その貨車にはちょうど石狩川でとれた鮭(さけ)が積み込まれていたので、わたしはキラキラと銀色に光るウロコの山を想像していたのだが、ランプの光はただぼんやりと闇の中に溶け込んでしまい、何も見えない。
おかしいなと思ったので、わたしは立ち上がってガラス窓に鼻をつけるようにしてのぞきこむと、おどろいた。
鮭の山はぐちゃぐちゃに崩され、踏みにじったようにめちゃめちゃになっているのだ。
鮭が盗まれるということはその季節にはよくあることなので、わたしは、鮭泥棒が貨車の中まで荒らしたのかと思い、思わずカッとなって、手荒く仕切りの車戸(戸)を引き開けて足を踏み入れた。
もちろん、まだ泥棒が貨車の中にものんびり居座っていようとは思わなかったけれど、念のために、そばにあった信号旗を巻き付けたものを右手持ち、左手にランプを高く掲げて、用心深く進んだ。
列車の揺れでよろけそうになるのをぐっと踏みこらえ、ランプを隅の方へ向けたところ、大きな大入道のような影法師が後ろの板壁いっぱいにうつった。
ぎょっとして目をみはると、ふいに隅の方でピカッと光ったものがある。
わたしは一瞬ぞっとして、その場に立ちすくんでしまった。
光るものは二つ。
ランプの光を受けてらんらんと輝き、ぐるぐると炎のようにうずまいている。
「くまとだ!」
そう気づくと、わたしはかえって一瞬落ち着いたくらいだった。
どうしてくまなどが入り込んだのか、そんな疑問を抱く余裕もなく、わたしはランプを持った手をぐいとくまの方に差し出し、一歩後ろに下がって身構えた。
くまは火を恐れるということを、とっさの間にも思い出したものとみえる。
「ううううううう……。」
くまも不意を突かれて驚いたらしく、低いうなり声をあげながらじりじりと後じさりし始めた。
「このすきに逃げなければ……。」
はっと気づいてランプを向けたまま後ずさりに下がり始めると、その拍子に車体がひどく揺れ、わたしは足元の鮭に足を滑らせて、ドシンと横倒しに投げ出されてしまった。
くまもそれと一緒に、嫌というほど大きな体を壁板にぶつけたらしく、激しく怒っていいっそうものすごいうなり声を立てた。
わたしはあわてて取り落としたランプを拾い、立ち上がった。
幸いにもランプは消えなかったが、それと同時にわたしは、列車が例の急な坂にかかろうとしていることに気づいてヒヤッとした。
わたしはブレーキをかけなければならないのだ。
後ずさって壁板にぶつかったくまは、逃げ道がないことを悟ったのか、すごい形相で牙をむき出し、飛びかかってきそうな身がまえをした。
わたしは夢中でランプを向けたまま後ずさりに戸口へ近づき、旗を持っていた方の手を後ろへ回して戸口を探ってみると、ぎょっとした。いつの間にか戸は閉まっているではないか。さっきの列車の揺れのせいで、ひとりでに閉まってしまったに違いない。
あけようと焦っても、なにしろ目の前にくまを控えているうえに、片手を後ろに回しての作業だから、どうにもこうにもうまくいかない。
くまはいよいよ牙をむき出しにして、今にも飛びかかろうという気勢を見せている。
「いつもの場所で、ブレーキをかけることを怠ったら、列車は脱線するかもしれない。
険しい崖の中腹を走っている列車は、それと同時に何十尺も下の岩にかみついている激流へと、墜落するよりほかないのだ。」
そう思うと、自分はじっとなんてしていられなかった。
恐ろしさも忘れて、いきなり足元の鮭を拾い上げると、それをくまめがけて投げつけ、その隙に戸を開けようと焦った。
「うわう……!」
ものすごい叫び音が、列車の騒音にも紛れずに響き渡った。
ガタピシと引っかかって、戸はびくとも動こうとしない。
自分は振り返りざま、またキチガイのようにランプを振り回した。
くまは後ろ足で立ったまま、赤いランプの光におびえてか、爪を研ぐように、バリバリとそばの羽壁板に爪を立てた。
一息ついた自分は、とっさに戸の上部にあるガラス窓を破ろうと考えた。
いきなり後ろを振り向き、手にしていた旗の棒でガラスを突き砕いた。
ガラガラとガラスの破片が飛び散る音が、気味悪く響き渡った。
同時に狂い立ったくまは、一声高くうなると、自分めがけて飛びかかってきた。
危ないところで身を翻した自分は、夢中で横ざまに体を投げ出した。
その拍子に、シグナル・ランプはガチャンと激しい音を立てて壊れてしまった。
生臭く、ベトベトした鮭の中に這いつくばっている自分の後ろの方で、くまは「うううう」とうなっている。
幸いにもくまの爪にはかからなかったが、たった一つの逃げ道である窓口を、くまのために占領されてしまったのだ。
列車は、くこと自分を真っ暗闇の貨車の中に閉じ込めたまま、何も知らずにどんどん走っている。
少し速度が緩んできたようだ。
自分はまたブレーキのことを思い出して、ぞっとした。
「うううううう……。」
くまは急にまた、ものすごい唸り声を立て始めた。
さて、どうしたら自分は制動室へ戻ることができるだろうか?
「うわう……!」
と一声、すさまじいうなり声を上げたかと思うと、いきなり飛びかかってきたくまの腹の下を、横にくぐり抜けるように体を投げ出したので、危ないところでくまの爪にかかることだけは免れることができた。だが、少し気が落ち着いてくると、恐ろしさと不安が、さっきの二倍にもなって自分の胸に押し寄せてきた。
たった一つの逃げ道だと思ったガラス窓は、くまの大きな体ですっかりふさがれてしまったのだ。
自分とくまは、さっきとはすっかりあべこべになってしまったわけだ。
自分はまるで、くまの檻の中に入れられたようなものだった。
さっきまでは、とにかく逃げられそうな希望があった。
窓へ両手をかけることさえできれば、飛越台の要領ででも、どうにか制動室へ体を運ぶことができると思っていたのだ。
それがダメだとなると、自分はもう、どうしていいか完全に分からなくなってしまった。
自分の命が危ないばかりでなく、車掌としての重大な任務を果たすことができない。
非常信号機? ――そういうものがあればいいのだが、なにしろ昔の、開通して間もない鉄道なのだから、そんな用意はまるでないのだ。
ともかく、じっとしてはいられないので、そろそろと体を起こしてみた。
四つんばいになると、さっき投げ散らしたシグナル・ランプの壊れた破片が、ジャリジャリと手のひらに触る。
生臭い魚の匂いにまじって、こぼれた石油のにおいがツンと鼻を打つ。
――なによりも大事な、たった一つの武器だと思っていたランプが、めちゃめちゃになってしまったのだ。
「自分は何を持ってくまと戦ったらいいだろうか?」
そう思うと、自分は全く絶望してしまった。
――それでも自分は、ガラスの破片で手を切らないように用心しながら、そろそろとあたりをかき探してみた。
なんというあてもない、ただ自分は夢中でそんなことをしていたのだ。
「うわう……!」
くまはまた唸り声を上げた。
自分はぎょっとしてそちらを見据えたが、真っ暗闇の中でよくは見えないものの、くまは戸口に前足をかけたまま、動かずにいるようだった。
自分はその時、妙なことを考えた。
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