくあそばせや伊那丸さま! 加賀見忍剣、ただいまこれへかけつけましたるぞッ。
いでこのうえは穴山一族のヘロヘロ武者ども、この忍剣の降魔の禅杖をくらってくたばれ!」
 天雷くだるかの大音声。
むらがる剣を雑草ともおもわず、押しかかる槍ぶすまを枯れ木のごとくうちはらって、縦横無尽とあばれまわる怪力は、さながら金剛力士か、天魔神か。時をおかず、またもやこの一角へ、どっと黒鹿毛の馬首を突っ込んできたのは、これまた戒刀の名人・木隠龍太郎、つづいて朱柄の槍をとっては玄妙無比な巽小文治のふたりである。
紫白の手綱を左手に引きしぼり、右手に使いなれた無反りの一剣をひっさげた龍太郎は、声も高らかに叫んだ。
「それにいるのは小幡民部殿か。
木隠龍太郎、小太郎山よりただいまご助勢にかけつけてまいったぞ!
木ッ葉武者どもは、拙者がたしかに引きうけもうした!」
黒鹿毛の蹄をあげて、無二無三に敵を蹴散らしながら、はやくも鞍上の高いところから、右に左にと戒刀をふるって血煙をあげる。
「いかに穴山入道はいずれにおるのだ。
巽小文治が見参! 卑劣者め、どこへ逃げた!」
十方自在の妙槍をひっかかえ、愛馬に泡をかませながら、乱軍のうちを血眼になって走りまわっていたのは小文治である。
「うぬ、小ざかしい口を!」
その姿をチラと見つけると、まっしぐらにかけよってきた四天王の猪子伴作は、怒喝一番こう叫んだ。
「素浪人めッ!」
さッと下から笹穂の槍を突きあげる。
「おうッ!」と横にはらって返した巽小文治の朱柄の槍。
まわりの者も交ぜず、一騎打ちとなった槍と槍は、閃光を鋭くきらめかせ、上段下段と秘練の技を戦わせていたが、たちまち、朱柄の槍先がものをいい、猪子伴作は串刺しのように突かれて、草むらのなかへ投げとばされてしまった。
すると、白旗の宮の裏から、よろばい出てきた法師武者がいる。
こなたの混乱に乗じて、そこにあった馬に飛びつくやいなや、死にものぐるいで逃げだした。
おお、それこそは、さきほど一太刀をうけ、大騒ぎのすきにどこかへもぐりこんでいた梅雪入道その人ではないか!
「やっ、めったなことはさせぬぞ!」
こなたで天野刑部の大薙刀と渡りあっていた木隠龍太郎は、奮然と刑部を一刀のもとに斬り捨てると、梅雪の後をどこまでも追いかけた。
ピシリ、ピシリ、ピシリ! 戒刀の平を鞭にして馬を追いとぶこと、一町、二町、三町……。だんだんと近づき、いまや敵の姿をはっきりと見定めることわずかに十七、八間。
そのとき、何者が切り放ったのか、梅雪の馬のわき腹へグサッと一本の矢が突き刺さった。いななき声とともに、人もろとも馬はどうと屏風のように倒れこんだ。
行く手の丘の上に、少し小高くなっている場所があった。
そこの松の切株の上に立っていたひとりの武芸者は、馬のいななき声をきくと、弓を小わきに抱えてヒラリと飛びおりてきた。

悪入道の末路

一

矢に当たって暴れる馬の上から、もんどり打って落とされた穴山梅雪は、血に染まった体を草むらのなかから起き上がらせるが早いか、無我夢中の体で、道もない雑木林へと逃げこんだ。
静まり返ったのもつかの間、たちまち、パパパパパパパッ! と大地を打つすさまじいひづみの響き。天馬が空を飛ぶようなすさまじい勢いで乗りつけてきたのは、木隠龍太郎である。
怨敵・梅雪が道なき繁みへ逃げこんだのを見るや、ヒラリと黒鹿毛を乗り捨て、右手なる戒刀をひっさげたまま、こう叫んだ。
「卑怯なやつめ! 未練たらしいやつめ! 一国の主ともあろうものが恥を知れ! 観念しろ、梅雪! 逃がさんぞ、梅雪!」
大声で呼びわりながら、身がすっぽり隠れるほどの熊笹のなかを追いのぼっていく。
だが、梅雪のほうはそれに耳を貸すどころではなく、命だけでも助かりたいの一心で、丘のいただき近くまで這いつくばるようにのぼってきた。すると不意に、目の前に、まるで猿かムササビかライチョウかのように、上方の岩のてっぺんから一足飛びにパッと飛びおりてきた者がいた。
「あっ……!」
おびえきっていた梅雪の心臓は再びキュッと縮みあがり、思わず立ちすくんでしまったが、ふと驚異の人物を見直すやいなや、これは天からの救いか、地獄に仏かと狂喜乱舞して飛びあがった。
それは、たくましい重籐(しげとう)の弓を小わきに抱えた、若々しく、そして気高いオーラを放つ武芸者だったからだ。
梅雪は本能的に叫んだ。
「おお、ちょうどよいところに! わしは甲州北郡の領主、穴山梅雪じゃ! いまわしの後から追いかけてくる裾野の盗賊どもを防いでくれ! この難儀を救ってくれたなら、千石、二千石の旗本に取り立ててやろう。いや、恩賞はお前の望みどおりにしてやる!」
「さては遠くから見た目に違わず、貴様があの穴山梅雪入道だな」
「このような無様な姿をしているからといって疑うな、わしにまちがいなくその梅雪じゃ! お前の一生の出世のチャンスは、いまにせまったわしの危急を救うことにあるのだぞ!」
「だまれ、やかましいわ!」
若い武芸者は、梅雪の頬をピシャリと叩かんばかりの勢いで怒鳴りつけた。
「世に聞こえた甲州の悪入道め!
たとえどれほどの宝を差し出そうとも、誰が貴様らのような犬侍のくせに腐った禄(ろく)なぞ食らうものか! こうなることははじめから分かっていた、貴様の逃げ足めがけて遠矢を射たのは、この私なのだからな!」
「げっ……! さてはお前も……!」
絶望、驚愕、そして憤怒!
奈落の底へ突き落とされた梅雪は、まるで虎の穴から逃れようとして、龍のすむ深淵に落ちてしまったような、完全な破滅へと追い込まれた。
こうなったうえは、もはやいちかばちか、命をかけて自力で切り抜けるよりほかに道はない。
「うーーむっ……!」ようもじゃま立てをいたしたな! 老いたりといえども穴山梅雪、その素ッ首をはねとばしてくれよう」
「ハハハハハハ、片腹いたい臆病者のたわ言こそ、あわれあわれ、もう汝の天命は、ここにつきているのだ、男らしく観念してしまえ」
「エエ、いわしておけば」
 死身の勇を奮いおこした梅雪の手は、かッと、陣刀の柄に鳴って、あなや、皎刀(こうとう)の鞘ばしッて飛びくること六、七尺! オオッとばかり、武芸者のまッこうのぞんで斬り下げてきた。
「笑止や、蟷螂(とうろう)の斧だ」
 ニヤリと笑った若き武芸者は、さわぐ気色もなく身をかわして、左手に持った弓の弦がヒューッと鳴るほどたたきつけた。
「あッ」と梅雪は二の太刀を狂わせ、熊笹の根につまずいてよろよろとした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました