「そして、それが家の中を恐怖でいっぱいにしてしまったのじゃよ」
「まさかあの美人が、メガネをかけたクモ男と愛し合っているわけじゃないでしょうね」とフランボウは抗議しました。
「いやいや」とブラウン神父は言って、またうめきました。
「あの女は自分の夫と愛し合っているのじゃ。
それがおそるべきことなのだよ」
「夫と愛し合っているのなら、それはあなたがいつもほめていることではありませんか。
それを、ルール違反の愛情だなんて言えませんよ」
「その意味でルール違反だと言っているのではない」とブラウン神父は答えました。
それからひじをついて急に向きなおり、改めて熱心に話し出しました――「きみは、わしが知らないとでも思っているのかね……男女の愛情は神さまの最初の命令であり、いつまでも輝かしいものじゃないかな? きみは、わしら坊主が愛や結婚をほめたたえないと思っている、あのアホウの仲間なのかい? わしはエデンの園やカナのぶどう酒について教えてもらう必要があるのかな? 男女の愛情は、神さまから離れるときでさえ、あんなにも恐ろしいパワーで暴れまわる……それは愛の力が神さまの力だったからなのだよ。
エデンの園がジャングル――だけどそれでもやっぱり輝かしいジャングル――になるとき……二度目に作り出されたカナのぶどう酒(ヨハネによる福音書第2章にある、結婚披露宴でイエスが起こした奇跡)が、十字架の上のすっぱいぶどう酒に変わるときでもじゃ。
きみは、わしがそんなことを知らないとでも思っているのかな?」
「もちろんご存じでしょうとも。
でも、ぼくにはまだこの殺人事件についてはよくわからないんです」
「この殺人は、絶対に解けないのじゃよ」
「どうして解けないんですか?」とフランボウはきびしく聞き返しました。
「なぜかと言うと、謎を解くような殺人事件なんて、そもそも起きていないからじゃ」
フランボウはすっかりびっくりして言葉を失いました。
そして、静かな口調でまた話し出したのはブラウン神父でした。
「わしは一つ、妙なことを言おう。
わしはあの奥さんが悲しんで興奮している最中に話をきいた。
だけどあの奥さんは、殺人については一言も口にしなかった。
殺人という言葉すら出さなかったし、殺人に触れさえもしなかったのじゃ。
あの奥さんが何度もくりかえして言った言葉は、『冒涜(神さまをバカにすること)』だった」
それから、また唐突に話を投げ出すように、ブラウン神父は付け加えました――「きみはタイガー・チローンという名前を聞いたことがあるかね?」
「聞いたことがあるかって!」とフランボウは叫びました。
「へえ、それこそ聖なる箱(レリクス)をねらっている本人らしく、ぼくが頼まれたのはまさにそいつの裏をかくためだったんです。
奴は、いままでこの国にやってきたギャングの中で、いちばん荒っぽくてとんでもない男です……もちろんアイルランド人ですが、まるで気がおかしくなったみたいに教会の権威に逆らう連中です。
たぶん秘密結社のおろろかな悪魔崇拝にかぶれているのでしょう。
ともかく奴は、見た目以上にタチが悪く見えるあらゆる種類の荒っぽいイタズラをする、不気味な趣味を持っているんです。
ほかの点ではそれほど極悪な奴というわけでもありません……ほとんど人を殺さないし、残酷なこともし絶対にしません。
だけど奴は何でも人をびっくりさせるようなこと……特に自分の仲間をびびらせるようなことをするのが大好きなんです……教会から物を盗んだり、ガイコツを掘り出したり、いろんなことをやりますよ」
「そう、それがみんなぴったり当てはまる。
わしはずっと前に気づいているべきだったのになあ」
「たった一時間の調査で、どうしてそんなことがわかるものですか、ぼくにはわかりませんね」とフランボウ探偵は自分をかばうように言いました。
「わしは、何かを調査する前に、わかっておくべきだったのになあ」「あんたが今朝やってこないうちに、わかっていたはずですがなあ」
「いったい何を言ってるんですか?」
「これではっきりしたのは、人の声がいったい電話ではどんなに違って聞こえるかということだけじゃ」ブラウン神父は思い返すように言った。
「わしは今朝あの問題の三つの段階をみんな聞いた。
そのくせ、どれもつまらないことだと思っていた。
第一に、ある婦人が電話をかけてきて、できるだけ早くあの宿屋に来てくれと頼んできた。
それはどういう意味だったのだろうか? もちろんそれは、老祖父が死にかけていたからじゃ!
それから女はまた電話をかけてきて、結局来なくてもいいと、言ってきた。
それはどんな意味だったのだろうか? もちろんそれは、老祖父が死んだからじゃ。
あの人はベッドの中でごく平和に死んだのだ……おそらく、本当の寿命による心臓発作でな。
すると女は三度目に電話をかけてきて、やっぱり来てほしいと、言ってきた。
それはどういう意味だったのだろうか? ああ、それがなかなかおもしろいのじゃ!」
ブラウンはちょっとためらってから話を続けた――
「タイガー・チローンは、細君に深く愛されていたので、例の頭のおかしい自分の思いつきを実行したのだ。
それは実に巧妙な思いつきだった。
あの男は、あんたが自分の後を追っているのを聞きつけていた……それから、あんたが奴のことや奴の手口をよく知っていて、聖物を救い出すためにやって来ることも知っていた。
わしがときどきあんたを手伝っていたことも耳にしていたのだろう。
奴は途中で、わしらの足を止めさせたかったのじゃ。
そこで、そのためのトリックとして殺人の場面をわざと仕組み上げた。
おそらく奴はおくさんをおどしつけて、懲役刑を逃れたいなら、あんな死体を使うほかに道はないという野蛮な理屈を説き伏せたのだろう。
ともかく、細君は彼のためならどんなことでもするつもりだった……しかし、あの死体をぶら下げて異様な仮装をさせることには、さすがにあの婦人も耐えがたい不自然さと気味悪さを感じた。
だからこそ、彼女は『冒涜』だと言ったのじゃ。
あの女は聖なるものを汚すことを恐れていたが、それと同時に、臨終の床の神聖さを汚すことにも恐怖を感じていたのだ。
あの弟というのは、まるで爆発寸前の不発弾をいじくりまわすような、まやかしの『科学者めいた』反逆者じゃ……時代遅れの理想主義者だな。
しかし、あの男はタイガーを心から愛しているし、庭師もそうなのじゃ。
たぶん、それほど大勢の人間にタイガーが愛されているらしいことこそが、奴にとって一番の強みだったのだろう。
ただ一つだけ小さな要点があってね、そのおかげでわしは大変早く真相の見当がついたのじゃ。
あの医者がひっくり返していた古本の中に、十七世紀の小冊子がひと束あったんだが、わしはそこに或る書名を見つけた――『スタフォード卿の裁判と処刑の真相発表』。
さて、スタフォードは教皇陰謀事件で処刑されたが、あの事件の発端はサー・エドモンド・ゴドフリの死という、歴史上の有名な謎の一つじゃ。
ゴドフリは溝の中で死んでいるのが発見されたが、とりわけ神秘的だったのは、首を絞められた跡があるのに、その上自分の剣で突き貫かれていたことだった。
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