初級翻訳・サーカスの怪人 第5話

サーカスの怪人

足場を伝って右に左に逃げる骸骨男を、先回りして待ち伏せたり、ぴょんと丸太から丸太へと飛んで足を引っ張ろうとしたりと、際どいところまで追い詰めるのですが、骸骨男はいつもするりと身をかわして、たくみに逃げてしまいます。
人間業とは思えないほどの動きです。
やがて、吉十郎ともう一人の曲芸師が、一本の丸太の上を前と後ろからじりじりと追い詰めました。
骸骨男は挟み撃ちになったのです。
いくら魔物でも、もう逃げ道はありません。
吉十郎の手がグッと伸びました。
ああ、骸骨男は今にも掴まれそうです。
後ろの曲芸師の手も、足のほうへ伸びてきました。
もう絶体絶命です。
その瞬間、骸骨男の体がするっと下へ落ちていきました。
もうだめだと思って飛び降りたのでしょうか。
いや、そうではありません。
彼の真っ赤なシャツの体は、宙で止まっています。
ああ、わかりました。
彼は長い細引き(ロープ)を用意していたのです。
細引きの端についていた鉄の鉤(かぎ)を丸太に引っ掛けて、細引きを下に垂らし、それを伝って降りていくのです。
吉十郎はその細引きを手繰り寄せようとしましたが、その時すでに、骸骨男は地上七メートルほどのところまで滑り降りていました。
そしてパッと手を離すと、地面へ飛び降り、そのまま大テントの裏口のほうへ、矢のように駆け出していきました。
アッとおどろいた道化師たちが、戸惑いながらその後を追っかけます。
天井の三人の曲芸師も、骸骨男の残した細引きを伝って地上に降りると、恐ろしい勢いで追跡を始めました。
しかし、骸骨男の姿はもう、どこにも見えないのでした。

キャーッと叫んで

道化師たちの騒ぎがあってから三日ほど経つと、またしても恐ろしいことが起こりました。
それは昼間のことで、サーカスの大テントの中は満員の見物客で埋め尽くされていました。
そして、テントの天井の目も眩むほど高いところで、空中サーカスが始まっていたのです。
テントの天井の両側で、ぶらんこが揺れていました。
一方のぶらんこには吉十郎が、もう一つのぶらんこには人気者のハルミさんが、ふたりとも足を曲げて逆さまにぶら下がり、恐ろしい勢いで空中を行ったり来たりしていました。
ぶらんこにぶら下がったふたりは、サッと近づいたかと思うと、またスーッと離れていくのです。
頃合いを見て、吉十郎が「ハッ!」と声をかけました。
ハルミさんもそれに答えて「ハアッ!」と叫びました。
そして、ぶらんこにかけていた足を真っ直ぐに伸ばすと、ハルミさんの体はぶらんこを離れて、空中へ踊り出したのです。
下の見物席では、何千という顔が上を向いて、手に汗を握りながらこれを見つめています。
両手を伸ばして空中を泳いだハルミさんに、吉十郎のぶらんこがサーッと近づいてきました。
吉十郎は両手を広げて待っています。
ハルミさんは、その手をつかみさえすればいいのです。
「キャーッ……。」ハルミさんの口から、恐ろしい悲鳴がほとばしりました。
そのとき、ハルミさんは空中で飛びながら、吉十郎の顔を見たのです。
そして、吉十郎だとばかり思っていた相手が、そうではないことに気づきました。
それは、骸骨の顔だったのです。
あのいまわしい骸骨の顔が、グウッとこちらへ襲いかかってきたのです。
ハルミさんはあまりの怖さに、相手の両手にすがりつくことも忘れ、悲鳴を上げながら下へ落ちていきました。
五十メートルの高さから、真っ逆さまに落ちていくのです。
見物席から「ワアッ……」という声が上がりました。
そのまま地面に落ちたら、ハルミさんは死んでしまいます。
ああ、危ない! ハルミさんの白い体は、だんだん速度を増して、矢のように落ちているではありませんか。
しかし、ハルミさんの体は地面まで届きませんでした。
地面の十メートルほど上で、まるでゴムまりのようにピョンピョンとはずんだのです。
……そこには、太い網がいっぱいに張ってあったからです。
ハルミさんは助かりました。
やがて網の上にむくむくと起き上がると、網の端まで歩いていって、そこから地面に飛び降りました。
サーカスの人たちが四方から駆け寄り、ハルミさんを抱えて楽屋へ運ぼうとしました。
「あたし、大丈夫よ。それよりも、あれを、あれを!」
ハルミさんはそう言って、天井のぶらんこを指さします。
みんなが上を見上げました。
骸骨の顔になった吉十郎はどこへ行ったのか、もう姿が見えません。
ただ、ぶらんこだけが激しく揺れているばかりです。
「吉十郎さんの顔が、骸骨になったのよ。それで、あたし、びっくりして……。」
下からはそれがはっきり見えなかったので、みんなはなぜハルミさんが吉十郎の手につかまらなかったのかと、不思議に思っていたのです。
「おうい、吉十郎がテントの上へ登ったぞう……。」
サーカス団員のひとりがそんなことを叫んで駆け寄ってきました。
吉十郎はぶらんこの綱を伝って天井の丸太に登りつき、そこからテントの合わせ目をくぐって、テントの上へ出てしまったのです。
本当の吉十郎なら、そんな変なまねをするはずがありません。
あれはやっぱり、骸骨男だったのでしょうか。
それから大騒ぎになり、空中曲芸のできる男たちが天井に登りついてテントの屋根を調べましたが、もう吉十郎に化けた男の姿はどこにも見えないのでした。
「あれが骸骨男だったとすると、吉十郎はいったいどうしたんだろう?」
ひとりの団員がそこに気づいて、吉十郎の部屋に使っている大型バスに駆けつけて調べてみました。
すると、バスの中の片隅に、手足を縛られ、さるぐつわをかまされた吉十郎が転がっていたではありませんか。
さるぐつわをとって尋ねると、
「後ろからパッと鼻と口を押さえられた。おそろしく嫌な臭いがしたと思うと、それっきり何もわからなくなってしまった。」
というのです。
骸骨男は吉十郎に麻酔薬をかがせて縛っておいて、吉十郎の衣装を着てぶらんこに乗り、ハルミさんを驚かせたのです。
それにしても、骸骨男はぶらんこの下に網が張ってあるのを知っていたはずです。
ハルミさんを落としても怪我もしないことがわかっていたはずです。
それなのに、どうしてあんなまねをしたのでしょう。
ただハルミさんを怖がらせるためだったのでしょうか。
あの怪物がなんのためにこんなことをするのか、それがまだよくわからないのでした。

窓の顔

 その晩、八時ごろのことです。
笠原サーカス団長のふたりのかわいい子どもが、団長用の大型バスの中で、お父さんの帰ってくるのを待っていました。
サーカスは今終わったばかりで、お父さんはまだ帰ってこないのです。
にいさんは笠原正一といって小学校六年生、妹はミヨ子といって小学校三年生です。
団長の子どもですから、ほかのサーカスの子どもとは違って、曲芸はあまり仕込まれないで、学校の勉強に精を出すように言いつけられていました。
でも、ふたりとも曲芸もいくらかできるので、ときたまサーカスに出ることもあります。
サーカス団は日本中を回るので、同じ学校を続けることはできません。
行く先々の小学校へ転入して、長くて三ヵ月、短いときは一ヵ月ぐらいでまたほかの学校へ変わるのです。

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