初級翻訳・神州天馬侠 第57話

吉川 英治

死地におちた雨ヶ岳

一

富士川の名物である筏舟(いかだぶね)に竿を差し、鰍沢(かじかざわ)から下る筏乗りのふりをして、矢のような速さで東海方面へ逃げた、怪しい二人の男がいました。
海口へ着くやいなや、しぶきに濡れた蓑笠(みのかさ)とともに筏を捨て、浜辺を伝って蒲原(かんばら)の町へ入ったその姿は、前の夜に鼻かけ卜斎(ぼくさい)の屋敷から逃げ出した菊池半助(きくちはんすけ)その人でした。
連れているのは、その時、道中の手土産としてさらってきた泣き虫の蛾次郎(がじろう)です。
十五、六にもなりながら、他人にさらわれるような蛾次郎ですから、もちろん自分ではさらわれたなどとは思っていません。
お人好しな彼は、自分を出世させてくれる良いおじさんに巡り合えたと思い込んでいます。
「蛾次郎、もうここまでくればどんなことがあっても安心だから、心配せずに元気を出すといい」
半助が振り返って言うと、宿場の賑わいにキョロキョロしながらのこのこと歩いてきた蛾次郎は、少し口を尖らせて言いました。
「元気をだせったって、元気なんか出やしねえや。お侍さんは、よく腹が減らないねえ」
「ははあ、どうもさっきから機嫌が悪いと思ったら、空腹のせいでふくれているんだな」
「だって昨夜から一粒もご飯を食べてないんだもん。そのうえ今朝になっても歩かされてばかりじゃ、いくらオレだってたまんねえや」
「待て、あと少しの辛抱だ。向田ノ城(むこうだのしろ)へ行けば、何でも腹いっぱい食わせてやる」
「もうだめだ。ああ、もう歩けない。何か食べなくっちゃ目が回りそうだ……」
慣れてきたせいか、だんだんと本性を現してきた蛾次郎は、宿場の人足たちが集まって美味しそうに立ち食いしている餅屋の前へ来ると、大げさに腹を抱えてしゃがみ込んでしまいました。
半助は苦笑いしながら、いくらかの小銭を渡しました。
それをもらうと、蛾次郎は人混みをかき分けて懐いっぱいに焼き餅を買い求め、ムシャムシャと頬張りながら歩き出しました。
間もなく、二人の前に向田ノ城が見えてきました。
ここの砦には、富士、庵原(いはら)の二郡を守る徳川家の松平周防守康重(まつだいらすおうのかみやすしげ)がいます。
菊池半助はその人に会い、自分で探知した裾野の形勢を詳しく書面にまとめ、それを浜松の本城へ早馬で送り届けてくれるよう頼みました。
書状の内容は、徳川家の領内である富士の人穴を中心に、裾野一帯の無人の広野に、いまや呂宋兵衛(ろそんひょうえ)だの伊那丸(いなまる)だの、あるいは秀吉の隠密、柴田勝家の間者などが入り乱れて跳梁しており、情勢は非常に危険であること。
早いうちに味方の兵を出して、それらの者を掃滅しなければ一大事になる――という意味のものでした。
その密談のあいだ、城内の一室で「ちぇっ、馬鹿にしやがって」とプンプン怒っていたのは蛾次郎です。
焼き餅を食べ尽くして腹は一杯になりましたが、まさか寝ることもできず、半助はいつまでたっても姿を見せず、遊ぶ場所もなく、文句のやり場がないために一人でブツブツとこぼしていました。
「いやんなっちゃうな。どうしたんだい、あの人は。向田ノ城へ行ったら何でも好きなものはやるの、うまいものは食い放題だのって言っておいてよ。ちぇっ、くそ! 馬鹿にしやがって、嘘つき! 菊池半助の大嘘つき!」
腹いせにわめいていると、ふいにそこへ半助が入ってきたので、さすがの蛾次郎も少し間が悪かったようで、作り笑いを浮かべました。「蛾次郎、さぞかし腹が減ったことであろう」
「ううん、そんなことないよ。だけど菊池さん、今まで一体どこへ行っていたのさ」
「お前を立派な侍に取り立ててやろうと思って、城主の周防守さまと相談してきたのだ。どうだ蛾次郎、お前もそろそろ立派な侍になって、堂々と馬に乗り、多くの家来を従えて、こんなお城に住んでみたくはないか」
「うふふふふふ、俺を侍にしてくれるのかい?」
蛾次郎は目を細くして喜びました。
「もちろんだ。だが、それにはぜひ何か一つ、手柄を立てなければならん」
「手柄を立てるには、どんなことをすればいいんだい?」
「その方法は拙者が教えてやる。しかも、蛾次郎にしかできないことがあるのだ。おい、耳を貸せ……」
半助が何やらひそひそと囁くと、蛾次郎は目を丸くして、周りも構わずにこう言いました。
「えっ、じゃあ、あの竹童(ちくどう)が使っている大鷲を、俺が盗んでくるのかい!」
「シーッ、大きな声を出すな。……お前はたしか、あの大鷲に乗せてもらった経験があるだろう」
「あるある。竹童が松明(たいまつ)をくれって言ったから、それを持って行って、一晩中鷲に乗せてもらったよ」
「それなら、あの子僧が鷲をつないでおく場所も、鷲の背に乗る方法も、お前なら十分に心得ているはずだ。実は近いうちに、あのあたりで大きな戦が起きる。その騒ぎに乗じて、竹童の鷲を徳川家の陣中へさらってきてくれればそれでよいのだ。なんと、簡単なことではないか」
「だけど……もしやり損なうと大変だな。竹童ってやつ、ちびでもなかなか強いからな」
「蛾次郎!」
半助が怖い目をしたので、彼はビクッとして飛びのきました。
「嫌だといえばこれだぞ――」
ギラリと脇差を抜いて、蛾次郎の鼻先に突きつけた菊池半助は、さらに左手で袂からザラザラと小判をつかみ出し、刀と金を並べて見せました。
「やるといえば褒美にこれ。嫌といえば刀で首。さあ、どっちが良いか選べ」

二

菊池半助の書状が家康の本城・浜松へ届いたその日、戦慣れした三河武士たちは素早く準備を整え、旗指物をずらりと並べて東海道を北へ向けて出陣しました。その数は三千人。
精悍無比(せいかんむひ)と噂された亀井武蔵守の兵七百、内藤清成の手勢五百、加賀爪甲斐守(かがづめかいのかみ)の一隊六百余人、高力与左衛門の三百五十人、そして水野勝成が後詰(ごづめ)として率いる九百あまり。軍奉行は天野三郎兵衛康景(あまのさぶろうべえやすかげ)です。
法螺貝(ほらがい)や陣鐘の音を響かせ、砂煙を上げながら堂々と街道を下り、蒲原の宿、向田ノ城に入って松平周防守の出迎えを受けました。
ここで裾野の戦いについての大評議を終えた各将は、待ち構えていた菊池半助を地理の案内役として先陣に加え、全軍で犬巻峠(いぬまきとうげ)の険しい道を越え、富士河原を渡り、天子ヶ岳(てんしがたけ)のふもとから南の裾野にかけて、長蛇の陣を敷きました。
西を望めば、雨ヶ岳の頂上を陣地とする武田伊那丸の一党。北を見れば、人穴城(ひとあなじょう)に立てこもる呂宋兵衛(ろそんひょうえ)の一族。そして南の平野には、葵の紋の旗指物をなびかせて、威風堂々と構えた三千の三河武士。
ここには、敵味方三方に分かれた形勢が出来上がっていました。
甲を攻めれば乙がやってくる。乙を討とうとすれば丙が突いてくるという、三角対峙の状態です。
果たしてどのような駆け引きのもとで、目まぐるしい三つ巴の戦法が展開されるのか。風雲が急を告げるほどに、裾野の行方はますます予測がつかないものとなりました。
けれど、それは人と人、武士と武士の争いに過ぎません。

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