初級翻訳・ジャングル頭 第2話

ジャングル頭

かつての彼は、頭の中が戦争のことでいっぱいだったことでしょう。
けれど彼は、いつの間にか脳みそに生い茂っていたそのジャングルを切り開き、さわやかな風を吹き通らせて、日々の仕事の中に自分の喜びを見出したのです。
戦争のことなんてもうたくさんだ、というわけです。

まわりを見渡してみれば、この「ジャングル頭」を抱えた人たちは、まだまだたくさんいます。
政治家は政治家なりに、官僚は官僚なりに、学生は学生なりに、街のボスはボスなりに、右翼の思想家は右翼の思想家なりに、左翼の思想家は左翼の思想家なりに、それぞれのかたちでジャングル頭になっています。
ここで言う「ジャングル頭」とは、新興宗教の教祖様のようなガンコさが、まるで硬い石ころのように頭のなかに居すわってしまっている状態を指します。
自分でそんなものを詰め込んだのか、それともまわりから無理やり詰め込まれたのかはわかりませんが、その大きな特徴は、自分の考えの奴隷や操り人形になってしまい、他人の意見には絶対に耳を貸さないということです。
日本には現在、大きいものから小さいものまで合わせると、街中に一万近い「小さな教祖」がいて、その信者たちは百万人にものぼると言われています。
人々の文化的なレベルがまだその段階なのですから、ジャングル頭がたくさんいるのも無理はありません。

ただ、ここで注意しなければならないのは、これを「本当の信念」と勘違いしてはいけないということです。
信念というものは、言うまでもなく、前方に何らかの理想や希望の光を掲げ、そこに向かって正しい歩幅で進んでいくものであり、途中で壁にぶつかっても決してひるまない強い心のことです。
それは目が見えないわけでも耳が聞こえないわけでもなく、その息づきはとても明るく清々しいものです。
しかし、そんな本当の意味での「信念の精神」が、残念ながら今の日本にはとても少ないのです。
そして、それに反比例するように、ジャングル頭がものすごくたくさんいます。
こちらは、まさに目が見えず耳も聞こえない状態です。
昔から、人間としての情けがない、何を見ても怖がらないような荒っぽい人の例えとして「めくら、つんば」という言葉が使われますが、
そういう人たちは怖がらないかわりに、何かにカッとなると、自分で凶器を振り回してしまうことがあります。
ジャングル頭もまったく同じで、そこにこそ「暴力を肯定してしまう土壌」がしっかりと根を張っているのです。

日本はすでに新しい憲法によって、戦争を放棄しました。
この素晴らしくて誇らしい理想を本当に実現するためには、まず第一に「どんな場合であっても絶対に武器を手には取らない」という固い決意が必要であり、その大前提として、まず「あらゆる暴力を否定する」という強い決意が必要なのです。
だからこそ、なおさら「ジャングル頭」を私たちの社会から追い出すことが強く求められているのです。
小さな体に不釣り合いなほど巨大な髪の毛のジャングルを乗っけたお化けみたいな姿も、たしかに見っともないものですが、頭の中に石ころをめいっぱい詰め込んだような重くて頑固なジャングル頭のままフラフラと歩いている姿は、見っともないどころか、それよりもはるかに危険なのです。

だけど、そんなふうに頭を重くして生きているのも、みんながせかせかと「かけ足」で歩いてきたこの戦後の時代の副産物なのでしょうか。
「かけ足」といえば、ここでちょっと、女性たちの悪口を言ってしまったことに対するお詫びをしておきましょう。
「女競輪」を見てごらんさい。
あの軽くてスピーディな自転車の上に、大きな小さなお尻をぐるぐると揺らしながら、猛スピードで走っている後ろ姿を。
スマートな機械と、人間の力強い肉体との対照は、なんだか変てこ(グロテスク)だとも言えるけれど、見方によっては、またなかなかに面白い味わい深いところもあるものです。
自転車のタイヤは一直線に少しもブレずに走っているのに、その上に乗っかっている巨大なお尻は、ゆらゆらとぐるぐる、まるで大きなお餅をこね回しているかのように動いている。
その両者が最高のコントラストを見せながら、どこまでも走り続けていくのです。
世の中の万事がすべてこの調子でうまく回っていけば、ひとまずこの世界は平和で安全だと言えるのでしょうか。

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