私は大きくなったらお母さんに孝行つくしたいと思っています。
これなのだと、大石先生はさっした。
まるで女に生まれたことをじぶんの責任ででもあるように考えているコトエ。
それがコトエを、何ごとにもえんりょぶかくさせているのだ。
だれがそう思わせたのかといってみてもまにあわぬ。
コトエはもう六年生でやめることを、わが身の運命のようにうけいれているのだ。
「でもねコトエさん――」
それはまちがっているのだといおうとしてやめた。
感心ね、といおうとしてそれもやめた。
気のどくねというのも口を出なかった。「残念ですね」
それはいかにもぴったりの言葉でしたが、コトエはそれでなぐさめられ、なんだか気持ちが明るくなったようでした。
すこし出っ歯の大きな前歯をいつもより多く見せながら、コトエは言いました。
「そのかわり、いいこともあるんです。さらい年に敏江(としえ)が六年を卒業したら、こんどはわたしをお針屋さんにいれてくれるんです。そして十八になったら大阪へ奉公にいって、お給料は全部じぶんの着物を買うんです。うちのお母さんもそうしたんだって」
「そしてお嫁さんに行くの?」
コトエは少し恥ずかしそうにして、ふふっと笑いました。
それはまるで、もう自分の手では動かすことのできない決まった運命であるかのように、彼女はそのことに従おうとしていました。
そこにはすでに、これから与えられる運命をそのまま受け入れようとする、一人の女性の姿がありました。
二十歳にもなれば、彼女はある日「ハハキトク(母危篤)」のニセ電報一本で奉公先から呼び戻され、危篤のはずの母たちが用意したレールの上で、よく働く農家や漁師の妻になってしまうのかもしれません。
彼女の母親もそうでした。
そして六人の子どもを産みました。
五人までが女の子だったために、それがまるで自分一人の責任であるかのように、夫の前でいつも遠慮していました。
その遠慮する姿がコトエにもうつってしまい、コトエもまた、とても遠慮深い女の子になっていたのです。
夫に従って毎日海に出ている漁師の妻は、女性とは思えないほど太陽に焼けた顔をし、潮風にさらされて髪の毛は赤茶けてボサボサでした。
しかも、それに不平不満などなかったかのように、自分の歩いてきた道をまた娘に歩かせようとし、娘のほうもそれを「当たり前の女性の生き方」だと心の中で思っているのです。
そこには、よどんだ水が流れる川の清らかさを知らないような、ただ古いだけの習慣が残っていました。
正直で一途な貧しい漁師の一家にとっては、それが幸せのすべてなのだろうかと、大石先生は一人でもどかしく感じていました。
かといって、コトエを高等科に進学させたところで、貧しい漁師一家の考え方がガラリと変わるわけではないと思うと、大石先生は空を見上げてため息をつくよりほかありませんでした。
教師と生徒の関係って、これで本当にいいのだろうかと疑問を持つと、頭に浮かんでくるのは『草の実』の稲川(いながわ)先生のことでした。
国賊にされて刑務所に入れられた稲川先生は、ときどき獄中から、アリのように細かい字の手紙を教え子に送ってくるということでしたが、どんなに変わったところのない普通の手紙でも、生徒には読ませてもらえないという噂でした。
教師と生徒というのは、そんなものなのでしょうか。
教室の中で、国定の教科書を通してしか結びつきを許されない、どこかよそよそしい教師と生徒の関係。たとえ生徒のほうからぐっと心を開いて近づいてこようとも、上手に肩すかしをして距離を置かなければ、思いがけない落とし穴にはまることを知らなければなりませんでした。
みんなの耳や目は、いつの間にか大人の秘密を探り出そうとするようになっていたのです。
しかしまた時には、まったく別のことで、思いがけない子どもっぽいイタズラに巻き込まれることもありました。
病気のためにしばらく学校を休むと告げたとき、小ツルなどは、先生の胸もとに手を突っ込むような遠慮のない様子で、平然と言い放ったのです。
「先生の病気、もしかしてつわりですか?」
思わず顔が真っ赤になると、「わあー!」とからかう子どもたちもいました。
子どものくせにと呆れましたが、大石先生は肩すかしをせず、まっすぐに答えました。
「そうなの。ごめんなさい。ごはんが食べられないから、こんなに痩せちゃったんだもん。少し元気になったらまた来るわね」
それが、長期欠勤の始まりでした。
休むと宣言したとき、誰よりも心配そうな顔をしてくれたのはやっぱり早苗だったな――そんなことを思い出しながら、六年前の写真を取り出してみました。
十三枚も焼き増しをしたのに、なんとなく渡しそびれたままになっていたその写真は、袋に入ったままアルバムのページの間にはさまっていました。
あどけない顔が並んでいる中で、小ツルはやっぱり一番大人っぽく見えました。
この頃からクラスで飛び抜けて背が高かった小ツルは、今ではみんなより二つくらい年上に見えました。
みんながおかっぱや横分けにしている中で、彼女一人だけは中国の少女のような前髪を垂らしていて、一人だけ大人びていたのです。
マスノが岬の仲間から離れてからは、小ツルはますますいばっているように見えました。
高等科を卒業したら産婆(さんば)学校に行くという彼女の目的も、あのませた性格からして、「つわり」のような大人の世界への興味からきているのかもしれませんでした。
岬の女子グループには、あと富士子(ふじこ)という子が一人残っていましたが、彼女の将来の進路だけは全く決まっていませんでした。
いよいよ今度こそ自宅や土地が人手に渡るという噂が、卒業間近の富士子の進路を決められなくしているのだろうと思うと、コトエと同じように、自分の力ではどうにもできない運命が彼女を待ち受けているようで、本当にかわいそうでした。
痩せて血の気がなく、白い粉をふいたような顔をした富士子は、いつも着物の袖口に手を引っ込め、まるで寒さに震えているように見えました。
暗い影を帯びたような冷たい一重まぶたの目と、その無口さだけが、かろうじて彼女のプライドを保っているかのようでした。
それに比べると、男の子たちは実にいきいきとしていました。
「ぼくは、中学に行くんだ」
竹一(たけいち)が胸を張るようにして言うと、正(ただし)も負けじと声を大にしました。
「ぼくは高等科に行って、卒業したら兵隊に行くまでは漁師だ」「兵隊に行ったら、下士官になって、曹長くらいになるから、おぼえておけよ!」
「あら、下士官……」
先生は言葉を少し濁しましたが、心のなかの複雑な動きに気づく人は誰もいませんでした。
月夜の蟹とやみ夜の蟹のように、まったく対照的な性格のはずの正(ただし)が、まさか下士官を志望しているとは思いがけないことでしたが、彼には彼なりの強い理由があったのです。
徴兵されてからの三年を朝鮮の軍隊ですごし、除隊できないままそのまま満州事変へと出征していった正のお兄さんが、最近「伍長(ごちょう)」という階級になって帰ってきたことが、正の心を大きく動かしたのです。
初級翻訳・二十四の瞳 第28話
二十四の瞳
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