多助は日々その「青」という馬を引いて山坂を歩いていましたが、田舎では「月待・日待」といって、十五夜や二十三夜などには村の若い者たちが皆で集まって遊ぶ習慣があります。
多助も二十一歳の若者ですから、本当は遊びたい盛りです。しかし、他の人が遊んでいる間も、重い荷物を積んだ馬を引いて、数坂峠という山また山を越えて歩いていました。家に帰れば母のおかめに虐められ、生傷が絶えないような暮らしですから、家にも居場所はありません。馬を引いて歩きながら、多助は色々と悩みましたが、「どうもこの家に長くいるわけにはいかない」という思いが強まりました。
「情けないことだが、母とおえいが結託して、丹治親子を家に引き入れて逢引するとは、本当に犬畜生のようなやり方だ。特に私を付け狙っているから、丹治親子がこの家に出入りしているうちは、とてもここにいるわけにはいかない。命さえあれば死んだ養父に恩返しもできるが、殺されてしまってはそれも叶わない。江戸という場所がどんな所か勝手は知らないが、一度そこへ出て辛い奉公でもして金を貯め、国に帰ってきて、もし家が潰れていたら立て直すしかない。八歳の時から居慣れた沼田新田の村の景色も、これが見納めになるのか」と心の中で嘆きながら、豆を二俵積み込み、青を引いて、分家の太左衛門の所へ、人知れず別れの挨拶をしに向かったのでした。「もし、叔父さん、叔父さん」
「おう、多助か。どこへ行くんだ」
「はい、高平まで豆を届けに行ってまいります」
「おお、高平へ行くのか。久しく顔を見ないから案じていたが、この間五八が来て、家で間違いがあったことも聞いていた。お前の母親のような悪人はいないが、よく堪えて我慢しているな」
「はい。それもこれも、亡くなったお父様に恩返しがしたい一心でございます。お父様のお位牌に対しても、塩原の名前を汚すようなことはすまいと思っております。八歳の時から引き取られて育てられた恩は並大抵のものではありません。亡くなったお父様だけでなく、叔父様も私が小さい頃から『多助、多助』と言って可愛がってくださった御恩は、死んでも忘れません」
「バカなことを言うな。叔父と甥の縁があるのだから、世話をするのは当然だ。お前は切るに切れない血のつながりがあるのだから、辛いことがあっても我慢してくれよ。お前はまだ若いから、また狭い心を出してどこか遠くへでも逃げ出してしまうのではないかと、心配でならないのだ。私も年を取り、婆さんも年老いて、子供といえばお作というあんな厄介な者しかいない。だからお前を頼りにしているんだ。変な気を起こさないでおくれよ」
「はい、はい。叔父さん、人間はいつ死ぬかわからない『老少不定(ろうしょうふじょう)』という言葉もありますから、若い者でも先に逝かないとは限りません。私が高平まで行く途中で、どんなことがあって、ひょっとして二度と帰れず、これが叔父さんの顔の見納めになるかと思うと、一里でも二里でも外へ踏み出すのが実に辛うございます」
「バカなことを言うな。今日は月待(つきまち)だから、わしの家に泊まって、高平へ行くのは明日にしろ」
「いえ、行かねば母親に叱られますから行ってまいります。叔父さん、これから段々寒くなりますから、お体を大切になさってください」
「そんなことを言われると、心細くて仕方がない。婆や、多助が高平まで行くと言って寄ったから、ここへ来なさい」
そう言うと、婆さんも出てまいりまして、
「おお多助か、よく来たね。こんなに寒いのに、行かなくてもいいから泊まってお行きよ。この間はお作が悪戯をして気の毒なことをしたね。家ではあの子をひどく叱って叩いたけれど、どうしようもない奴でね。堪忍しておくれよ」
「はい、はい。行ってまいります。叔父さん、叔父さん、それでは」
「それなら、どうしても行くのか」
「はい」
そう言いながら出ましたが、これが今生の別れになるのかと思うと、多助はしょんぼりとして歩いていきます。
叔父も多助の言ったことが気にかかるので、戸口まで駆け出してきて、
「多助、多助、早く行って来いよ」
そう言われて、多助も泣きながら、
「はい、はい」
と答えて出かけましたが、叔父のことも心配でたまりません。鎮守の森もこれが見納めか、清右衛門さんの家の屋根もこれが見納めになるのかと振り返りながら、泣く泣く馬を引いて高平までまいりました。そこで代金として二分と一貫文を受け取り、沼田原まで来ると、この原の中に「物見の松」という松の木があります。これは、昔の戦争の時に見張りをした松だと言い伝えられている木でございます。多助は、その松の木の根元に馬をつなぎとめると、背負っていた叺(かます)をおろして、秣(まぐさ)をたっぷりと与えました。馬が逃げ出さないように手綱をしっかりと結びつけます。二分金と一貫文の銭は、本来なら駆け落ちの旅費にするものですが、正直者の多助は、その金には一切手をつけず、馬の荷鞍(にくら)にしっかりと結びつけました。自分は懐に入れていた、わずかな蓄えである六百文だけを持って出発することにしました。
長年連れ添った愛馬との別れを惜しみ、多助はその顔を二度ほど優しく撫でました。
「おい、青(あお)よ。お前とは本当に長い付き合いだったな。お前はもともと大原村の九兵衛さんが、南部の盛岡の市で買い求めてきたのを、俺の父様が譲り受けたものだ。あの時、俺も八歳で、塩原の家へ養子に来ることになった。お前と俺は一緒にこの家へ来たんだよな。俺が十二の時からずっとお前を引いて歩いて、これほど長く一緒にいれば、たとえ畜生であっても兄弟同然だ。お前は本当に丈夫な馬で、今まで一度も病気をしたり、くしゃみ一つしたこともなかったな。十六貫目の四斗俵を二俵運ぶのは当たり前だが、三俵となるとお前が疲れるだろうと思って、山坂を越える時には俺が一俵担ぐようにしてきた。だからお前の体も頑丈で、足に血豆一つできたことがない。父様が丹精込めて、年に三度ずつ蹄鉄(金焼き)を打ち直してくれたおかげで、足も丈夫だった。俺が草を刈ってきてやるときも、毒のある草が混じらないよう、茅草(かやくさ)ばかりを一生懸命選んで食わせてやった。だからお前も、大きな坂を越える時でさえ、嫌な顔一つせずに家のために働いてくれたな。段々と年を取ってきたから、これからは楽をさせてやろうと思っていたのに……。だが、俺はどうしてもあの家にはいられないんだ。お前も知っている通り、母様とあの女(おえい)は心が歪んでいて、俺を殺そうとしている。お前も見ていただろう。この間、庚申塚で俺を殺そうとして、間違えて圓次郎を殺した時、お前だって驚いて走り出したじゃないか。俺が残っていれば殺されてしまう。だから、どうしても逃げ出すしかないんだ。俺はこれから江戸へ行って、奉公して金を貯めて帰ってくるから、それまで達者でいてくれよ。ああ、俺がいなくなれば、きっと五八も追い出されるだろう。五八がいなくなれば、誰も構う者がいなくなって、お前はろくな食べ物ももらえなくなるだろうな。それが可哀想で、本当は出たくないんだが、家にいれば殺されてしまうから行くしかないんだ。どうか辛いだろうが我慢して、俺が江戸で金を貯めて帰ってくるまで、元気でいてくれよ。
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