だからこそ、まずみんながじぶんの考えを十分に話し合ったあとで、大ぜいの意見で物事をきめていくのが、いちばんまちがいが少ないということになるんだ。
そして、そうしてきまったあとでは、ほかの人たちはその大ぜいの意見にすなおにしたがっていくのが良いのです。
このように、できるだけ大ぜいの人の意見で物事をきめていくのが、民主主義のやり方なのです。
国を治めていくのもこれと同じです。
わずかな人の意見だけで国を治めていくのは良くありません。
国民全体の意見で国を治めていくのがいちばん良いのです。
つまり、国民全体が自分たちの手で国を治めていく――これが民主主義の治め方なんだよ。
だけど国は、みんなの学校のクラスとはちがいます。
国民の全員が一つの場所に集まって話し合うことはできません。
一人ひとりの意見をまわって聞いていくこともできません。
だからこそ、みんなの代わりになって国の仕事のやり方をきめてくれる人が必要なんだ。
それが「国会(こっかい)」です。
国民が国会の議員を選ぶということは、自分の代わりになって国を治めてくれる人をえらぶということなんだよ。
だから国会では、いつでも国民の代わりである議員の大ぜいの意見で物事をきめます。
そしてほかの議員たちもその意見にしたがいます。
これによって、国民全体の意見で物事をきめたことになるのです。
これが民主主義なんだよ。
だから、民主主義とは「国民全体で国を治めていくこと」なのです。
みんなの意見で物事をきめていくのが、いちばんまちがいが少ないんだ。
だから民主主義で国を治めていけば、みんなは幸せになり、国もきっとさかえていくでしょう。
国はとても大きいから、このように国の仕事を国会の議員にまかせてきめていきます。そのため、国会は国民の「代わり」になるものなんだ。
この「代わりになる」ということを「代表(だいひょう)」といいます。
さきほどお話ししたように、民主主義は国民全体で国を治めていくことですが、国会が国民全体を代表して国のことをきめていくので、これを「代表制民主主義(だいひょうせいみんしゅしゅぎ)」のやり方とよびます。
でも、いちばん大切なことは、すべてを国会にまかせっきりにしないで、国民が自分じしんで意見をきめる場合もあるということです。
こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、国会だけできめないで、国民一人ひとりが賛成か反対かを投票してきめることになっています。
このときは、国民が直接に国のことをきめるので、これを「直接民主主義(ちょくせつみんしゅしゅぎ)」のやり方といいます。
あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義という二つのやり方で国を治めていくことにしているけれど、代表制民主主義のやり方が中心になっていて、直接民主主義のやり方は、ほんとうに大事な場合に限られているんだよ。
だから、こんどの憲法はだいたい代表制民主主義のやり方でできていると言ってもよいのです。みなさんは日本国民のひとりです。
しかし、まだ子どもです。
国のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめていくことができるのです。
国会の議員をえらぶのも、国のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。
みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。
そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票に行かれるのを見て、みなさんはどんな気がしましたか。
今のうちに、よく勉強して、国を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。
もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、国のことを、じぶんできめていくことができるのです。
みなさんの考えとはたらきで国が治まっていくのです。
みんながなかよく、じぶんで、じぶんの国のことをやっていくくらい、たのしいことはありません。
これが民主主義というものです。
三 国際平和主義
国の中で、国民ぜんたいで、物事をきめていくことを、民主主義といいましたが、国民の意見は、人によってずいぶんちがっています。
しかし、おおぜいのほうの意見に、すなおにしたがっていき、またそのおおぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく国の仕事をやっていくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。
これは、一つの国について申しましたが、国と国との間のことも同じことです。
じぶんの国のことばかりを考え、じぶんの国のためばかりを考えて、ほかの国の立場を考えないでは、世界中の国が、なかよくしていくことはできません。
世界中の国が、いくさをしないで、なかよくやっていくことを、国際平和主義といいます。
だから民主主義ということは、この国際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。
こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの国に対しても国際平和主義でやっていくということになるのは、あたりまえであります。
この国際平和主義をわすれて、じぶんの国のことばかり考えていたので、とうとう戦争をはじめてしまったのです。
そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この国際平和主義でやっていくということを、力強いことばで書いてあります。
またこの考えが、あとでのべる戦争の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになっていくのであります。
四 主権在民主義
みなさんが集まって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。
いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。
勉強のよくできることでしょうか。
それとも力の強いことでしょうか。
いろいろきめかたがあってむずかしいことです。
国では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。
もし国の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。
もしおおぜいの考えできまるなら、そのおおぜいが、みないちばんえらいことになります。
もし国民ぜんたいの考えできまるならば、国民ぜんたいが、いちばんえらいのです。
こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、国民ぜんたいの考えで国を治めていきます。
そうすると、国民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。
国を治めていく力のことを「主権」といいますが、この力が国民ぜんたいにあれば、これを「主権は国民にある」といいます。
こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本国民にあるわけです。
そこで前文の中にも、また憲法の第一条にも、「主権が国民に存する」とはっきりかいてあるのです。
主権が国民にあることを、「主権在民」といいます。
あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。
みなさんは、日本国民のひとりです。
主権をもっている日本国民のひとりです。
しかし、主権は日本国民ぜんたいにあるのです。
ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。
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