馬鹿にしないでください! 私はあなたのことを思って、あなたと一緒になったのですよ」「色気なんて、これっぽっちもありやしませんよ。あなたもずいぶん下品なことを言うんですね。そもそも私が、あなたのような人と一緒になったばかりに、朝から晩までどんなに寂しい思いをしているか、あなたはちっとも分かっていないんです。
たまには、優しい言葉の一つくらいかけてくれたっていいでしょう? 他の夫婦を見てごらんなさいよ。どんなに貧乏暮らしをしていても、夕ごはんの時間には楽しそうに世間話をして笑い合っているじゃないですか。私は決して欲張りな女じゃありません。あなたのためなら、どんなことだって我慢して見せます。ただ、時々でいいから、あなたから優しい言葉をかけてもらえたら、私はそれだけで満足なのですよ」
「つまらないことを言うな。白々しいぞ。もういい加減あきらめているのかと思えば、まだそんな決まりきった泣き言を並べて、話の流れを変えようとしているのか。だめだ。お前の言うことなんて、みんなごまかしだ。その時々の、いい加減な気分で言っているだけじゃないか。
おれをこんな無口な男にしたのは、お前なんだよ。夕食の時の世間話なんて、たいていは近所の人の品評会じゃないか。悪口じゃないか。それも、お前のいつものいい加減な気分で、やたらと人の陰口を叩く。おれは今まで、お前が誰かを褒めているのを聞いたことがない。
おれだって弱い人間だ。お前に巻き込まれて、つい人の悪口を言いたくなる。おれは、それが怖いんだよ。だから、もう誰とも口をきくまいと思ったんだ。お前たちは、人の悪いところばかり目に付いて、自分自身がどれほど恐ろしいことをしているか、まったく気づいていない。おれは、人間が怖いんだ」
「分かりました。あなたは、私に飽きたのですね。こんなお婆さんが、鼻についてきたんでしょう。私には分かっていますよ。さっきのお客さんはどうしました? どこに隠れているんです。たしかに若い女の声でしたわね。あんな若い子ができたなら、私のような婆さんと話をするのが嫌になるのも当然です。なんだい、無欲だの何だのと悟ったような顔をしていても、相手が若い女だと分かると、すぐワクワクして、声まで変えて、ペチャクチャとお喋りを始めるんだから、嫌になりますよ」
「それなら、それでいい」
「よくありませんよ! あのお客さんはどこにいるんですか。私だって、ちゃんとご挨拶をしなければお客さんに失礼でしょう。こう見えても、私はこの家の主婦なんですからね。挨拶をさせてください。あんまり私を馬鹿にして踏みつけにするのは、だめですよ」
「これだ」とお爺さんは、机の上で遊んでいる小雀の方を顎でしゃくって見せました。
「え? 冗談じゃない。雀がものを言うんですか?」
「言うさ。しかも、なかなか気の利いたことを言うんだ」
「どこまでも、そんなに意地悪く私をからかうのですね。じゃあ、よござんす」
お婆さんは突然腕を伸ばして、机の上の小雀をむずと掴むと、「そんな気の利いたことを言わせないように、舌をむしり取ってやります。あなたは普段から、どうもこの雀を可愛がりすぎます。私には、それがいやらしくて仕方なかったんですよ。ちょうどいいわ。あなたが、あの若い女のお客さんを逃がしてしまったのなら、身代わりにこの雀の舌を抜きます。いい気味だ!」
そう言って、掌の中の雀のくちばしをこじ開け、小さな菜の花びらのような舌を、キュッとむしり取りました。雀は、はたはたと空高く飛び去っていきました。お爺さんは、無言で雀の行方を眺めています。
そして、その翌日から、お爺さんの大竹藪探索がはじまるわけです。
「舌切り雀、お宿はどこだ。舌切り雀、お宿はどこだ」
毎日毎日、雪が降り続きます。それでもお爺さんは、何かに取り憑かれたみたいに、深い大竹藪の中を探し回ります。藪の中には、雀は千も万もいます。その中から、舌を抜かれたあの小雀を探し出すのは、至難の業のように思われます。しかし、お爺さんは異様な熱心さで、毎日毎日探索するのです。
「舌切り雀、お宿はどこだ。舌切り雀、お宿はどこだ」
お爺さんにとって、こんながむしゃらな情熱を持って行動するのは、その生涯において一度もなかったことのように見受けられました。お爺さんの胸の中に眠らされていた何かが、この時初めて頭をもたげたようにも見えます。ですが、それが何であるのか、筆者(太宰)にも分かりません。
自分の家にいながら、他人の家にいるような浮かない気分で過ごしていた人が、ふと自分の一番気楽な性格に出会い、それを追い求める。それを「恋」と言ってしまえばそれまでですが、世間で一般的に言われる「恋」という言葉で表される心理よりも、このお爺さんの気持ちは、はるかに侘しいものなのかもしれません。
お爺さんは夢中で探しました。生まれて初めての、執拗なまでの積極性でした。舌切り雀、お宿はどこだ。
舌切り雀、お宿はどこだ。
もちろん、声に出して歌いながら探していたわけではありません。
しかし、風が耳元でそのようにひそひそと囁き、いつのまにか自分の胸の中にも、その変な歌ともお念仏ともつかない文句が、一歩一歩と竹藪の下の雪を踏みしめて歩く足音に合わせて湧き上がってきて、風の囁きとぴったり重なり合うような、そんな具合なのです。
ある夜、この仙台地方でも珍しいほどの大雪が降り、翌朝はからりと晴れて、目がくらむような銀世界が広がりました。お爺さんはその朝早くから藁靴を履き、相変わらず竹藪をさまよい歩いていました。
舌切り雀、お宿はどこだ。
舌切り雀、お宿はどこだ。
竹に積もった大きな雪の塊が、突然どさりとお爺さんの頭の上に落ちてきました。当たり所が悪かったのか、お爺さんは気を失って雪の上に倒れ込んでしまいました。
夢か幻かという境の中で、様々な声の囁きが聞こえてきます。
「かわいそうに、とうとう死んでしまったんじゃないの?」
「なに、死にはしないさ。気が遠くなっただけだよ」
「でも、こうしていつまでも雪の上に倒れていたら、寒さで死んでしまうわよ」
「それはそうだな。どうにかしなくちゃいけない。困ったことになった。こんなことになる前に、あの子が早く出て行ってやればよかったのに。いったい、あの子はどうしたんだ」
「お照さんのこと?」
「そうだよ。誰かにいたずらされて口に怪我をしたようだが、あれからさっぱりこの辺りに姿を見せないじゃないか」
「寝ているのよ。舌を抜かれてしまったから、なにも言えずに、ただぽろぽろと涙を流して泣いているわ」
「そうか、舌を抜かれてしまったのか。ひどい悪戯をするやつもいたものだなあ」
「ええ、それはね、この人の奥さんよ。悪い奥さんではないんだけれど、あの日は虫の居所が悪かったのでしょうね。いきなり、お照さんの舌を引きむしってしまったの」
「お前、見ていたのかい?」
「ええ、恐ろしかったわ。人間って、あんなふうに突然ひどいことをするものなのね」
「やきもちだろう。俺もこの人の家のことはよく知っているけれど、どうもこの人は、奥さんを馬鹿にしすぎていたよ。奥さんを可愛がりすぎるのも見ていられないものだが、あんなに無愛想なのもよくない。
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