言うまでもなく、彼は木箱や包み紙、箱の表面に書かれた宛名の文字まで、残るところなく綿密に調べ上げました。
それから、先ほどハンカチを解いて取り出した三千子の化粧品の容器類と、今手帳に写し取った指紋とを、虫眼鏡でのぞき比べてみました。
「やはり、そうか」
彼はため息と一緒に、低い声で独り言を漏らしました。
箱の中の手首は、三千子のものに相違ないことが分かったのです。
それから、何を思ったのか、彼は再び三千子の部屋へ上がってしばらく何かをしていましたが、やがて降りてくると、そこには書生の山木が待ち受けていました。
「奥様から、調査が終わりましたら失礼ですが、ご随意にお引き取りくださいますようにと申し上げてくれとのことでした。それから警察への届け出なども、よろしくお計らいくださいますように、と」
「ああ、そうですか。それはご心配のないようにお伝えください。ですが、少しでいいからご主人にお目にかかれないでしょうか」
「いいえ、それも大変失礼なのですが、主人はお嬢さんのことで非常に神経過敏になっておりますので、できるだけいろいろなことを耳に入れないでおきたいとおっしゃって、すべて秘密にしてあります。この際、なるべくならお会いにならないようにということでした」
「そうですか。じゃあ、私は帰ることにしますが、この箱は君がどこかへ大切に保存しておいてください。いずれ警察から人が来るでしょうから、それまでなるべく手をつけないようにね」
明智は化粧品を包んだハンカチを大切そうに懐に入れると、立ち上がりました。
書生の山木と小間使いのお雪が、玄関まで彼を見送りました。
その時、廊下の小暗い場所でお雪が小さな紙切れを明智に手渡したのを、先に立っていた山木は少しも気づきませんでした。
密会
山野大五郎氏は大阪から帰って以来、ずっと床についていました。
軽度の発熱が続いて、絶えず激しい頭痛が伴いました。
医師は流行性感冒だと言っていましたが、その発熱の原因が一人娘の三千子の失踪にあることは疑うまでもありませんでした。
大阪行きの結果が失望に終わった上に、留守中に明智小五郎の意外な発見によって、三千子の行方不明が単なる家出などではないことが分かってから、彼の懊悩は一層激しくなったようでした。
大五郎氏は家人と顔を合わせることを嫌いました。
書生の山木などは、うっかり来客を取り次いで、ひどく怒鳴りつけられたりしました。
店の支配人が仕事の打ち合わせにやってくるのさえ、多くは会わないで追い返していました。
その頃、主人の部屋へ入る者は、夫人の百合枝と、小間使いのお雪が三度の食事を運ぶ時くらいのものでした。
山野夫人は、不気味な木箱の贈り物を見てから、まるで病人のようになって居間に閉じこもっていました。
夕食の時間になっても、茶の間へ顔を出しませんでした。
小間使いのお雪が心配して何度も様子を見に来ましたが、彼女は物も言わずに考え事をしていました。
七時の鐘が鳴ってしばらくすると、何を思ったのか百合枝は着替えをして、大五郎氏の部屋へ入っていきました。
大五郎氏は布団の上に仰向けになって、青い顔をしてぼんやりと天井を眺めていました。
草色の絹をかぶせた電灯が、部屋を一層陰気にさせていました。
夫人は主人に薬を勧めたり、部屋を乾燥させないために枕元の火鉢にふたをとったままかけてある銀瓶に水を差したりしてから、大五郎氏の顔色をうかがうようにして言いました。
「私、少し片町までまいりたいのですが」
「相談にでも行くのか」
大五郎氏は、髭が伸びた顔を夫人の方へねじ向けて尋ねました。
二、三日の間にめっきり痩せたのが目立ち、目ばかりが大きく血走っていました。
「はい。たびたびで恐縮ですけれど、お加減がそんなにお悪くないようでしたら、ほんの一時間かそこらお暇をいただきたいのですが」
本郷の西片町には、山野夫人の伯父にあたる人が住んでいました。
両親を亡くした彼女にとって、この人が唯一の身内でした。
「私は差し支えないから、行くなら気をつけて行ってくるがいい」
大五郎氏は何か別のことを考えているような、空虚な声で言いました。
「では、少し行ってまいりますから」
山野夫人はそう言って立ち上がろうとして、ふとそこに広げてある夕刊に気がつきました。
次から次へと起こる様々な出来事に、ついぼんやりしてしまって、彼女は大変なことを忘れていました。
今日の夕刊は主人に見せてはならなかったのです。
そこには予期した通り、いや予期以上の仰々しさで、百貨店の珍事が報道されていたのでした。新聞の二面の大半は、その感情を煽るような記事で埋め尽くされていました。一家の私的な出来事が、いつの間にか一つの大きな社会事件へと膨れ上がっていたのです。もちろん、その記事の中に三千子の名前が一言も書かれているはずはありませんでしたが、この大げさな三面記事が、自分たちの一家に関係しているなどとは、まるで嘘のような気がしました。
大五郎氏がその記事を読んだことは疑いようがありません。ですが、読んで何かに気がついたのでしょうか。夫人は大五郎氏の表情からそれを読み取ろうと努めましたが、彼の気の抜けたような顔は、何も語りませんでした。恐らくは、彼はこのあまりに大きな社会的なニュースが、自分の娘の運命を暗示しているなどとは、到底想像もできなかったことでしょう。
山野夫人は、お雪に行き先を告げて、外出の用意をさせました。お雪は「山木さんでもお連れになっては」と勧めましたが、近所でタクシーを雇うからその必要はないと言い、彼女はただ一人で門を出ました。門の外は、両側に長い塀が続いており、所々に置かれた安全灯の鈍い光が、かえって暗さを引き立てているように見えました。人通りは全くありません。
彼女は暗い往来に立ち止まって、しばらく何かを考えていましたが、やがてトボトボと歩き出しました。ですが、妙なことに、それはタクシー乗り場とは反対の、より寂しい方角を指していました。最初の曲がり角に来た時、彼女は一度後ろを振り返って、誰も見ていないことを確かめると、それから少し足早になって、暗い道ばかりを選んで歩いていきました。
二、三町も行くと、道は隅田川の寂しい堤に出ました。対岸の家々の明かりが、まるで芝居の背景画のように見えました。真っ暗な広い川面には、荷を積んだ船の薄赤い提灯が、二つ三つ、動くともなく揺れていました。堤に出て少し進み、なだらかな坂を下ると、そこは三囲(みめぐり)神社の境内でした。山野夫人は坂の降り口で、また注意深く左右を見回してから、神社の中へ入っていきました。
ですが、夫人がそれほど用心深くしていたにもかかわらず、彼女は一人の尾行者がいることに気づくことができませんでした。彼女が屋敷の門を出てからというもの、小間使いのお雪が、彼女以上の用心深さで、その跡をつけていたのです。
三囲神社の境内は、墓場のように静まり返っていました。堤の上の安全灯から漏れる光以外、他に明かりはありませんでした。暗闇の中に、大入道のような句碑がニョキニョキと立ち並んでいました。山野夫人は探るようにして自然石の間を縫っていきました。
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