」
デビスというのは、知っている人もいるかもしれませんが、私たちのグループのいわば長老であり、『ビジテリアン月報』の編集長で、今回の大きなお祭りでは一番えらい祭司長を務める人です。
そこで私たちは急に元気がわいてきて、まるで一息にその峠をかけ下りました。
トルコ人たちは足が長いし、大きなリュックを背負っているので、まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のよ〔ここで原稿が数枚ありません〕
楽しそうにあたりの景色を眺めながら、三人や五人のグループになって、ステッキをつきながら歩いていました。
女性たちもたくさんいました。
また、中国人ではないかと思うような、顔の黄色い人ともすれ違いました。
私はその人の顔をじっと見つめました。
向こうも足を止めました。
けれどその日は結局言葉を交わすこともなく、そのまま別れてしまいましたが、その人もやっぱりビジテリアンで、お祭りにやって来た人なのは間違いありませんでした。
私たちは教会に到着しました。
教会はあまり立派ではないしっくい造りで、ところどころヒビが入っていました。
もしかしたらデビスさんの自宅だったのかもしれませんが、建物自体はかなり大きなものでした。
旗や電気が、ヒノキの枝ややどり木などと上手に組み合わせて飾られており、まだ七、八人の人たちが、明後日の準備に大忙しで働いていました。
私たちは教会の玄関に立って、ベルを鳴らしました。
すると、真っ赤な顔をした白髪の、とても元気そうなおじいさんが、ハンマーを持って横の部屋から顔を〔ここで原稿が数枚ありません〕
が、ピンク色の紙に印刷された小さなパンフレットを、十枚ほど持って部屋に入って来ました。
「おはようございます。いやあ、これはかえって面白いお愛嬌ですね。」
「おはようございます。どうか一枚見せてください。」
私はパンフレットを手に取りました。
それは今でも持っていますが、こんなふうに書いてあったのです。
「◎偏狭で非文明的なビジテリアンを排斥する。
マルサスの『人口論』については、今日、その性質や内容を疑う人は誰もいない。その要点は、人類が住むことのできる世界の土地は限られているということ、そして食料品は算術級数(だんだん足されていく増え方)でしか増えないということである。それに対して、人口は幾何学級数(倍々ゲームのような劇的な増え方)でどんどん増えていく。つまり、人類の食料はだんだん足りなくなっていくのだ。
人類の食料といえば、おおよそ動物、植物、鉱物の三つのほかにはない。そのうち鉱物は水と食塩だけである。残りの大部分を植物と動物が半分ずつ占めている。
ところが、ここにとても心が狭くて暗い考えを持った人間の一群がいて、『動物はかわいそうだから食べてはならない』と言い張り、それを世界中に無理やり押しつけようとしている。これがビジテリアンである。
この主張は、実のところ、人類の食べ物の半分を奪い取ろうとする企みにほかならない。言い換えれば、この主張者たちは、世界中の人類の半分、つまり十億人もの人々を飢えによって殺そうと計画しているのではないか。
今日、どの国の法律であっても、殺人罪が一番重く罰せられる。直接ではなく間接的ではあるけれども、ビジテリアンたちもまた、この罪から逃れることはできない。
近い将来、各国から代表が集まってしっかりと話し合いを行い、厳重に処罰されることは目に見えている。
またこの事実は、ビジテリアンたちの主張が、結局のところ自分自身で矛盾しているということを示している。
つまり、ビジテリアンは動物を愛しているから動物を食べないのだろう。それなのに、なぜそのせいで食べ物が手に入らずに命を落とし、十億人もの人類を見殺しにするのだろうか。人間だって動物ではないか!」
「こいつは面白い。
実に素晴らしい意見だ。
文章も実に他にはない珍しいものだ。
本当に面白いな。」トルコの地学博士は、その丸々とした顔をぱんぱんに張り裂けそうにして、大声で笑いました。
まわりのみんなもつられて笑いました。
ともかくみんなでパジャマを脱いで下に降り、口をゆすいだり顔を洗ったりしました。
それから私たちは簡単な朝ごはんをすませました。式が九時から始まることになっていたので、しばらくベランダでゆっくり休みながら待っていました。
すると突然、教会の近くから、のろしがドカンと一発打ち上がりました。
空はどこまでも真っ青に晴れわたって、まるで一枚のピカピカのガラス玉のようでした。
そのすきとおった見事な青空に、真っ白な煙がパーッと立ち上り、それから黄色くて長い煙がうねうねと下りてきました。
それはまちがいなく、日本で見かけるような「下り竜」の仕掛け花火でした。
そこで私はハッと気がつきました。
「こののろしを上げているのは陳さんだ! 陳さんが中国式の黄竜の仕掛け花火をやっているんだ!」とわかったので、大喜びしてみんなにも説明しました。
その時また、今朝聞いたすてきなラッパの音が、遠くから響いてきました。
「来たぞ、来たぞ!
さあ、どんな顔ぶれがやって来るのか、一つ見物してやろうじゃないか!」
地学博士を先頭に、私たちはドヤドヤと玄関へと降りていきました。
するとそこへ、一台の大きな赤い自動車がやって来ました。
車には白い文字で「シカゴ畜産組合」と書いてありました。
頭の毛をまるで逆立てた六人の男たちが、シャツ一枚になって顔をまっ赤にしながら、何か叫びながらネズミ色や茶色のビラをまき散らしていきました。
そのネズミ色のビラを、私は一枚手に取りました。
そこには赤い文字でこんなふうに書いてありました。
「◎偏狭で非学術的なビジテリアンを排斥せよ。
ビジテリアンたちの主張は全く間違っている。
今この暗くて非学術的な思想を、動物心理学の視点から批判してみよう。
ビジテリアンたちは、動物がかわいそうだから食べないと言う。
だが、動物がかわいそうだとどうしてわかるのだろうか。
それはただ、人間が勝手に『かわいそう』と思い込んでいるだけではないのか。
そもそも、豚などが『死』というような高尚な観念を持っているわけがない。
あいつらはただ、『お腹が空いた』『かぶらの茎だ』『噛みつくぞ』『うまいなあ』『もう飽きた』『眠い』『起きるぞ』『鼻がつまった』『グーと鳴らすぞ』『また腹が減った』『麦ぬかだ』『食べるぞ』『うまい』『疲れた』『眠るぞ』といった具合に、その時その時の小さな『現在』がただ一つずつ続いているだけなのだ。
殺す前にキーキー叫ぶのは、それは引っ張られたり叩かれたりするからにほかならない。その証拠に、殺すつもりなんて毛頭なく、ちょっと離れたところで鶏の卵を三十個もごちそうしてやろうと、豚の足に縄をつけて引っ張ってみるといい。やっぱり豚はキーキーと叫び声をあげるのだ。
こういうわけなのだから、本当に豚をかわいそうだと思うなら、そうっと怒らせないようにうまいものを腹いっぱい食べさせておいて、いきなり熱湯の中にでもドブンと投げ込んでしまうのが一番いい。そうすれば豚は大喜びで、クルンと毛まで綺麗に剥けてしまうのだ。
われわれの組合では、この方法によってたくさんの豚たちを心から喜ばせている。
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