トーケルン湖に鳥が一羽もいなくなったら、おればかりか、きさまだって面白いことはなくなっちまうじゃねえか」
おとりガモ
四月十七日 日曜日
二、三日しますと、ヤッローはすっかり元気になって、家じゅうを飛び回ることができるようになりました。おかみさんはたいそう可愛がってくれますし、ぼっちゃんは庭に駆け出しては、春の新しい草をむしり取ってきてくれます。ヤッローは今ではもう、いつでも好きなときにトーケルン湖へ飛んで帰れるほど、すっかり丈夫になりました。でも、おかみさんが優しくなでてくれたりしますと、そんなときには人間たちから離れたくないような気になるのでした。いや、それどころか、死ぬまで人間のところにいたいと思うようにさえなりました。
ところが、ある朝早く、おかみさんはヤッローの首に輪なわをかけました。そのため、ヤッローは翼が使えなくなりました。それから、おかみさんはヤッローを、一番最初に中庭で見つけた作男に渡しました。作男はヤッローを抱えて、トーケルン湖に行きました。
湖の氷は、ヤッローが病気で寝ているうちにすっかり溶けてしまいました。去年の秋のアシは岸辺や小島のまわりにまだ枯れ残っていましたが、新しい水草は底深く根を下ろして、その緑の先は早くも水の上にまで届いていました。そして、たいがいの渡り鳥がもう湖の古巣に戻ってきていました。タイシャクシギのかぎ型をしたくちばしがアシの間から覗いていますし、モグリドリは首のまわりに新しい毛並みを見せて、静かに泳ぎ回っています。それからコシギたちは、巣を作ろうとして盛んにわらを集めています。
作男は小舟に乗って、ヤッローを舟底に置きました。それから竿を差して湖の中に出ていきました。ヤッローはこのごろでは、人間はいいものとばかり信じていましたので、そばにいるセーサルに向かって、自分は湖に連れてきてくれたこの人にとても感謝している、と言いました。だけど、自分は逃げるつもりはないんだから、こんなにきつく縛らなくたっていいのに、とも言いました。セーサルは何とも返事をしませんでした。そして、今朝はまたひどく黙り込んでいます。ただ一つ、ヤッローが変に思ったのは、その男が鉄砲を持っていることでした。あの農家のいい人たちが鳥を射とうなんて、そんなことはとうてい信じられません。それに、セーサルの話では、今ごろはだれも猟に出かけないということでした。「今は禁猟期なのさ」」と、セーサルは言いました。
「もちろん、わしには関係はないがね」
作男は、アシで囲まれた泥の小島へと舟を漕いでいきました。
そこで小舟から降りると、枯れたアシを集めて高く積み上げました。
そうして、その積まれたアシのうしろに腰を下ろしました。
ヤッローは、首に輪なわをかけられ、長いひもで小舟につながれていましたが、その辺りを少しだけ歩き回ることができました。
そのとき、以前この湖でヤッローと一緒に遊んだことのある、若い野ガモたちの姿が見えました。
みんなは遠くにいましたが、ヤッローは二、三度、大きな叫び声をあげて呼びかけました。
すると、たくさんの野ガモたちがそれに答えながら、近づいてきました。
けれども、みんなが来るのを待ちきれずに、ヤッローは自分が奇跡的に助かったことや、人間たちがとても親切にしてくれたことを話し始めました。
と、そのとき、うしろでダン、ダンという鉄砲の音が響きました。
とたんに、三羽の野ガモがアシの間に撃ち落とされました。
それを見るより早く、セーサルが飛んでいって、野ガモたちをくわえてきました。
これで、ヤッローにはすべてがわかりました。
人間たちは、自分をおとりとして使おうと思って助けてくれたのです。
しかも、それは見事に成功しました。
野ガモが三羽も、自分のせいで殺されてしまったではありませんか。
恥ずかしくて、もう生きてはいられません。
これでは、友だちのセーサルにも見下げられてしまうでしょう。
家へ帰ってからも、ヤッローはいつものようにセーサルのそばへ行って眠ろうとはしませんでした。
次の朝も、ヤッローはまたその小島へ連れて行かれました。
今度もまた、野ガモたちの姿が見えました。
けれども、みんなが自分のほうへ飛んできそうになるたびに、ヤッローは叫びました。
「あっちへ行って! あっちへ! 気をつけたまえ! アシの山のうしろには、猟師が隠れているんだよ。ぼくはおとりなんだから!」
こうして、みんなが弾の届くところに近づかないように、うまくかばってやりました。
ヤッローは見張りに忙しくて、草の葉をつついている暇はほとんどありませんでした。
鳥が近づいてくると見れば、ただちに「危ない!」と叫びました。
黒ガモは野ガモたちのいちばんいい隠れ家をとってしまうので、ふだんは大嫌いでしたが、その黒ガモたちにさえも知らせてやりました。
いまは、自分のためにどんな鳥をも不幸な目にはあわせたくなかったのです。
こうしてヤッローが警戒していたために、男は家へ帰るまで、とうとう一発も撃つことができませんでした。
それにもかかわらず、セーサルは昨日よりも機嫌がよくなったようでした。
夕方には、ヤッローを口にくわえて炉のそばへ連れていき、自分の足の間で眠らせました。
しかし、ヤッローは部屋の中にいても、もう少しも楽しくはありませんでした。
それどころか、自分の身をたいそう不幸に感じました。
人間たちが自分を本当にかわいがってくれているのではないと思うと、たまらなくなりました。
おかみさんやぼっちゃんがそばに来てなでてくれても、くちばしを翼の下に突っ込んで、眠ったふりをしました。
いく日かのあいだ、ヤッローはこんな悲しい見張り番をさせられました。
ですから、ヤッローのことは、いまでは湖中に知れ渡っていました。
ある朝のこと、いつものように「みんな、気をつけたまえ! ぼくに近寄っちゃいけないよ! ぼくはおとりなんだから!」と叫んでいますと、向こうのほうからこの小島に向かって、モグリドリの巣が一つプカプカと浮いてきました。
といっても、これは別に変わったことではありません。
それは去年の巣でしたが、モグリドリの巣というものは、ボートのように水の上を動くことができるように作られているのです。
それで、湖の上に浮いていることもよくあることでした。
けれども、ヤッローはその小島に立って、その巣をじっと見つめていました。
なぜかと言えば、その巣はまるでだれかが乗って舵でもとっているかのように、まっすぐこの小島のほうへ向かってくるのです。
だんだん近づいてくるのを見ると、その巣の中にはいままで見たこともないほどのちっぽけな人間が座って、二本の小さな棒で漕いでいるではありませんか。
そのとき、そのちっぽけな人間がヤッローに向かって叫びました。
「おーい、ヤッロー! いつでも飛べるように、できるだけ水際に近寄っているんだぜ。いま、すぐに自由にしてやるよ」
それからすぐに、その巣は小島の近くに着きました。
けれども、そのちっぽけな漕ぎ手はすぐに出てこないで、枝とわらの間に縮こまって隠れていました。ヤッローも、ほとんど身動きひとつしませんでした。
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