初級翻訳・卵塔場の天女 第9話

卵塔場の天女

私も九つくらいの時だったから、よくは覚えていないけれど、ちょうど七夜の祝いに産婆さんが味噌漬けでお茶漬けを食べるような頃の話だ。
お湯を沸かしたり米の粉を溶いたりするのはわかっていたかもしれないが、夜が白々と明ける頃でも真夜中でも、アルコールで牛乳を温めて、赤ん坊の口へゴムのチューブで飲ませようなんていう時代じゃなかったんだ。
だいたい、横に寝かせて使う哺乳瓶なんてものを見たこともないんだからね。
……わかるかい。
それに、家計に余裕があるなら、どうにだってやりようがあっただろう。
いま、きみは立派な町の畳からと言ったけれど、母親が寝ていた奥の四畳間なんて、障子は破れて穴だらけだったんだ。
しかも雪が降る十二月のことさ。情けないことには、熱が出て喉がカラカラに渇いている母親に、小さく固めた雪を口に入れてやったんだ。でも、降りたての雪はパサパサしていて歯にきしむだけで、呼吸を潤すような水分にはならない。
氷なんてないんだよ。
まるで甘露の雨か仏様の慈悲のように、雪のしずくが命の水だって言って、お母さんが『ちょうだい、ちょうだい』と言うもんだから、若くて可愛いお嫁さんで、しかも東京で育った人が、こんな暗い田舎へ来て、さぞどんなにか情けなかろうと不憫に思ってね、お祖母さんが大屋根の雪は滑るから危ないっていうのに、母親が寝ていた下屋の屋根を這ってさ、真ん中は高く積もっている、軒先の方まで這い出ていって上の雪を掻きよせて、下のつららは毒だから捨てて、板に張り付いた汚れを避けながら、真ん中あたりの、六方石(ろっぽういし)みたいにカチカチに凍っている雪を削り取って、病人に含ませてやったんだ。部屋の中は、さすがに鉄鉢の湯気やコタツのぬくもりで少しは溶いただろうけれどね。
まるで階段を上り下りするように、一日に何度も屋根に出たり入ったりしたそうだよ。
『観音様に見えますよ』と言いながら、じっと優しい姑の顔を見つめ、つぼみのしおれたような口を開けていたお母さんの思いも、少しは察してやってくれよ。
きみ、花を飾った駕籠に乗って江戸の芝居見物に行ったようなお嬢様が、そんな状況だったんだ。時代が時代だったんだからね……。
……冷たいようだけど、いや、薄情だと言えばそれまでかもしれないけれど、農家で育って、子守をして、工女から北海道へ流れ着いたからって、それほど情けなく思ったり、親を恨んだりすることはないんじゃないかと私は思うんだがね。
だが、どうだい。
なにしろそんな状況だったんだから、生まれたての赤ん坊なんて育てられるものか。
あの時、もし縁のあった田舎へ養女に出さなかったら、きみはきっと育たなかったろうよ、死んでしまっていたかもしれないんだ。」
「それだから、それだからこそ、私はいっそ死んでしまいたいと、昨日も、今日も……」
「まあ、待ちなよ。
……ちゃっかり亭主ができて、十一人も子どもをこしらえているじゃないか。
贅沢なことを言って、親を恨むな、世間を呪うな!……とは言っても、きみの身の上は本当に気の毒だとは思うさ。
けれども考えてみるがいい、……きみは北海道の川端で身投げをしようとした時、子どもをおんぶしたり抱いたりしていただろう。
親子一緒なら、ある意味では本望かもしれない。
でもお母さんはそうじゃないんだ。もう助からないと覚悟して、生まれたばかりで、一度か二度、乳房に頬をあてたばかりの赤ん坊を、見ず知らずの他人の手に渡したんだぜ。
私は、悲しい草双紙(くさぞうし)の絵を一枚ビリッと引き裂いたような、あの時の様子を目に焼き付けて知っているんだ。
夜だった――きみのお父さんになった男は、表の間にでも待っていたんだろう。
母親になる人は――私も猿の真似事みたいに、涙でも浮かべていたのか、ランプの灯りがぼんやりと霞む中に、大きな長刀酸漿(なぎなたほおずき)のふふんだような赤ん坊を抱いて、『哀しいけれど、さあ、一目でいいからお顔をおなり』という様子で、括り枕の上へ、こう歯ぐきを剥き出しにした口元のままで差し出すと、もう寝返りも打てずに壁のほうを向いて片側だけで寝ていたお母さんがね、麻の寝間着にかかった黒髪をこぼしながら、横顔でふっと振り返ったんだ。
――その目は今……私の目にももう見えない。」
言が途切れた。「――鼻筋がまっすぐ通っていて、ほんのりと歯や唇が見えていた……それきり、がっくりと髪も重そうに壁の方を向いたそのところへ、もう一度、きみの母親がのしかかるようにして赤ん坊を差し出すと、今度は少し仰向けになったかと思うと、お母さんの白い指が、雪の降り止むのを待ちわびるように、ちらちらと動いた。――『やけに歯を染めたお歯黒の匂いが鼻について、それを払い除けた』と今の私なら言うだろうけれど、もうこの身の辛さに泣く気力すらないから、どうか子どもと別れさせてくれ、とそんなふうにしたのだろう。
――そのあとは知らない。
しばらくすると、外を草鞋(わらじ)の音がびしゃびしゃと遠ざかって行った。」
話を聞いていたお久は声をあげて泣きじゃくりながら、こう言った。
「もう、恨みも何もありません……。
人づてに聞けば、十四、五歳まで着られる柔らかい着物が一籠と、お金もそれぞれ私につけてくださったそうなんですが、私は一度だって袖を通したことがありません。
父親はそうでもなかったけれど、あの草鞋の音の主、鉄漿(おはぐろ)をつけた口の母親なんて、まるで蛇や鬼でしたよ。
あれは本当に冷酷で欲張りな人でした。
……少しは人情のありそうな養父のほうが――やっぱりどこまでいっても私の不幸で――その養父が早く死んでしまってからは、子守で毎日泣かされたあげくが工場へ働きに出され、そこから三日おき、四日おきに、五銭だの十銭だのと親が取りに来るんです……月末にもらう給料なんてね、嫁入りの支度に預かっておくんだと言って、すっからかんに持っていかれて――。
さあ、嫌だと言っても今の亭主のところへお嫁に行くとなったら、それこそ本当に、申し訳程度の小さな風呂敷包みひとつすらくれやしないんだから。
どれほど肩身が狭かったことか……そのうえ、私が着の身着のままで裸同然なのも、お姑さんは気に入らないようでね。
どこまで私の因果は続くんでしょう……。
……それに今度来た、あの娘の婿さんは、まだ年が若くてねえ。」
「いくつなんだい。」
「二十一です。」
「仕事が早いじゃないか、何の商売だね。」
「蒔絵(まきえ)の仕事ですぞね。」
「それは結構じゃないか。」
「それがねえ。
まだ見習いで、一人前には稼げないから、暮らしはお姑さんがおもに切り盛りしているものですからね、あんさん、それが本当に酷いんですよ――半月おきには、下駄の歯がすり減っただの、使い方が荒いだの文句を言われて……そんなことまで私のところへ無心に来るんです。
(お母さん、十日もお風呂に入れていないから、お湯代をちょうだいよ、)とこっそり言いに来る。
お風呂の道具を買うお金さえないから、着物がすり切れてくると、(お母さん、……洗い替えを買うお金をちょうだいよ、)とこっそり頼んでくるんです……」
「情けない話だなあ。」
私も雪代(ゆきしろ)と思わず顔を見合わせた。
「情けないどころではないのです。

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