初級翻訳・とんびと油揚 第1話

とんびと油揚

とんびに油揚げをさらわれるなんてことが、本当にあるのかどうかは分からないけれど、この鳥がすごく高い空の上から地上のネズミの死がいなどを見つけて、急降下していくというのは本当のようだ。

とんびが空をスーッと滑るように飛んでいる高さは、ふだんどれくらいなのだろう。目測した角度と、鳥の体の大きさから考えると、だいたい百メートルから二百メートルくらいではないかと思われる。

そんなに高いところからでも、この鳥の目は地上のネズミを「ネズミだ!」と見分けているという昔からの説は、どうもかなり怪しいように思える。

もしネズミの体を十五センチメートルとして、それを百五十メートルの距離から見るとんびの目のピントを合わせる距離を、少し大きめに見積もって五ミリメートルとすると、目の奥(網膜)に映るネズミの大きさはわずか五ミクロンになってしまう。

それが死んだネズミなのか、それともただの石ころなのかを見分けるためには、少なくともその大きさの十分の一、つまり〇・五ミクロンくらいの細かさで、形の違いを判断できなきゃいけないはずだ。

だけど、〇・五ミクロンというのは、ちょうど光の波の長さと同じくらいのすきま。目の細胞の作りがどれほど細かいとしても、これを見分けるのはものすごく難しいと考えられるんだ。

じゃあ、目で見ているのじゃないとしたら、においをかいでいる(嗅覚)のだろうか? でも、これまでの研究では、鳥のにおいをかぐ力はとっても弱いとされてきた。

その証拠の一つとして、よくチャールズ・ダーウィンが行った次のような実験が挙げられている。

何羽かのコンドルを壁のすそに一列につないでおいて、そのすぐ前、三ヤードほど離れたところを、紙で包んだお肉をぶら下げて通り過ぎた。だけど、鳥たちは知らんぷりをしていた。

そこで、今度はそのお肉の包みを、鳥から一ヤード以内の床の上に置いてみた。それでもまだ、鳥たちは気づかなかった。

そして、とうとうその包みを一羽の足もとまで押しやったところ、そこで初めて包み紙をつつきはじめて、紙が破れてからやっと中身が何だか分かったというのだ。

また、別の学者は、ある種類の鳥(ミサゴの仲間)の目の前に、キャンバス布で包んだくさったお肉を置いて、その包みの上に新鮮なお肉を一片のせてみた。

鳥は新鮮なお魚をぜんぶ食べたけれど、布の下にあるくさったお肉には全然気づかなかった、という記録もある。

だけど、これらはなんだかちょっと頼りない実験のようだ。

元の本を読まずに、ほかの人が紹介している本を通して読んだだけだから強いことは言えないけれど、これだけの事実だけで「猛禽類のにおいをかぐ力は弱い」と決めつけるのは、あまりにも科学的じゃないように思える。ましてや、「とんびの場合には、においをかぐ力なんて何の役にも立っていない」と結論づける証拠には到底ならないことは明らかだ。

壁のすぐ前に肉片を置いたときだって、その場所の風の動きによっては、お肉から出ているにおいのガスは、壁のすそにいる鳥の頭のところにはほとんど全く届いていなかったかもしれない。

また、すごく近くに肉の包みを置かれて、鳥がついばむ気になったのは、においのおかげじゃなくて、目で見えたからだとも簡単に決めつけるわけにはいかない。

それから、さっきの実験でも、先に新鮮なお肉を食べちゃったから、くさったお肉のにおいに興味がなくなっちゃったのかもしれない。

あるいは、食べているうちに鼻がくさったお肉のにおいに慣れてしまって、何も感じなくなっていたということもあり得る。

ダーウィンの実験のときだって、テスト用のお肉を現場に持ち込むよりも前に、その場の空気がよごれていて、人間には分からなくても、鳥たちにはもうずっと前からお肉のにおいや、それに似た別のにおいがしていて、すっかりそれに慣らされてしまい、においの刺激に対して何も感じなくなっていたかもしれないのだ。

それからさらに、次のような可能性も考えなくてはならない。

つまり、ある食べ物が鳥の「食べたい!」という気持ちを刺激して、それを手に入れるための行動を引き起こすためには、ただにおいの刺激があるだけじゃ不十分で、そのほかに目で見ることや、あるいは別の感覚など、もう一つの別の条件がそろっていることが大切かもしれないということだ。

あるいはまた、においを含んだ空気が鳥のまわりでじっと止まっているだけでは、しっかりとした刺激として感じられないけれど、もしその空気がスーッと流れている場合には、かなり強い刺激として感じられる……なんていうことも、絶対にないとは言い切れないのだ。

鳥の鼻にはにおいをかぐ力はないけれど、口の中がその代わりの働きをすることがある、という本もある。もしにおいを含んだ空気が強い勢いでくちばしに当たっているときに、くちばしをパカッと開いたりでもしたら、そのにおいを口の中で感じとる、ということもあるかもしれない。

ここまで見てきたように、「目で見ている説」はなんだか怪しいし、「においを感じていない説」の根拠も意外とペラペラだ。そう考えて、もう一ぺん「においで探している説」を考え直してみたとき、一番最初に問題になるのは、「いったいどうやって、地上のくさったお肉から出たにおいのガスが、うすめられずに百メートルの上空まで届くのか?」ということだ。

だけど、これは物理学的にとっても簡単に説明できる、実験で確かめられた事実から考えれば、ものすごくわけなく出来てしまうことなのだ。

たとえば、長方形の水槽の底をまんべんなく温めると、いわゆる「熱対流(温かい水が上に昇っていく現象)」が起こるように。そのとき、水を入れた容器の中の水の動きを、水の中に浮かべたアルミニウムの粉を使って観察してみると、底から温められた水は、けっしてデタラメに真上へ上がっていくわけではないんだ。まず底に沿って容器の真ん中に集まり、そこから幅の狭い板のような流れを作って、まっすぐ上に昇っていくんだよ。

その結果として、底に直接ふれていた水はほとんど残らずこの幅の狭い上昇する場所に集まって、まわりに広がることなくそのまま上に昇っていくんだ。

もし容器の底に一粒の色素を置いておけば、そこから出た色つきの水の線は、容器の底に沿って進んだあと、この上へ昇っていく水の流れの中に、はっきりとした一本の線を描きながら上がっていくんだよ。

もしこれと同じようなことが、おそらく空気の間でも起こるのだとして、容器の底の色素の粒の代わりに、地上のネズミの死がいを置いて考えてみると、そのにおいを含んだ一本の空気の流れの束は、そんなに大きく広がって薄まったりしないで、そのままかなりの高さまで届くはずだと考えられるんだ。

こういう空気の流れが、本当にあるのかというと、ちゃーんとあるんだよ。

そして、そういう空気の流れこそが、まさに、とんびが空をスーッと羽を広げて滑るように飛ぶための、なくてはならない条件なんだ。

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