初級翻訳・かめれおん日記 第7話

かめれおん日記

うらやましい気持ち、ねたみ、自分の将来への不安、負け惜しみからくる悲しいプライド。要するに、これらすべてを混ぜ合わせたような、モヤモヤとした胸騒ぎです。
彼女たちは口々に、赤ん坊(本当に色白で、ぷくぷく太っていて可愛かったのです)の可愛さを褒めちぎりながら、男性には想像もつかないようなギラギラした目つきで、幸せそうな若いお母さんを、一年前とはすっかり変わってしまった髪型を、見違えるほど派手になった服装を(学校で働いていた頃は洋服だったのに、今日は和服なのです)、そうして、それらすべてから読み取れるはずの生活の秘密を、むさぼるように探ろうとするのです。
赤ん坊を抱き上げてあやしながら、その顔をじっと見つめる眼差しといったら、子供全般に対して女性が抱く愛情とは全く別物の、激しい熱を帯びていました。モデルをじっくり観察して、その絵を模写しようとする画家でさえ、この熱烈さにはかなわないでしょう。
三十分ほど話して帰っていったこの若いお母さんと色白の男の赤ん坊は、独身の先生たちの上に、まるで通り魔にでもあったような不思議な爪痕を残していきました。
午後が終わるまでずっと、独身の女教師たちの落ち着きのなさは、普段そういうことに気づかない私のような者にも、はっきりと分かりました。
もし人間の心の揺れが気圧に影響を与えるのだとしたら、午後の職員室のこのモヤモヤとした空気は、間違いなく気圧計を大きく変化させているに違いないと思われました。
彼女たちは数年前から同じ職員室の同じ机の前に座り、同じ教室で同じことを生徒たちに教え続けています。
来年も、再来年も、おそらくその次の年も、神様の特徴の一つである「絶対に変わらないこと」を体現するように、同じことを繰り返すのでしょう。
そうしているうちに、彼女たちの中にあったはずの、ほんの少しの尊い心も少しずつ石のように固まっていき、ついには、男とも女ともつかない――男の悪いところと女の悪いところを兼ね備えた怪物、しかも自分では「男のいいところと女のいいところの両方を持っている」とうぬぼれている怪物になり果ててしまうのです。
今日職員室を訪れた若いお母さん――先の音楽の先生は、去年私がこの学校へ来てから一ヶ月ほどで辞めてしまいました。
その頃の先生としての彼女と、今日の母親としての彼女を比べてみると――音楽の先生というのは、他の教科の先生と違ってずっと自由で派手で、教師っぽくないものではありますが――それにしても、今日の方が一年前よりどれほど楽しそうで、明るく、若々しく見えたことでしょうか。
教師という職業が、知らず知らずのうちに身につけさせる「堅苦しさ」。
失敗しないことを一番に考える習慣から生まれる、卑屈な考え方。
新しいことや進歩的なことに対する、鈍感さ。
そういったものが、水垢のようにいつの間にか溜まっていくのです。
「学校の先生が、生徒ではない普通の大人と話をする時には、小人の国から帰ってきたガリバーのように、相手の理解力に合わせるのに骨が折れる」と、ラムは言っています。
理解力だけで済めば、こんなに幸せなことはないのですが。

六

カメレオンの籠には、もうカメレオンはいません。
綿が元のまま敷かれ、止まり木も元のままかかっています。
去年の春から一年半ほどの間に、この籠には三種類の動物が住みました。
最初は、黒い目の周りを白く縁取った、見るからにいたずらっ子そうなキボウシインコのペアです。
これは一年近くいたのですが、一羽が病気(?)で死んでしまったので、残った方も人に譲ってしまいました。
次は、翼が青くて胸が真っ赤な、大きなオウムです。
これはかなり立派で、止まり木にとまったままうとうとと居眠りするところなど、なかなか渋い味わいがあり、「娼婦の衣装をまとった哲学者だ」などと言って楽しんでいたのですが、とうとう餌をやり忘れて死なせてしまいました。
最後がカメレオンで、これは五日間しかいなくて、動物園へ行ってしまいました。
寂しいとまでは言いませんが、あまり楽しい気持ちではありません。
今日は授業がない日ですが、Y君に昨日の様子を聞くために学校へ行きました。
Y君の話によると、動物園でも大変喜んで受け取ってくれたそうです。
「すごく大きなカメレオンですね。うちに今いるやつは、ほとんどこの半分くらいの大きさですよ」と言っていたそうです。
また、もし死んでしまった場合には、標本として学校へ送ってもらう約束をしてきたそうです。
Y君にお礼を言って帰ろうとすると、「夕方から南京町でK君のお祝いの会をすることになっているから、出てくれませんか」と言われました。
出席する旨を伝えて学校を出ました。
K君は二週間ほど前、英語の教員検定試験に合格したのです。
この間カメレオンをもらった日に、K君が受け持っている生徒が二、三人、おせっかいにも次のような話を私に教えてくれたのでした。何でも、その二日か三日前の昼休みのことでした。K君が自分の受け持っているクラスへ行って、「昨日の○○新聞の神奈川版に、ちょっと見たい記事があるんだけど、君たちの中に誰か家にそれがあったら持ってきてくれないか」と言ったのだそうです。

それで生徒たちが何人か家からその日の神奈川版を持ってきて見てみたところ、そこには小さくではありましたが、「Y女学校のK教諭、見事、教員検定試験に合格」と出ていたのだといいます。

「それをわざわざ私たちに知らせるために、持ってこさせたのよ。いやんなっちゃうわ。ほんとに」と、生徒の一人は生意気な口をききました。

いくら若いとはいえ、まさかとは思うのですが、そう言われてみれば、そんな馬鹿げた真似もやりかねないほど、K君は有頂天になっていました(得意げに試験の様子をみんなに言いふらしたり、急に「女学校の教師なんてつまらない」と言い出したりしていましたから)。

人間はいつまでたっても、なかなか大人にならないものだと思います。というより、髭が生えても皺が寄っても、結局、幼稚さという点ではいつまでも子供なのであって、ただ、しかめっ面をしたり、偉そうな態度をとってみたり、幼稚な動機に大層な理由をつけたりすることを覚えたに過ぎないのではないでしょうか。

誰も褒めてくれないといってべそをかいたり、友達に無意味な意地悪をしてみたり、ズルをしようとしてつかまったり、みんな子供の行動に翻訳できることばかりです。だからK君の愛すべき自己宣伝なども、かえって正直でいいのだと私は思います。

帰る途中、山手の丘を登ってみました。まだ十時頃です。ごく薄い霧がずっと立ち込めていて、太陽は空にかかっているのですが、見つめてもそれほど眩しくありません。磨りガラスのような明るい霧の底に、四方の風景が白っぽくぼやけています。昨日の夕方から引き続き、風は全くありません。四方の白さの底に、何か温かいほんのりとしたものさえ感じられます。

ポケットが重いので手を入れてみると、本が入っていました。出してみるとルクレティウスでした。今朝着てきた上着は久しく使っていなかったものなので、この本をいつポケットに入れて持ち歩いたのか、全く記憶がありません。

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