けれども、しっかりと立って、顔色ひとつかえずに、鉄砲をかついで、まっすぐ前を見つめていました。
きゅうに、ボートが、長いどぶ板の下にはいりました。
とてもとても暗くて、まるで、あの箱の中にはいったときとおんなじです。
「いったい、ぼくは、どこへ行くんだろう?」と、兵隊さんは思いました。
「そうだ、そうだ。こんなになったのも、きっと、あの小おにのやつのせいだ。ああ、せめて、あの小さな娘さんが、このボートに乗っていてくれたらなあ。そうすりゃ、この倍くらい暗くったって、平気なんだがなあ」
このとき、どぶ板の下に住んでいる大きなドブネズミが、姿をあらわしました。
「おい、ここを通る切符を持ってるか?」と、ドブネズミがたずねました。
「おい、切符を持ってるかったら」
けれども、すずの兵隊さんは、だまりこくったまま、ただ、鉄砲を、かたくかたくにぎりしめました。
ボートは、どんどん流れていきます。
ドブネズミは、かんかんにおこって、あとを追いかけました。
うわあ、歯をギリギリいわせて、木のきれっぱしや、わらにむかってどなっています。
「そいつをとめてくれえ! そいつをとめてくれえ! ここを通るのに、金もはらわなきゃ、切符も見せなかったんだ」
ところが、流れは、ますますはげしくなるばかりです。
もう、どぶ板のむこうのはしに、明るいお日さまの光が、さしているのが見えてきました。
ところが、たいへん。
それといっしょに、どんなに勇ましい人でもふるえあがってしまいそうな、ゴーゴーいう音が聞えてきたのです。
いったい、なんでしょう。
それは、どぶの水が、どぶ板のおしまいのところで、大きな掘割りに落ちこんでいる音だったのです。
あぶないこと、このうえもありません。
なにしろ、わたしたち人間が、大きな滝にむかって流れていくのと同じことなのですからね。
ボートは、もう、すぐそのそばまで来ました。
とめたくても、とめることもできません。
いよいよ、ボートはどぶ板の外へ出ました。
かわいそうに、すずの兵隊さんは、むがむちゅうで、からだをかたくしていました。
でも、目をぱちぱちなんか、けっしてしませんよ。
ボートは、三、四回、くるくるとまわりました。
もう、水はボートのふちまできています。いよいよ、沈むほかはありません。
すずの兵隊さんは、首のところまで水につかりました。
ボートは、ずんずん沈んでいきます。
ボートの紙も、だんだんふやけて、ゆるんできました。
とうとう、水は兵隊さんの頭の上までかぶさりました。
――
そのとき、兵隊さんは、もう二度と会うことのできない、あのかわいらしい小さな踊り子のことを思い出しました。
すると、すずの兵隊さんの耳もとに、こんな歌が聞えてきました。
「さようなら、さようなら、兵隊さん。あなたは、死ななきゃならないのよ」
そのとき、ボートの紙がさけて、すずの兵隊さんは、水の中へ沈んでいきました。
と、その瞬間、大きな魚がおよいできたかと思うと、ぱっくり、兵隊さんをのみこんでしまいました。
おやまあ、魚のおなかの中って、なんて暗いのでしょう! さっきのどぶ板の下なんかとは、くらべものになりません。
おまけに、せまくるしくってたまりません。
それでも、すずの兵隊さんはしっかりしていました。
あいもかわらず、鉄砲をかついで、じっと横になっていました。
――
それから、魚はしばらくおよぎまわっていましたが、きゅうに、ひどくあばれだしました。
そのあげく、とうとう、動かなくなりました。
そのうちに、いなずまのようなものが、ピカリと光りました。
とたんに、明るい光がさしこんできました。
そして、だれかが、「あら、すずの兵隊さんだわ!」と、大きな声でさけびました。
つまり、この魚は漁師につかまって市場に持っていかれ、そこでお客に買われて、この台所にきたというわけなのです。
そして、いま女中が大きなほうちょうで、この魚のおなかを切ったところだったのです。
女中は、兵隊さんのからだのまんなかを二本の指でつまんで、部屋に持っていきました。
みんなは、魚のおなかの中に入って、あちこち旅をしてきたこのめずらしい人を見たがりました。
でも、すずの兵隊さんは、そんなことを自慢したりはしません。
みんなは、すずの兵隊さんをテーブルの上にのせました。
すると、――おやおや、世の中には、ほんとうにふしぎなことがあるものですね。
兵隊さんは、もといた部屋にもどってきていたのです。
おなじみの子供たちの顔も見えます。
テーブルの上にあるおもちゃも、おんなじです。
それから、かわいらしい小さな踊り子のいる、あの美しいお城もあります。
娘さんはあいかわらず、かた足で立っていて、もう一方の足を高くあげていました。
この娘さんも、ほんとうにしっかりしています。
これを見ると、すずの兵隊さんはすっかり感心して、もうすこしで、すずの涙をこぼしそうになりました。
だけど、涙をこぼすなんて、いくじがない、と思いました。
兵隊さんは、娘さんを見つめました。
娘さんも、兵隊さんを見つめました。
でも、ふたりとも、なんにも言いませんでした。
とつぜん、小さな男の子のひとりが、すずの兵隊さんをつかんだかと思うと、いきなりストーブの中へ投げこみました。
どう考えても、そんなことをされるようなわけはありません。
ですから、これも、きっとあの箱の中の小おにのしわざなのでしょう。
すずの兵隊さんは、ほのおにあかあかと照らされて、おそろしい熱さを感じました。
けれども、その熱さは、ほんとうの火のための熱なのか、それとも、心の中に燃えている愛のための熱なのか、はっきりわかりませんでした。
美しい色は、もうすっかり落ちてしまいました。
それは旅の途中でなくなったのか、それとも深い悲しみのためにきえたのか、だれにもわかりません。
兵隊さんは、小さな娘さんを見つめていました。
娘さんも、兵隊さんを見つめていました。
そして、兵隊さんは、自分のからだがとけていくのを感じました。
それでも、やっぱり、鉄砲をかついだまま、しっかりと立っているのでした。
そのとき、とつぜんドアがあいて、風がさっと吹きこんできました。
踊り子は、まるで空気の精のように、ひらひらと吹きとばされて、ストーブの中のすずの兵隊さんのところへ飛んできました。
と思うまもなく、あっというまに、めらめらと燃えあがって、消えてしまいました。
もうそのときには、すずの兵隊さんもすっかりとけて、一つのかたまりになっていました。
あくる朝、女中がストーブの灰をかきだすと、兵隊さんは、小さなハート形の、すずのかたまりになっていました。
踊り子のほうは、金モールのかざりだけがのこっていましたが、それも、まっ黒こげになっていました。
初級翻訳・すずの兵隊さん 第2話
すずの兵隊さん
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