初級翻訳・二十四の瞳 第7話

二十四の瞳

それにしても、入り海をとりかこんだ村ぐらにとって、大昔から何かにつけて目じるしにされてきた名物の老松が災難にあったのに、地元にいる自分が気づかずにいたなんてとても恥ずかしいことでした。
しかも今朝がたは、いい気になって調子に乗り、一本松の下から人さし指一本で魔法の橋をかけ、波をしずめたりなどしていました。
村の時計を四十五分も進めさせることで、村中の人を大さわぎさせたのに、来てみればそんなことどころではない大さわぎがおきていたのです。
男の先生はあわてて手水をつかっているどころではなく、はだしになって働いています。
奥さんは七輪の火おこしなどとっくにすませて、きりりとしたたすきがけで働いているではありませんか。
ああ、二学期の第一日目は出発からまちがっていたのだ、と女先生はひそかに思いました。
家を出るときに、お母さんに対してぶあいそな態度をとってしまったことをとても悔やんだのです。
三時間目の音楽のとき、女先生は思いついて、生徒をつれて災難をうけた家へお見舞いに行くことにしました。
いちばん学校に近い西口ミサ子の家へより、見舞いのことばを述べました。
なんといっても家がぺっちゃんこになったソンキの家が被害の第一番だとみんながいうので、つぎには荒神様の上にあるソンキの家へむかいました。
マスノが今朝言っていた「蟹をたたきつけたよう」というのを思い出して、それは大人の口まねだろうと思いながらも、なぜか妙にリアルなものとして想像されました。
だけど家はもう近所の人たちの手だすけであらかた片づいていました。
母屋とは別の豆腐づくりの納屋のほうが無事だったので、そこの土間にじかに畳を入れて、そこへ家財道具をはこんでいました。
一家七人が今夜からそこに寝るのかと思うと、かわいそうですぐにはことばも出ないでいると、手つだい人のなかから川本松江の父親が口をだし、大工らしいひょうきんさで、しかし少し皮肉をまじえて言いました。
「あ、これはこれは先生、先生まで手つだいに来てくれたのかな。
そんならひとつ、その大ぜいの弟子たちを使って道路の石でも浜へころがしてくれませんかねえ。
ここはやっぱり大工でないと都合がわるいですわい。
それとも、手斧(ちょうな)でも持ちますかな」
まるでいいお笑いものだといわんばかりに、まわりの人たちが笑いました。
先生ははっとして、のんきそうに見られていたことを恥ずかしく思いました。
そのとおりだと思ったのです。
しかし、せっかく来たのだから、一言だけでもソンキの家の人たちにお見舞いを言おうと思い、なんとなくぐずぐずしていましたが、だれも相手にしてくれません。
しかたなく帰りかけながら、てれかくしもあって子どもたちに呼びかけました。
「ねえ、みんなで、これから道路の砂利掃除をしようか」
「うん、うん」
「しよう、しよう」
子どもたちは大よろこびで、くもの子が散るようにかけだしました。
あらしのあとらしい、すっきりと晴れわたった暑さに包まれて、村は隅ずみまではっきりと見えました。
「よいしょっと!」
「こいつめ!」
「こんちきィ!」
めいめいの力にあわせた石をかかえては、道路のはじから二メートルほど下の浜へと落としていきます。
二人がかりでやっと動くような大きな石ころもまじっていて、まるで荒磯(ありそ)のように石だらけの道でした。今はもう、ただ静かに水をたたえているだけの海の水が、昨夜はこの高い道路の石垣をのりこえて、こんな石まで打ちあげるほど大あばれしたのかと思うと、そのふしぎな自然の力におどろき、あきれるばかりでした。
波は石をはこび、風は家をたおし、岬の村はすっかり大さわぎの一夜だったのです。
おなじ二百十日でも、岬の内側と外側ではこうもようすがちがうのかと思いながら、先生はかかえた石をどしんと浜になげすて、すぐそばで、なれた手つきで石をけとばしている三年生の男の子にききました。
「大しけのときって、いつもこんなふうになるの?」
「はい」
「そして、みんなで石をお掃除するの?」
「はい」
ちょうどそのとき、香川マスノのお母さんが通りかかりました。
「まあまあ先生、ごくろうさまでございます。
でも、今日はこのへんで軽くすませておいたほうがよろしいですわよ。
どうせまた、うしろ七日や二百二十日のおそろしい日がひかえていますからね」
本村(ほんむら)のほうで料理屋と宿屋をしているマスノのお母さんは、自分の子どもがいる岬のほうへようすを見に来たということでした。
マスノがとんできて、お母さんの腰にしがみつき、
「お母さん、ゆうべはおそろしかったんよ。
うちなんて、ゴツゴツすごい音がして、おばあちゃんにくっついて寝たんだから。
朝起きたら、井戸のはねつるべの棒がポッキリ折れとったんよ。
水がめもわれてしもうたし」
今朝きいたばかりのことを、マスノはお母さんにペラペラと話しました。
ふんふんといちいちうなずいていたマスノのお母さんは、半分は先生のほうを向いて、
「岬のほうじゃあ、船が流されたり、屋根がつぶれたり、壁がごっそり落ちて家の中が丸見えになった家もあるって聞いたもんですから、びっくりして飛んできたんですけど……つるべの棒が折れたくらいですんだんだから、よかった、よかった」
と言いました。
するとマスノが、
「マアちゃん、ごっそり壁が落ちたって、だれのおうち?」
とたずねました。
マスノはかかえていた石をすてるのもわすれて、得意そうな顔になり、
「仁太(にた)のとこよ、先生。
壁が落ちて、押入れの中がずぶぬれになってしもうたん。
見に行ったら、中がまる見えだったよ。
おばあちゃんが押入れの中で、こんなふうにして天井を見あげとったんよ」
とおもしろがって顔をしかめ、おばあちゃんのまねをしたので、先生は思わずふき出してしまいました。
「押入れが、まあ」
そう言ったあとで、やっぱりおかしくて、ころころと笑い声が声に出てしまいました。
なぜ先生がそんなに笑い出したのか、子どもたちにはわけがわかりませんでしたが、マスノだけは自分が先生をよろこばせたような気がして、とてもうれしそうな顔をしました。
みんなはいつの間にか、よろずやのお店のそばまで歩いてきていました。
すると、よろずやのおかみさんがすごいすごいおこった顔をして走りよってきて、先生の前に立ちふさがりました。
肩でいきをしながら、すぐにはものも言えない様子です。
先生は急いで笑い顔をきえて、すぐにていねいにおじぎをしながら言いました。
「あら、失礼いたしました。
大しけで大へんでしたねえ。
今日は、道路の石ころ掃除をお手伝いしているんです」
しかし、おかみさんはそんな言葉はまるで聞こえないかのように、きびしい声で言いました。
「おなご先生、あんた、いま何がおかしくて笑っていたんですか?」
「…………」
「人が大災難に合ったというのに、そんなにおかしいですか。
うちのお父さんは屋根から落っこちましたが、それもおかしいんでしょうかねえ。
たいした大怪我はしなかったけれど、もし大怪我でもしていたら、なおさらおかしいんでしょうねえ」
「すみません。

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