そしてさらに不思議なことに、ちょうどお坊ちゃまのいるベランダの真下までやって来ると、その男は突然ピタッと歩みを止めて、あのビロードの帽子をスッと脱ぎ、2階にいるお坊ちゃまに向かって、とっても丁寧におじぎをしたのです。
よく見ると、その男は、ロバに引かせた駕籠のほうを指さしながら、お坊ちゃまに向かって何かをしきりにしゃべっています。
「この駕籠の中にはね、南の海の底に住んでいる、とっても珍しい生きものが乗っているのです。
私はあなたの噂を聞きつけて、遠い南国の浜辺から、人魚を生け捕りにしてやって来ましたよ。」
外のお祭りの音がとてもうるさいのではっきりとは聞こえませんが、男はたどたどしい中国語を使いながら、そんな意味のことを話しているようでした。
何だか聞き慣れない、ちょっと変わったなまりのある外国人の口から、「人魚」という言葉を聞いたとき、お坊ちゃまの胸は、自分でもびっくりするくらいドキドキとときめくのを感じました。
もちろん、生まれてから一度も人魚なんて見たことはありません。
だけど、今こうして思いがけず南の国から来た旅人の口から、「人魚」という中国語が、ちょっと変わった響き(ウムラウトのような発音)で飛び出したとき、その言葉には何とも言えない特別な神秘的なパワーがこもっているように思えたのです。
「おい、誰か表に行って、そこに立っている赤毛の外国人を、急いで屋敷の中に案内してくれ!」
お坊ちゃまは、普段では考えられないほどあわただしい口調で、そばにいたお付きの少年にお願いしました。
すぐにロバは屋敷の奥深くまで連れ込まれ、第一の大門をくぐり、第二の儀門を通り抜け、お庭の木々や池のまわりをぐるっと回って、昼間のように真っ赤な明かりがキラキラと輝く中庭の石段のそばにピタリと止められました。
お坊ちゃまはいつもどおり、七人の側室たちをまわりに従えながら、廊下の端のほうへと椅子を進めました。それを見た外国人は、再び地面に丁寧におひざをつき、中国の昔ながらのやり方で頭をペコリと下げて挨拶をしたあと、またもやちょっとあやしい発音で、たどたどしく話し始めたのです。
「私がこの人魚を捕まえたのは、広東の港から何百海里も離れた、オランダ領のサンゴ礁の島でした。
ある日、そこで真珠を採っていたところ、思いがけず、どんな真珠よりももっと価値のある、美しい人魚を手に入れたのです。
ふつうの真珠に恋をする人なんていません。だけど、どんな人でも人魚を見たら、彼女に恋をせずにはいられなくなるのです。
真珠にあるのは、ただ冷たく光るだけ。
だけど人魚は、妖しく美しい姿の中に、熱い涙と、温かい心臓と、そして不思議な知恵を隠し持っています。
人魚の涙は、真珠の色よりも何十倍もきれいです。
人魚の心臓は、サンゴの玉よりも何百倍も赤く燃えています。
人魚の知恵は、インドの魔法使いよりもすごい技を知っています。
人間には想像もできないすごい力を持っているのに、彼女はたまに『わるい心(背徳の悪性)』を持ってしまったせいで、人間よりも下の『魚』の仲間として落とされてしまったのです。
だから彼女は、青い青い海の底を泳ぎながら、いつも陸の上の楽園にあこがれ、人間の世界を恋しがって、休むヒマもなく悲しみに暮れているのです。
その証拠に、彼女の美しい顔を見れば、誰もがきっと、物悲しい憂いの影を見つけることができるはずですよ……。」
そう話している時、外国人は、言葉がうまく通じない人魚の身の上をかわいそうに思うのと同じように、自分自身もなんだか切なそうな悲しい表情を浮かべていました。
お坊ちゃまは、人魚そのものを見せられる前に、まずはその外国人の顔立ちや雰囲気に心をぐっと掴まれたようでした。
彼はこれまで、西洋人というのは「未開の種族」だと信じ込んでいました。なのに、この物乞いのような外国人の顔をじーっと見つめれば見つめるほど、その中にはなんだか気高いすごい力が潜んでいて、自分の心をグッと押さえつけられるような不思議な感覚を覚えたのでした。その外国人のもっている緑色の目は、まるで南国の真っ青な海のようで、お坊ちゃまの心を底の知れない深いところへと引きずり込んでいくようでした。
また、その外国人のキリッとした眉、広いおでこ、そして雪のように真っ白な肌は、「自分こそが一番の美男子だ」と自信満々でいるお坊ちゃまの顔立ちよりも、はるかに優雅で、整っていて、それでいて何だか複雑な、暗さと明るさが入り混じった豊かな気持ちを表現しているようでした。
「いったいお前は、誰から私の噂を聞いて、はるばるこの南京までやって来たのだ?」
外国人が語る人魚の話を、しばらくうっとりと聞き入ったあと、お坊ちゃまはこう尋ねました。
「私はつい先日、マカオの街を歩いているときに、ある知り合いの貿易商から、初めてその話を聞いたのです。
もしそれよりももっと前にその話を知っていたなら、おそらくあなたはもっと早い時期に、私の人魚をご覧になることができたでしょう。
私はこの珍しい売り物を連れて、半年ほどのあいだ、アジアの国々の港という港を旅して回りましたが、どこの商人も、どこの貴族も、決してこれを買おうとはしませんでした。
ある人たちは、『値段が高すぎる』と言って、おじけづいて逃げていきました。
なぜなら、人魚の代金は、アラビアのダイヤモンドが七十個、コーチシナのルビーが八十個、それにアナンのクジャクが九十羽と、シャムのゾウの牙が百本でなければ、とても交換することができないからです。
またある人たちは、『人魚の恋なんて恐ろしい』と言って、髪の毛が逆立つほどブルブルと震え上がって逃げ出してしまいました。
なぜなら、昔から人間が人魚に恋をさせられると、誰一人として無事に命を保つことはできず、いつの間にか怪しい魅力の罠にハマってしまい、体も魂も吸い取られて、どこへ行ったのか誰も知らないうちに、まるで幽霊のようにこの世から消い去ってしまうからです。
ですから、お金と命を大切に惜しむ人たちは、簡単には私の売り物に手を出すことができなかったのです。
私はせっかく、この世に二つとない珍しい宝物を手に入れたのに、誰にも相手にされないまま、長い間ムダな時間とムダな旅を続けてしまいました。
もしマカオの商人からあなたの噂を聞いていなかったら、もう少しで私は一番大事な商品を、どこにも売れずにダメにしてしまうところでした。
その商人の話によると、『私の人魚を買うことができる人間は、南京のお坊ちゃまのほかにいない。
その人は今、遊びのために莫大な財産と若い命を投げ出そうとしており、投げ出すのにちょうどいいくらいの楽しいことがないのを残念がっている。
その人はもう、地上の美味しい食べ物や美しい女性たちにはすっかり飽きてしまい、この現実の世界を離れた、不思議で不気味な幻のような美しさを求めている。
その人こそは、きっと人魚を買うに違いない』と、彼は私に教えてくれたのです。」
外国人は、相手が自分の品物を買うかどうかということについて、少しも心配していないようでした。
彼は、お坊ちゃまの心を見透かしているかのような、自信に満ちた言葉で話したのです。
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