初級翻訳・一寸法師 第34話

一寸法師

三千子という人は非常なおしゃれで、化粧台にはこの他にもまだたくさんの化粧品があったのですが、妙なのは、それらには少しも指紋がついていないことです。一度でも使用した化粧品の瓶に指紋がついていないというのは、少し考えられません。使用するたびに瓶を拭くなんてことはないでしょう。これは何か企みがあって、わざと指紋を拭き取ったのではないでしょうか。すると、ここにある分だけ拭き取っていなかったのはなぜでしょう。それは、この分に限ってそうしてはならなかったからです。つまり、これだけは三千子の持ち物ではないのです。巧みに用意された偽証なのです」

紋三は何だかうれしいような気持ちでした。彼の想像が当たっていたことが、だんだんと明らかになっていくのです。

「その証拠には、この指紋の残っている化粧品は、贅沢好きな三千子の持ち物としては少し地味な好みですし、この過酸化水素キュカンバーだとか、過酸化水素クリームなどは、どちらかといえば脂性の人に適したものです。三千子は反対に青白いすさんだ皮膚だったということですから、全く使用しなかったとは断言できませんけれど、少しふさわしくない感じがします。それから白粉ですが、青白い人は薔薇色のを用いるのが普通であるにもかかわらず、ここにある水白粉は赤ら顔に適した緑色のものです。また花つばき香油なんていうものは、洋髪にはあまり使いません。つまり、どちらから観察しても、これらの化粧品は三千子さんの常用したものではない。どこか他の所から持ってきて、三千子さんの部屋へ置いたものに相違ないのです」

明智の説明は、だんだんと細かい点に入っていきます。

「化粧品が準備された偽証であることは、この吸い取り紙によっても分かります。これもやっぱり偽証の一つなのです」

彼は桃色の吸い取り紙を示しました。その表面には、親指のインクの指紋がハッキリと現れていました。

「これが三千子の書き物机の真ん中にのせてあった。わざと目につく場所へ置いたことは一見して分かります。それから、ここに文字を吸い取った跡がかすかに残っている。一寸見たのではポツポツと点線になっていて読めませんが、鉛筆で跡をつけてみるとハッキリした文字が現れてくる。だが、文章に注意すべき点はない。ただ女らしい文章の一部分が現れているに過ぎません。ところで、ここに別に三千子の筆跡があります。これと吸い取り紙の筆跡と比べてみますと、両方とも若い女らしい手でよく似ていますが、ただこうして見たのでは本当のことが分かりません。吸い取り紙の方は左文字ですからね」

明智はそこに用意してあった懐中鏡を取ると、吸い取り紙の上にかざして、聞き手の方に見えるようにしました。田村検事などは、すぐそばまで顔を持って行って、感心したように二つの筆跡を見比べるのでした。

「こうして右文字に直して見ると、全く別人の筆跡です。つまり、この吸い取り紙は三千子のものではないのです」

「すると何だね」田村検事が驚いて言いました。「エート、一寸法師が持ち歩いた腕なんかは、三千子のものではないことになるね。それらの指紋が嘘だとすると」

「そうだよ。三千子のものではなかったのだよ」

「そんなことを言えば、この事件は根本から覆ってくるわけだが」

「覆ってくる。出発点から間違っている」

明智は平気で答えました。田村氏の顔色は次第に真剣味を帯びてきました。刑事部長も一膝前に乗り出しました。

「では、明智君、三千子は死んでいないというのか」

「そうだ。三千子は死んではいないのだ」

「じゃあ、君は……」

田村検事は、ある感情の交錯のために顔を青くして、明智をにらみつけました。

「そうだ」明智は検事の表情を読み取るようにして、「その通り。君の考えは当たっている。三千子は被害者ではないのだ」

「被害者ではなくて……」

「加害者なのだ。三千子こそ犯人なのだ」

「すると、被害者はどこにいる。三千子は一体誰を殺したのだ」

「待ちたまえ、大体見当はついているのだが」明智は検事を制しておいて、隅の方で小さくなっている人形師を指し招きました。

「安川さん」「つかぬことを聞くようだけれど、ここに並んでいる人形たちは、みんな注文の品なんだろうね」
「へえ、その通りでございます」人形師は唇をなめながら答えました。
「みんな花屋敷へ入れるための、人間そっくりの人形でございます」
「この奥の方に並んでいるキューピー人形は、ずいぶん大きなものだが、これも花屋敷へ飾るのかね」
「へえ、その通りでございます」人形師は、もう目に見えてガタガタと震えだしていました。
「だが、このキューピー人形は、昨日まで店の間に飾ってあったはずだが、どうして他の人形と混ぜてしまったんだい」
「…………」人形師のふるまいが、すべてを物語っていました。
明智は突然、邪魔になる人形たちを力任せに引き倒し、その奥にあるキューピー人形へと近づきました。
そして、その辺に落ちていたハンマーを拾い上げると、人形のおどけた顔面を目がけて、力いっぱいの一撃を加えました。
人形の顔は崩れ、中からカンナくずと土の塊がパッと飛び散りました。
「これが、気の毒な被害者です」
明智が指で土をかきわけていくと、その奥から、黒髪を乱した青白い死人の顔が現れました。鼻をつくような嫌な臭いが漂います。
「言うまでもなく、これは小間使いの小松です。
かわいそうに、両手両足を半分に切られて……そう、まさに一寸法師そのままの姿で、このニコニコと笑う福の神の体の中に、塗り込められていたのです。
恐ろしい不具者の呪いです。
だが……」
明智はふと言葉を止めました。
その時、ちょうど死人の喉元が見え、そこの皮膚に不思議な黒いあざがあるのに気づいたからです。
明らかに、指でつかんだ跡でした。
「これはきっと、頭の傷だけでは息の根を止められなかったので、指で絞め殺したのでしょう」
その場に、異様な沈黙が流れました。
ベテランの警察官たちでさえ、この前代未聞の残虐な光景を直視することに耐えられませんでした。
誰もが息をのんで立ち尽くし、部屋全体がまるで陰惨な絵画のようになっていました。
赤茶けた電灯の明かりが人々の顔の半分を照らし、床や壁には、まるで物の怪のような影が伸びていました。
生きている人間たちは死んだように動かず、逆に命のない人形たちが、お互いに顔を見合わせてクスクスと笑っているように見えました。
「すると、三千子が恋敵の小松をこんな目に遭わせたということか」しばらくして、田村検事が溜息をつきながら言いました。
「その通りです」さすがの明智も、いくらか顔を青ざめていました。
「犯罪の裏には、いつも恋があります。
三千子と小松との蕗屋(ふきや)に対する恋、一寸法師の山野夫人に対する恋。この事件はすべて、恋から始まっているのです」
「だが、この人形の中へ塗り込めたのは誰なんだ」
「それは三千子じゃない。やはり一寸法師だ。
そして、この安川という男も共犯者です。
僕がこの人形師を怪しいとにらんだのは、一寸法師が昨夜ここへ入るのを見届けたからでもありますが、もう一つ理由があります。

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