……(両手を腰にあてて、庭をシャンと歩きまわる)ほら見てごらん、――まるでピヨピヨ元気なひな鳥みたいでしょ。
わたし、気になれば十五歳の小娘だって見せてあげられるんだから。
ドールン まあまあ、それはそれとして、ぼくは本の続きを読むよ。
(本を手に取って)ええと、粉屋とネズミの話のところだったね……
アルカージナ そうそう、そのネズミのくだりよ。
早く読んでちょうだい。
(また腰かけて)ちょっとその本貸してごらん、わたしが読んであげる。
こんどは私の番ね。
(本をパッと受け取って、目でページをさがす)ネズミと……ああ、ここだ、ここ。
……(声に出して読む)「だからもちろん、お高くとまった社交界の婦人たちが、小説家をちやほやして自分のまわりに近づけたりするのは、まるで粉屋が自分の納屋にネズミを飼っておくようなもので、ものすごく危険なことである。
それにもかかわらず、小説家たちは相変わらず女性たちからひいきにされる。
こうして、ある女性が『この作家こそは!』と狙いを定めて、自分のサロンにうまく手なずけておこうと企むとき、彼女はありとあらゆるお世辞や、お愛想、お追従の限りを尽くして、まるで要塞(ようさい)を包囲するように攻撃をしかけるのである」……ふん、フランスじゃそうかもしれないけれど、ここロシアじゃあ、そんな小賢(こざか)しい目論見(もくろみ)なんてこれっぽっちもありやしないわよ。ロシアの女性ってやつは、たいてい作家を自分のものにする前に、自分のほうが夢中になって首ったけの大熱愛になっちゃうんだから。
いやはや、やれやれだわ。
身近なところを言えば、たとえばこのわたしとトリゴーリンだって……。
そこへ、ソーリンが杖を頼りにしてやってくる。
その隣にはニーナ。
さらにそのあとから、メドヴェージェンコが車輪のついた空っぽのひじ掛け椅子を押してついてくる。
ソーリン (まるで子供をあやすような口調で)おや、そうなのかい? 嬉しくて嬉しくてたまらないってわけか? 今日はみんな、なんだか浮き浮きしているみたいだな、要するに! (妹のアルカージナに向かって)聞いてくれよ、嬉しいことがあるんだ! お父さんと、ままおっ母さんがトヴェーリへ出かけちまったからさ、ぼくたちはまる三日間、誰に気兼ねすることもなくのうのうと羽根を伸ばせるってわけさ。
ニーナ (アルカージナの隣にちょこんと腰かけ、彼女にぎゅっと抱きつく)わたし、本当にしあわせ! これで今日から、わたしはあなたたちのものですわ。
ソーリン (自分のひじ掛け椅子に腰を下ろしながら)今日のこの子は、一段と綺麗だなあ。
アルカージナ おめかししちゃって、もう見ているだけでほれぼれしちゃうわ。(ニーナのほっぺたにキスをする)でも、あんまり褒めすぎちゃいけないわね、嫉妬深いお化けが怒っちゃうから。
ところで、トリゴーリンさんはどこにいるの?
ニーナ 水浴び場のあたりで、釣りをしていらっしゃいますわ。
アルカージナ よくもまあ、あんなに飽きないものだわねえ!(ふたたび本を読もうとする)
ニーナ ねえ、それって何の本なの?
アルカージナ モーパッサンの『水の上』よ。
(本を二、三行ほど黙って読む)ふん、あとの部分はくだらない嘘っぱちね。(本をパタンと閉じる)なんだかあたし、落ち着かない気分だわ。
うちの息子はいったいどうしちゃったのかしらねえ? どうしてあんなにつまらなそうで、険しい顔ばかりしているんだろう? あの子なんて、もう何日も続けて湖ばかりうろついているものだから、あたし、おちおち顔を見る暇もないんだから。
マーシャ 退屈なさっているんですわ、きっと。(ニーナのほうを向き、おずおずとした様子で)ねえ、あの人の書いた劇のセリフを、どこでもいいからちょっと読んでくださらない?
ニーナ (両肩をすくめながら)ええ、あんなものを? とってもつまらない劇よ!
マーシャ (胸の高鳴りを必死におさえながら)あの人がご自分で何かを朗読なさるときなんて、目がまるで燃えるみたいにキラキラ輝いて、お顔が真っ青になっていくんですわ。
憂いをふくんだ素敵な声で、身のこなしなんてまさに詩人そのものだわ。
ここで、ソーリンの大きないびきが聞こえてくる。
ドールン どうぞごゆっくり!
アルカージナ ねえ、ペトルーシャ!
ソーリン ん、なんだい?
アルカージナ あなた、寝ていらっしゃるの?
ソーリン いや、まさか。眠っちゃいないさ。
(ちょっと間が空く)
アルカージナ ちゃんとしっかりお医者様に診てもらわなきゃダメよ、お兄様。
ソーリン 診てもらえるものなら山々だがね、このドクトル先生がどうしても治療してくださらんのだ。
ドールン 六十歳になった体に、これ以上どんな治療がいるって言うんですか!
ソーリン 六十になったって、まだまだ生きたいさ。
ドールン (呆れたように吐き捨てる)やれやれ! じゃあ、カノコ草の水薬でも飲ませてやりますかね。
アルカージナ いっそ、どこかの温泉地にでも行ってみたらどうかしら。
ドールン ほほう? 行ってもいいし、行かなくても別にどちらでもいいですね。
アルカージナ なんなのよ、まどろっこしい言い方して。
ドールン まどろっこしいも何もないですよ。
はっきりしているじゃありませんか。
(ちょっと間が空く)
メドヴェージェンコ ソーリンさんは、タバコをやめるべきですな。
ソーリン くだらんことを言うなよ。
ドールン いや、くだらなくなんかない。
お酒とタバコは、人間の個性ってものをダメにしてしまいますよ。
シガーを一本ふかして、ウオトカを一杯あおったあとのあなたなんて、もはやただのソーリン氏ではなくて、「ソーリン氏+誰か別の怪しいやつ」ってところですからね。
自分の芯がだんだんぼやけていって、自分自身のことをまるで他人――つまり「あいつ」でも見るような目で扱うようになっちまうわけだ。
ソーリン (からからと笑いながら)勝手に立派な理屈を並べ立てるがいいさ。
なんたって、人生の美味しいところをすっかり楽しんできたお方だもんなあ。
ところがあたしはどうなんだい? 司法省に二十八年だって勤めあげたけれど、まだ一度も本当に「生きる」ってことをしたことがないんだ。何も味わったことがない、早い話がそういうことさ。
だからね、生きたくってたまらないなんて、そりゃわかりきった話じゃないか。
あんたはお腹いっぱい満足りていて、いつも堂々と落ち着き払っていらっしゃる。
だからこそそんな高尚な哲学に興味が持てるのさ。
だけどぼくのほうは、どうしても生きたいものだからさ、夕食のときにシェリー酒を飲んだり、シガーをふかしたりする……まあ、そういうわけさ。
それだけの事なんだよ。
ドールン 命というものは、もっと大切に扱わなくちゃいけません。
六十歳になってからあわてて治療をしたがったり、若いころにもっと楽しんでおけばよかったって後悔したりするのは、失礼ながら軽率というものですよ。
マーシャ (すっと立ちあがりながら)そろそろお昼ごはんの時間だわ、きっと。(だらけた、気力のない足取りで歩き出す)足がしびれちゃった……。
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